お出かけ日和vs.巣ごもり&雑談
今朝は、少々寒かったですね。起きたら室温が17℃しかありませんでした。
今現在、外気温は24℃で、室内は27℃、、、。
窓やドアを開放して、空気を循環させていても、部屋の中には熱気が籠る。
何せ、築50年近いぼろ家なので、断熱材とかも建てた当時は、一般的ではなかったのだろうと思います。
亡くなった母が、設計したと言っていましたが、確かに、台所に立つと、母が考えたんだな。と思うところが随所にあります。
キッチン台の高さも、母の身長で丁度いい様に作られている。
そんなキッチンで、毎晩、メニューを考えながら夕食を作るわけですが。
母が亡くなって、早いもので、3年と2か月。
後を追うように、父が亡くなって、1年2か月が経ちました。
そんな母は、保育士として、私の祖父(母の父)が運営していた保育園(当時)
で働いていました。
当時は、保育園と家が合体していて、家から保育園に行くというのが日課でした。
で、母には、下に3人の兄弟がいて、母のすぐ下の長男が、絵画の講師として保育園で働いていました。
このような変わった環境で、大人の男性や女性の保育士(当時は、保母さん)
に囲まれて育ったので、妙に大人びていたと思います。
父は、一般的なサラリーマンでした。とは言え、ちょっと変わった仕事でしたね。
今現在、父が勤めていた会社は日本法人はなくなりましたが、アメリカには本社が残っています。
で、仕事内容と言うのが、私もさんざん書いていますが、テレビやラジオの「視聴率調査会社」でした。
自分が、高校生の頃、夏休みに一度だけ、父の仕事に同行したことがあります。いわば「社会科見学」のようなもの。
父の仕事は、一般家庭のモニターさんの家を訪ねて、視聴率データを回収する仕事でした。
データを取る為の、機器がありテレビと繋がっていて、当時は、インターネットが一般的ではなく、スマホすらありませんでしたから、アナログのデータが記録されたテープを人海戦術で回収して、本社に持ち帰るというのが仕事でした。データの分析は、別の担当者がいましたね。
今でこそ、この手法自体は根本のところは変わらず、データがデジタル化され、毎日、東京の本社に集められ、土日・祝日以外は、翌朝の9時30分には、各テレビ局や、広告代理店・企業・出版社、新聞社などの(クライアント)にFAXやデータ画面で届くようになりました。
ちなみに、現在この視聴率や聴取率データを扱っているのは、ビデオリサーチ社で、広告代理店・電通の子会社でもあります。
このデータは、契約している会社や企業にしか明かされません。
ビデオリサーチ社は、このデータを、販売することで収益を得ています。
種類は「日報」「週報」「月報」の三種類だったと思います。(昔の話なので今は異なるかもしれません)。
昔は、一家に一台テレビがあれば、そこそこ贅沢な家庭と言われていました。あとは内風呂。
何故か、我が家には内風呂もありました。
両親が共稼ぎだったので、生活には余裕があったのかもしれません。
自分は、当時で言うところの「鍵っ子」でした。
ただ、他の方と異なるのは、家と保育園が一緒の建物なので、遊ぶことには困らなかったですね。保母さんたちが遊んでくれたりしていました。
当時は、母親や保母さんの目を盗んで、園から抜け出して最寄り駅まで行って、無賃乗車で電車に乗り、終着駅迄行ったことが複数回ありました。
改札も、当時は有人でしたが、子供は見逃しがちだったのだろうと思います。
何度も何度も、母親を困らせていました。
話が脱線しました。
この時間になって、ようやく風が出てきましたね。しかも北風のようです。
さて、洗濯物を取り込んで、、、と。
晩飯の献立は、、、。今日はハムエッグかな。米も研いであるし。
つまらない話になりましたね。
