「腕組み会見」その腕の内側、本当に守るべきものは何だったのか
あの一瞬で、「あ、ダメだ」と思った理由。
ボート転覆の事故で死者が出た。それ自体がまず、とても悲しいことです。
で、記者会見があった。腕、組んでた。
「あ、ダメだ」って瞬時に思ったんですけど、なんでそう思ったのかをちゃんと言語化したくて、ちょっと考えました。
なぜあの態度で「通せる」と思ったのか
腕を組んで記者の質問に逆切れ気味に答えた安次富共同代表(元名護市議会議員・元沖縄県庁の福祉行政職)。
イライラの正体を分解すると、多分これです。
カメラの向こうを想像できていない。
目の前の記者を「論破する相手」として見ていて、その映像を見る何万人かの視聴者の存在がすっぽり抜けている。対面で言い負かすことが「勝利」だと思ってる。
これ、公務員的な仕事観とすごく親和性が高いんですよ。申請書類を審査して、窓口で対応して、声の届く人だけを相手にしてきた人間の思考回路。「見えない相手」を想定する習慣がそもそもない。
しかも彼のキャリアには「福祉行政のプロ」という背景がある。「平和でなければ真の福祉は実現しない」という信念で、長年この活動を続けてきた人。
その人が、18人の高校生を乗せたボートの安全管理をざっくりボランティアとして丸投げしていた。有償ボランティアの実態(五千円程度)もあった。
善意の活動と共に、雑な組織運営。
現場にいない人間が、現場のリスクより自分の正義に振れる。痛い目を見るのは現場の人。ブラックですねぇ。
「正義を持っている人」が安全を軽視するのって、実はめずらしくない構造なんですよね。
「基地を止める」という巨大な目的が、「目の前の命を守る」という具体的なリスク評価を「いつものことだから」に上書きしてしまう。
腕組みは、その構造の最終出力だったのかもしれない。
カネは出すが後は知らない、の顛末
もう一個、腑に落ちないことがあります。
辺野古基金という団体がある。宮崎駿氏や沖縄の経済人が名を連ねる、累計8億円超を集めた組織です。そこが「ヘリ基地反対協議会」に何千万円単位でお金を流してきた。
流れるお金の構造はこう。
基金 → 反対協(船を買う)→ 金井船長(謝礼5,000円)
ハードウェア(船)には金を出す。でも安全管理というソフトウ
ェアには金が回らない。白タク状態で何年も運用してきた。
これは、ずさんな安全管理を黙認したまま資金を流し続けていた、ということでもあります。
「このような事故が起きて悲しい」じゃなくて、その組織運営に加担してきた責任が問われるべきではないかと思いました。
企業なら説明責任、議員なら政治資金報告書、でも任意団体はそのどちらでもない。「善意でやってるんだから」が免罪符になる構造。
基金側の報告書には「〇〇団体へ支援金 〇〇万円」とある。その先でお金がどう使われたかを監査している形跡はない。
「お金を出して気持ちよくなる」「もらった側のやり方には口出ししない」
それが「連帯」として機能してきたわけですが、今回は死亡事故という形でそのツケが出た。
結局、同じ病気
腕組みも、ガバナンスの甘さも、根っこは同じに見えます。
「自分たちは正しい側にいる」という確信が、外からの視線を遮断する。
沖縄の問題が深刻だということは、そうだと思う。体験してない人間が偉そうに語るつもりはありません。
でも、「正しいお題目」があれば「具体的なリスク管理」が免除されるわけじゃない。
言ってることとやってることのちぐはぐさを、思想一本で上書きしようとする人がトップにいる組織を、信頼しろというほうが難しい。
あの腕組みは、そういう組織の「ありのままの姿」だったんでしょうね。
イライラの言語化、できてるでしょうか。
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ノートのメモリ16Gだととても熱いので新調できたらいいなあ…