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れいわ(笑)と冷笑する人へ。「王様は裸だ!」と叫ぶ政治が、今こそ必要な理由。

「様子見」の果てに、私たちはどこにいるのか

テレビの国会中継を見て、「また野党が揉めている」「どうせパフォーマンスだろ」と冷ややかな目を向けている人は少なくないでしょう。
特に、れいわ新選組の過激とも言われる戦術には「れいわ(笑)」と冷笑する空気があるのも事実です。
その独自のスタイルが賛否を呼び、彼らが選挙で議席を減らしてしまったのが現在の局面でもあります。
しかし、ここで一度立ち止まって、よく考えてみてほしいのです。

私たちがこれまで「お行儀が良い」「建設的だ」と受け入れてきた従来の政治のやり方で、果たしてこの国は良くなってきたのでしょうか?
「まあ、そのうちなんとかなる」と様子を見続け、永田町のルールにおとなしく従ってきた結果、
私たちの生活は今、どれほど深刻な崖っぷちに追い込まれているでしょうか。
実質賃金は下がり続け、格差は広がり、国の根幹を揺るがすような法改正が次々と成されていく。
いま必要なのは、安全な場所からの冷笑でも、これ以上の様子見でもありません。
周りからどれだけ笑われようとも、国家の暴走に文字通り命がけで「非常ブレーキ」をかける、
あの泥臭いスタイルこそが現代政治の「最適解」なのではないでしょうか。

「ガス抜き」と「馴れ合い」という名の大茶番

国会中継の「与野党の激しい対立」という構図。
しかしその裏側にあるのは、あらかじめ結末の決まった「出来レース」に過ぎません。
これこそが今日の政治不信、特に野党に対する不信の真の正体です。
国会には「審議時間をこれだけ消化したら、次の採決フェーズに入ってよい」という、与野党間の暗黙のルールが存在します。
つまり、どれだけ中身が危険な法案であっても、野党が「審議をしろ!」と要求し、
実際に委員会のテーブルに着いた時点で、可決へ向けたカウントダウンの時計の針が動き出してしまう。
テレビカメラの前で野党が怒鳴ったり、それっぽい質疑を繰り返したりすることは、
国民に対して「私たちはちゃんと仕事をして抵抗しました」
と言い訳をするためのアリバイ作りのパフォーマンスであり、
国民の怒りを無害化するための「ガス抜き」に過ぎません。
この「馴れ合い」の輪の中に留まっている限り、政治が本当に良くなることなどあり得ないのです。

「国民投票法」の罠と、開くこと自体のリスク

この馴れ合いが最も致命的な結果をもたらそうとしているのが、現在議論されている
「国民投票法(日本国憲法改正手続きに関する法律)」をめぐる動きです。
この法律には、以下のような致命的な欠陥が放置されたままになっています。

圧倒的な資金力の差:

CMやネット広告の総額規制がないため、メディアを賛成ムード一色に染め上げることが可能。つまり、数百億円規模の資金を投入できる与党側が圧倒的に有利。

最低投票率の規定がない:

投票率が30%にとどまっても、そのうちの過半数(全有権者のわずか15%程度)の賛成があれば、最高法規である憲法が変えられてしまう。極端な例を挙げれば、投票者が10人しかいなくても、賛成が5票あれば私たちの憲法は変えられてしまうということです。

短すぎる熟議期間:

国会発議から国民投票まで最短60日(約2ヶ月)というスケジュールが可能で、国民が考える時間を与えられていない。
実際、未だにはっきりした改憲草案すら政府は出していないのに発議だけを急ごうとしています。
いま国会で行われようとしているのは、これらの根本的な欠陥を無視したまま、単に「投票所の利便性を上げる」といった表面的な手続きだけを整える法改正です。
「形だけ綺麗に整えて『議論を尽くした』というアリバイを作り、そのまま憲法改正の発議へ突っ走るための呼び水にする」
――これこそが、今まさに目の前にある危機です。

既存の主要野党は「中に入り込んでブレーキをかける」と言い訳をする:

そのやり方で過去の暴走を止められなかったからこそ、今の惨状があります。
出口が決まっている議場には、最初から入ってはならない。
つまり「審査会を開かせること自体が、実質的民意の敗北へのスタート」なのです。

山本太郎が鳴らし続けた警鐘と、「王様は裸だ!」の叫び

ここで、れいわ新選組・山本太郎という政治家の歩みを振り返ってみてください。彼は、既存の「お行儀の良い国会プロレス」に付き合っていては国が滅びるという未来を、ずっと前から予見し一貫して訴えてきました。政治の世界における彼らの存在は、まさに目に見えない有毒ガスの発生をいち早く察知して鳴く

「炭鉱のカナリア」

だったと言えます。
他の野党が体面を気にして言葉を濁している間、山本太郎は自分たちの支持を減らし、議席を削ってでも、この国に迫る本当の危機を激しい鳴き声で知らせ続けてきました。
れいわ新選組が「品がない」「パフォーマンスだ」と冷笑されながらも、あの泥臭く激しい徹底抵抗のスタイルを頑なに貫いているのは、
目に見えない危機の牙が、すぐそこまで迫っていることがはっきり見えているからです。
今こそ、彼が予見し、守り抜いてきたあのスタイルが決定的な意味を持つ局面を迎えているのではないでしょうか。
今の国会は、全員が思考停止した予定調和のの空間でしかありません。
だからこそ、いま彼らが取る「すべての妥協を拒絶する姿勢」は、アンデルセン童話の『裸の王様』において、大人が見えない服を必死に褒め称える中、ただ一人、空気を読まずに

「王様は裸だ!」

と真実を叫んだ子供の姿そのものなのです。
野党が揃ってポーズを取る裏で、強行採決へのアリバイ作りが進行しているという信じ難い現実。
それを前にして、冷笑を恐れず「それはただの茶番だ!王様は裸じゃないか!」と叫ぶ存在が、今の日本にれいわ新選組以外にいるでしょうか。
国会の中の「馴れ合い」で勝てない以上、彼は時間がないという絶対的危機感を持って、外側にいる私たち「国民世論による包囲網」を作ろうとしていたのです。

残された時間は、本当に少ない

「そんなやり方をしても意味がない」と冷笑する人は、これからもいるでしょう。
しかし、日本という国が本当に取り返しのつかない崖っぷちに立たされている今、これまで通りの「生ぬるい戦い方」を繰り返し、様子を見続けることこそが、最も危険な選択です。
通常の法案であれば、後からやり直せるかもしれません。
しかし、憲法改正は一度変わってしまえば元に戻すことは極めて困難です。
崖っぷちに向かって走っている車を止めるには、車体が壊れるリスクを冒してでも、ハンドブレーキを全力で引くような存在が必要なのです。
「これをやらないで済むなら、それに刻したことはない。けれど、そんなわけにはいかないほど、この状況は後がない」
カナリアの警告に耳を傾け、国会の「ガス抜き」にNOを突きつける声は、まだ少数派なのかもしれません。
しかし、真実に気づいた一握りの人々の熱量が、やがて大きなうねりとなって時代を動かす例はいくらでもあります。
お行儀よく沈没していく国を見つめるのをやめ、歪みきったルールそのものをぶち壊す。山本太郎が立ち上げたれいわ新選組が貫いてきた、これまでの常識を疑うその姿勢こそが、今の日本における唯一にして最後の「最適解」であると確信しています。
皆さんも先入観を捨て、今までの議会のこと、政治のことをもう一度振り返ってみてください。

残された時間は本当に、本当に少ないのです。

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