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ちゃんと考えて言ったのに、なぜか伝わらない――近い相手ほど、正しさを早く渡してしまう

よかれと思って、ちゃんと考えて言ったのに、なぜか届かない


こういうこと、ありませんか。
友達に「それはやめた方がいいと思う」と言っただけなのに、なんだか気まずくなってしまう。心配して言ったはずの一言が、なぜか責めたみたいに伝わってしまう。
家族やパートナーとの話し合いでは、ちゃんと考えて伝えたつもりなのに、「わかってもらえない」という気持ちだけが残ってしまう。
職場では、改善のために言ったことなのに、同僚が少し構えてしまう。
仕事で提案や調整をする場面なら、筋の通った話をしたはずなのに、相手に思ったほど刺さらなかったこともある。

もちろん、人によって事情は全然違います。ここまで単純ではないよ、と思う場面もあるはずです。でも、形は違っても、
**「よかれと思って言ったのに、うまく伝わらない」**というモヤモヤは、わりと多くの場面にある気がしています。

しかも、こういうときって、こちらとしても少ししんどいんですよね。
別に意地悪をしたいわけじゃない。
むしろ相手のためを思っている。
ちゃんと考えて、筋道も立てて、できるだけ誠実に伝えようとしている。
それなのに、なぜかうまく届かない。
「自分は論理的にはそこまで間違っていないはずなのに、でも何か言い方や渡し方にまずいところがあったのかな」と、引っかかってしまう。
こちらとしては結構ちゃんと考えているので、伝わらないと地味にへこみます。そのうえで、反応が思っていた方向とずれると、いや、そっちがそうくるんかい、とは心の中でちょっと思ってしまう。

私自身、かなりそっち側の人間です。ちゃんと整理したくなるし、筋道を立てて話したくなる。放っておくと図まで描きたくなります。わりとすぐにです。なので、「正しいことをちゃんと説明したのに、なぜか相手が動かない」というあの感じは、かなりよくわかります。

ただ、仕事で人と調整したり提案したりする場面でも、家族との会話でも、友人とのやりとりでも、そういうすれ違いを自分でも何度か経験するうちに、最近ようやく、ほんの少しだけわかってきたような気がしています。

それは正しいことが伝わらないのではなく、
正しいままでは受け取れない”場面があるのかもしれない」ということです。
人は、正しさそのものに動かされるというより、「私はこう考えてこれを選びます」と、自分なりに言えるところまできて、ようやく前に進めることがある。どうも大事なのは、正しさそのものだけではなく、その正しさが相手の中にどう入っていくか、なのだと思います。

この記事では、そのあたりについて、私が仕事や日常の中で少しずつ考えるようになったことをまとめてみます。とくに、相手との距離が近かったり、こちらの思い入れが強かったりする場面ほど、このすれ違いは起きやすいのかもしれません。同じようにもやもやしたことがある人にとって、「そういうことかもしれないな」と少し気持ちが軽くなる材料になればうれしいです。

なぜ近い相手ほど、すれ違いやすいのか


この話って、言われるとかなり当たり前に聞こえます。「そりゃ、相手の気持ちも考えた方がいいよね」と。たぶん、多くの人がそう思うはずです。

それなのに、近い相手との会話や仕事のやりとりでは、似たようなすれ違いが起きてしまうことってありますよね。そこが、この話の少し難しいところだなと思います。

私が最近思うのは、こういう失敗は、「相手に無関心だから起きるというより、むしろ相手に思い入れがあるから起きることが多いのではないか」ということです。

近い相手だから。
好きな相手だから。
大事にしたい関係だから。
これからも関わっていく相手だから。
そして、自分なりに考えた材料や経験が、それなりに頭の中にたまっているから。

そういう条件がそろうと、人は「こうした方がいい」がかなり見えてしまうことがあります。しかも、その見え方にはだいたい筋がある。雑な思いつきではなく、ちゃんと考えた結論だったりする。

だからなおさら、その正しさを早く渡したくなる。でも、そのときに落ちやすいがある。

こちらの中で論理が立ち上がるほど、相手の感情やタイミングのような、論理だけではすくいにくい部分が見えにくくなる」

たぶん、ここが難しいところです。

相手のためを思っている。しかも、自分の中ではかなり筋が通っている。
だから、自分では「ちゃんと考えて誠実に話している」つもりなんです。
実際、それはたぶん本当です。でも、相手からすると、その正しさがまだ受け取れる形になっていないことがある。

そう考えると、この手のすれ違いは、単なる伝え方のミスというより、近さと思い入れがある関係でこそ起きやすい、ちょっと厄介なズレなのかもしれません。

近い相手にこそ、少し立ち止まる


こうして考えると、気をつけたいのは、遠い相手よりむしろ近い相手なのかもしれません。
よく知らない相手には、私たちは案外慎重です。
でも、身近な相手には、つい早く伝えてしまうことがある。
「この人には伝わるはず」
「ここまで言えばわかるはず」
「自分はこの人のことをちゃんと考えている」
そう思えるだけの近さがあるからです。

しかも、近い相手に対してこちらが正しさを早く渡してしまうのは、どうでもいいと思っているからではない。
むしろ逆で、相手のことを大事に思っていて、自分の中にもそれなりに考えた材料があるからこそ、「こうした方がいい」が見えてしまう。
だから、ついその正しさを早く渡したくなる。

でも、その近さがあるからこそ、少し立ち止まった方がいい場面もある。
正しさを曲げるためではなく、その正しさの置き方を考えるためにです。

ここで言いたいのは、言いたいことを曖昧にしましょう、ということではありません。私自身、こうした方がいいと思うことは、なるべく隠さずに伝えたいと思っています。ただ、その前後で、相手がなぜ別の考え方をしたくなるのか、その理由や迷いも雑に扱わないようにしたい。その方が、結果として相手も「自分で選んだ」と、自分の言葉で言えるところまで行きやすい気がするからです。

ここで、最近考えたことを一つだけ具体例として挟ませてください。
「失敗は成功の糧なのだから、どんどん失敗して場数を踏んだ方がいい」という考え方があると思います。
それ自体は、たしかに一理あります。
ただ、失敗への怖さが強い人に、いきなりその言葉をそのまま渡しても、なかなか届かないことがある。その人に必要なのは、まず「失敗してもちゃんと戻ってこられる範囲がある」と思えることだったりします。
つまり、正しいことを弱めるのではなく、受け取れる順番に置き直す。
たぶん、こういうことなのだと思います。

相手に思い入れがあるからこそ、論理だけで現実を突きつけてしまうことがある。
関係が大事だからこそ、受け取り方への想像力が少し痩せてしまうことがある。
だからこそ近い相手に対しては、正しさそのものより先に、その正しさをどう渡すかを立ち止まって一度だけ考えてみる。この記事でいちばん書きたかったのは、たぶんこのことです。

立ち止まって、わかり合った先にあるもの

ここまで書いてきたことを、いまの自分なりにまとめると、筋道立てて丁寧に話すことと、その話が相手に届くことは、同じではないのだと思います。

こちらが論理的にかなり筋の通った話をしていても、相手が「私はこう考えて、今回はこれでいきます」と自分なりに言えるところまでいかなければ、話は前に進みにくい。だから大事なのは、論理を弱めることではなく、
その論理が相手の中に入っていく順番や置き方なのだと思います。

もちろん、その手前には少しひと手間があります。
でも私は、そのひと手間の先にあるものが好きです。

ちゃんと話したからこそ生まれる信頼
ぶつかったのに壊れなかったことで深まる関係
「この人とはまた次も話せる」と思える安心感
一緒に決めたあとに残る、少し熱い達成感
そういうものは、たぶん楽に済ませたやりとりの中では、なかなか育ちにくいのだと思います。

だからこそ、近い相手にこそ、少しだけ立ち止まって、正しさの渡し方を考えてみる。それが結果的には、いちばん前に進むことにつながるのかもしれません。私はそんなふうに思っています。

あなたの大事な人たちに向けて、少し立ち止まり、耳を傾けること。
そんな些細なこと、でも難しいことへの心がけが、日常に柔らかさを添えてくれるのかもしれません。

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