Flash時代から現在まで:エンジニアリーダーx代表対談 [nide Inc. 20周年企画]
20周年記念シリーズでは、メンバーやニードに関わってきた方々へのインタビューを通じて、私たちが大切にしてきたこと、そしてこれからの未来について言葉に残していきます。
第1弾では、代表飯島に「知って、考えて、つくる」の起源からAI時代のデザイン論までを聞きました。
第2弾となる今回は、エンジニアの渋沢さんにお話を伺いました。

ニードとの出会いから、これまで携わってきたプロジェクト、そして20年という節目を迎える今感じていることまで。率直な言葉で語っていただきました。
前職での出会い
――まず、お二人の出会いについて教えてください。
飯島: 渋ちゃん(渋沢氏)とは前職の制作会社「アンティー・ファクトリー(以下:アンティー)」での同僚です。僕が辞めるか辞めないかというタイミングで、僕の案件を引き継ぐ若手デザイナーとして入ってきたのが渋ちゃんでした。
渋沢: 当時はデザイナーとして入社しましたが、アンティーにはデザイン部とFlash部があって、飯島さんは別のビルにあるFlashチームにいたんですよね。
飯島: そうだったね。当時は人数も25人くらいいて、僕はFlashの実装もデザインも両方やっていました。渋ちゃんとの一番古い思い出といえば……一緒にボーリングに行ったことかな。渋ちゃんが驚くほどボーリングが下手で(笑)。全部ガターだったのを覚えています。
ニードの立ち上げと、窓のない地下オフィス
――渋沢さんがニードにジョインしたきっかけは?
飯島: ニードを立ち上げる時に誘ったんですけど、最初は「まだFlashを勉強したいから」って断られたんですよ。
渋沢: そうでしたね。当時、アンティーでFlashへの転向を希望していた時期だったので、タイミング的に一度しっかり勉強してから、と思って。結局、設立から1年後くらいに合流しました。
飯島: その頃のニードはまだ6〜7人くらい。桜新町の窓のない地下オフィスでした。出社して、外に出たらもう真っ暗、みたいな精神と時の部屋状態。
渋沢: あの地下オフィスは懐かしいですね。そこでひたすらFlashを触っていました。

Flash全盛期とソニー「DI」グローバル案件の裏側
――2000年代後半はまさにFlashの黄金時代でしたね。
飯島: mixiのハロウィンキャンペーンとか、いろいろやりましたね。中でも印象深いのはソニーの「DI(デジタルイメージング)」のグローバルサイト。
渋沢: あれは大変でしたね。グローバルで仕様が決まっているんですけど、当時はまだちゃんとした実装テンプレートがなくて。断片的なレギュレーションと見た目だけのドキュメントから、こっちで想像して実装しなきゃいけなかった。
飯島: 新商品の「レンズだけカメラ(QXシリーズ)」の情報がリークされて社内がザワついていた時期で、情報が全然降りてこない中で「多分こうだろう」って実装を進めて(笑)。でも、結果的にサンフランシスコのチームから「日本が作ったサイトが一番いい。このエンジニアをこっちに連れてきてくれ」って言われるほど評価されました。渋ちゃんは「嫌です」って断ってましたけど。
100KBの制約と格闘した「ガラケーFlash」の思い出
――技術的な面で、今と一番違うのはどこですか?
飯島: ガラケー(フィーチャーフォン)のFlashですね。1ページ「100KB」という厳格なルールがあった。
渋沢: 画像1枚使ったら終わり、みたいな世界。ActionScript 1.0の時代ですね。タイムラインにコードを書いていく独特の作法がありました。
飯島: いかに画像を軽くするか、GIFとJPEGをどう使い分けるか。あの頃の最適化技術は今の比じゃないくらいシビアでした。
渋沢: 「EnterFrame(エンターフレーム)」がないと困る、みたいなFlash特有の感覚。リアルタイム通信(ソケット)も当時はFlashでやっていましたし、実は今できることの多くは、あの頃Flashですでに実現できていたんですよね。
リーマンショックと震災、そして消えた自転車
――20年の間には、厳しい時期もあったかと思います。
飯島: 2008年のリーマンショック。仕事が一気になくなって、給料を下げざるを得なかった。あの時助けてくれたのが、テレビ業界に繋がりのある「小杉さん」というプロデューサーの方でした。代理店経由の広告が止まっても、NHKなどの番組ウェブサイトの需要があった。
渋沢: あとは2011年の震災。地下オフィスだったので、本当に崩れるかと思いました。交通機関が止まって、僕が「どうしても帰りたい」って言ったら、飯島さんが大切にしていたBMX風のおしゃれな自転車を貸してくれたんですよね。
飯島: そう。そしたら渋ちゃん、途中のコンビニで盗まれちゃって(笑)。
渋沢: 結局、そこから家まで歩きました……。あの日は本当に災難でした。
19年間の絆と、これからのニード
――渋沢さんは、なぜ19年もの間ニードで働き続けているのでしょうか。
渋沢: 働きやすい環境だった、というのが一番です。ある程度自分の裁量に任せてもらえる。あと、飯島さんが「俺がいなくなったら、渋ちゃんもダメになるだろう」って思ってくれていたからですかね(笑)。
飯島: いや、逆だよ(笑)。僕の方が助けられています。アンティー時代に一ヶ月くらいしか接点がなかったのに「この人とやりたい」と思って誘って、ここまで一緒にやってこれた。前世で付き合ってたのかもしれない。
渋沢: 制作体制がデザイナーとエンジニアで分業化されて、効率化が進んだのもこの20年の変化ですね。これからも、作ることを楽しみながら続けていければと思います。
ニードの20年は、多くの人との出会いや協働によって作られてきました。
今回のお話からも、その時々で異なる挑戦を重ねながら、一貫して大切にしてきた価値観が見えてきたのではないでしょうか。
20周年記念シリーズは今後も続きます。これまでニードに関わってくださった方々の言葉を通じて、過去・現在・未来を見つめていきます。
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