人の心と秋の空
義兄の子供は小学生二年生。
活発で賑やかで、ママとマインクラフトが好き。
絵に描いたような男の子だ。
小学校に入学後、祖父母が学童まで迎えに行き、お義姉さんの仕事が終わるまで面倒をみる。なんて事が週に数回あってのもうすぐ二年間。

妻と息子と逢瀬公園を散歩
義甥が一年生の頃は、一緒に夕飯を食べてお風呂まで入れていたそうなのだけど、最近ではすっかりヤンチャになって、「じぃじとはお風呂入らない!」と素直に提案を聞かない事も増えたとの事。
ウチの息子はお泊まりの際、まだ「じぃじと一緒にお風呂に入るー!」と言って、じぃじに「一緒に入ってくれてありがとう」と言われていた。
……そのお気持ち、分かります。
「今だけ」だと、分かっているからこそ出てくる言葉だと思う。

しかし、たった一年で、祖父母への接し方も変わってしまうものなのだなと思った。
学校の友達や、習い事で出会う人も増え、学び、考える事も多いだろう。自分の見える世界も広がり、それまでの関係性は、出会いの数だけ、過去のものになっていく。
これは子供に限ったことではない。
大人でも、同じではないかと思う。

学生、社会人、独身、未婚、既婚、離婚、再婚、子供の有無。
それぞれのライフステージで、関わる人も付き合い方も変化する。
それは自分の置かれた環境によるもの、自身の考え方や内面の変化によるものなど理由は様々だろう。

付き合い方は変化していくけれど、同じ時間を過ごした記憶や感情は、変わるものではない。それはその人の中に在り続け、その人を形づくる一部として、ゆっくりと溶け込んでゆく。

夫婦関係もそうだ。
お互い楽しいだけの若い関係から、やがて二人で暮らし、一人の生き方から、二人での生き方を模索していく関係へと変わっていく。そこに家族が増えれば、また変化と模索は続いていく。

時間が無限にあればまた違うのかもしれないけれど、人の愛情や感情は無限ではない。何事にも掛けられる割合や時間は限られているのだ。

最近は、子供の感情も日々変化する。

それは成長ばかりではなく、その過程のトゲトゲしい感情もある。ふざけてお尻を出して笑う日もあれば、腹ペコの不機嫌で怒り向かって来る日もある。いや、だいたい向かって来る。そんな感情の振れ幅に、自分の感情がついていけない事も多々ある。
親としての対応が試される所であるが、親も一枚岩ではないし、こちらの状況にもよるだろう、とつい言い訳を探してしまう。
この子達の親は、私達だけだと分かってはいる。
願わくば、いつも心穏やかに微笑み過ごしたい。
それは自分との戦いでどうにかなるものなのだろうか。

中学生の子供を持つ知人から、「小さい頃からずっと反抗期だよ」なんて恐ろしい話も耳にした。
けれど、そんな日々が、ずっと続く訳ではない。
………はずだ。

じぃじとお風呂に入るのを嫌がる様になった義甥の様に、だんだんと、いつの間にか親の目からも離れていく。
きっと知らぬ間に離れ去ってから、いつもそばにいたそのぬくもりを、どこか懐かしく思い出すのだろう。
どこに行くにも小さな小さな手を繋いで歩いたこと。
車中で寝てしまい抱きかかえたその重さと温かさ。
すやすやと眠り瞑る眼と吐息のやさしさを。

秋の空の様に、変わりやすいのは女性の心に限ったことではない。良くも悪くも、人の心は変わる様に出来ている。

秋の紅葉が終わると、精一杯色付いた葉っぱ達は今年の役目を終えて朽ち、また来年、新たに芽吹き、花が咲き、種子を宿す。

ずっと変わらずそこに居続けているように思える植物達も、少しずつ、変わり続けている。
目に見えているもの、目には見えていないもの。
変わることを受け入れながら、自分もまた、しなやかに変わっていきたいと願う。
そして変わりゆく日々とその思い出を、時々思い出せる場所に、そっと静かにしまっておきたい。

今日はそんな、ある秋晴れの日の、穏やかな散歩日記。
最後までご覧いただき、ありがとうございました。

息子ははちみつとチーズのジェラート
ではまた、お会いしましょう。
