復活のM
「……まだいけます」
包丁を置いたその手元から、囁き声が聞こえた気がした…。
今使っている木製のまな板は、友人の結婚式の引き出物でもらったカタログギフトから選んだものです。もう10年以上、我が家に在籍するベテラン選手。
木製なので包丁を入れるたび、木肌に小さな傷が刻まれていきます。メインで使うわけではありませんが、時を重ねるごとに大きな傷も増えていきます。
そろそろ買い替えてもいいかな、と思うこともあります。けれど、10年以上共に過ごしてきたまな板に触れると名残惜しく、結局は更新を先延ばしにしてしまうのです。
しかし、使えば使う程、木肌の傷跡は増えるばかりです。
そんな時、時折まな板を整えてあげています。
まずはまな板君の現状を確認します。

刃傷やエグれたような傷も見える。
いつも頑張ってくれてありがとう。

このまな板の上で、これまで共に刻み過ごして来た日々に想いを馳せ、見つめます……
……すると、
「まだいけます!よろしくお願いします!」
まな板君から、そんな健気な声が聞こえてくるようでした。
よしよし、私に任せておきなさい。
でこぼこになった表面を整える作戦はこうです。
①#120番のやすりで研磨 荒削りで凸凹傷を消す。
②#240番のやすりで研磨 #120番のやすりの跡を消す。
③#400番のやすりで研磨 仕上げで表面ツルツル化。
④オイルを塗ってコーティング 軽撥水加工。

やすりの番手は、数字が小さい程粗く、大きい程細かいものです。
包丁の砥石は#300〜3000番、自動車の傷消しやツヤ出しのコンパウンドなどは#3000〜10000番などです。
まずは粗目の#120で、既に付いた包丁傷を削りとり、表面の凸凹傷をならします。手作業では体力が必要なので、サンダーという電動工具を召喚します。

サンダーの電源を入れると、やすりの部分が振動し始め、ビィューーーイーーーーーーーン!!と、我ここに有りとその存在をご近所に示さんとばかりに、けたたましい駆動音が鳴り響きます。
はじめはそっと、サンダーを木肌に沿わせます。

ジュインジュインジュインジュインと、やすりと木肌が擦れ合わさる音と、僅かに削られた木屑が舞いはじめます。
しかし、こんなものではまな板に刻み込まれた傷跡は消す事ができません。
男はサンダーに適度な力を加え、まな板が思うよりずっと強引に動かしはじめます。
そーらよ!

すると、まな板も耐えきれずに叫びだします。
「ぎょよええぇぇぇぇぇええええ!っくっ!」
少しエッジを立て過ぎてしまったようです。
私とした事がすまない。男はまな板に謝りました。
端の方で削ってしまうと、削り傷が出来てしまいます。
男はサンダーに込める力を緩めます。
しかしまだ、あの時出来た傷痕は消えていません。
男は入念に、そして執拗に木肌の木目に沿ってサンダーでなぞりあげます。木目と異なる方向に動かしてしまうと、新たにサンダー自体による削り傷ができてしまう場合があります。そんな事をしては男のサンダー職人としてのプライドが許しません。
木目に沿って削っていても、白昼サンダーによって削られるまな板の叫び声は消えません。
「うぉぉぉおおおおっ!たぎってきたあぁぁぁぁあ!」
「もっとぉぉおおおっ!もっっ!とぉぉおおおうぅ!」
……しかし、半分も削り終わる頃には、まな板は覚悟を決めた漢の顔になっていました。

程なくして#120番での研磨を終えると、まな板はスッキリとした表情に変貌していました。男はその顔をマジマジと眺め、削り残しがないか確認していきます。


削り残しがない事を確認すると、続いて#240番での研磨に取り掛かります。大方の傷跡はすっかり削りとられ、もう凸凹も見えなくなっており、#120番の研磨でついたやすりの跡を消していきます。そのため、先ほどよりは優しく研磨していきます。

はじめはそっと、まな板にサンダーを触れさせます。
ジュゥーウィーーーーン

削られたその身から、木屑が湧き出ては穏やかな風にさらされ流れて行きます……。
あの時……タマネギで流れた涙のように……。
男の力加減も抜群で、まな板も目を細め遠くを見つめています。うっとりと虚なその眼差しは、最近乗せられた桃やイチジクを思い出し、甘美に浸っているかのようでした。
男は優しく丁寧に、木目に沿って動かします。
しかし、優しいだけでは磨き抜かれていかないものです。
それは、優しいだけではモテずらい、人間社会のモテヒエラルキーと似ています。優しいけれど、時に刺激的に、時に左右どちらから削られるのか、予想不能な僅かな不安をスパイスに、気がつけばその存在が気になり恋に落ち、互いの心と体が結びつき、磨かれ合っていくのです。
さてなんのはなしでしたでしょうか。
そうこうしている間に#240番での研磨を終えると、最後の仕上げに#400番で研磨をしていきます。#240番でのやすり跡を削ると同時に、木肌の表面をツルツルに磨いていきます。やすりの表面も、ザラザラの粒が小さくなり抵抗感も小さくなります。

はじめはそっと、まな板にサンダーを触れさせます。
シュゥーウィンウィンウィンウィンと、乾いた音が鳴り響きます。

仕上げ磨きに余計な力は不要です。猫を撫でるように優しく軽やかに、フェザータッチで全体を均一に…
「そ、そんなに優しくしないでくだひゃ〜い!」
「ひゃぁぁあぁあああ#♪☆」
普段、鋭利な鋼鉄刃ばかりを身に受けているまな板にとって、#400番は身をよじる程のこそばゆさなようです。
もう少し、もう少しだ。
男はまな板の悲鳴に聞く耳も持たず、手早く仕上げていきます。
……できた。
男はおもむろにまな板に息を吹きかけます。
ふーーーっ。
男の吹いた息で、まな板についた木屑が舞い散ります。
まな板は心ここに在らずと言った様子で放心状態です。
男は構わず仕上がりを確認します。


よし。
サンダー職人の男は、その仕上がりに満足し、そそくさと道具を片付け始めました。あまり長く時間を掛け過ぎると、妻に叱られないか心配なのです。
そして室内へ戻ると木工用のオイルを取り出し、おもむろにまな板へ塗り広げていきました。



オイルが染み渡ると、それまで放心状態だったまな板君に意識が戻りだし、かつての美しい色艶が蘇ってきます。



塗ったばかりはしっとり。よく乾燥させます。
翌日再度オイルを塗って仕上げます。

乾燥後はしっかり水も弾きます。

そしてすっかり復活したまな板は、再びキッチンで自分の時間を歩めることに満足し、やる気に満ち溢れていました。研磨をする前とは見違えるようです。
「ありがとう。またよろしく!」
そんな声が聞こえたような、そら耳のような。
ものにも神様が宿るとし、ものを大切にする日本の文化があります。現在のサスティナブル(持続可能)な取り組みにも繋がる文化と心を、大切にしていけたらなと思います。
急に肌寒くなり、布団を出しました。秋の深まりを感じます。秋は、DIYの季節ですね。
ではまた、お会いしましょう。
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