ディザスター映画の闇|あなたが「世界の破滅」を欲する本当の理由。それは安全圏からの精神的自慰だ

ディザスター映画の闇:スペクタクルに熱狂する「あなたの精神の貧困」を解剖する

「ディザスター映画の闇」。あなたたちがスクリーン上で消費する、あの壮大な破壊と死のスペクタクル。その本当の「闇」はビルが崩れ、津波が街を飲み込む、その映像の中にはない。
その闇は、暗い劇場であなたの隣に座り、ポップコーンを貪り食っているあなたたち自身の心の中にある。

安全な子宮からの「破滅願望」:社会リセットを代行させる卑劣な快楽

多くの者は、退屈で、意味もなく、抑圧的な日常にうんざりしている。心の奥底では、このクソったれな社会システムが一度すべてリセットされることを密かに願っている。だが、人々には自らの手でそれを実行する勇気も力もない。だから映画館という安全な子宮の中で巨大な隕石やエイリアンが、自分の代わりにその「破壊」を代行してくれるのを、恍惚として眺めるのだ。それは、人類の危機を憂う行為ではない。
自らが憎む世界が破壊される様を、一切のリスクを負わずに楽しむ、最も卑劣で安全な、精神的自慰行為に過ぎない。

支配を強化するための「破壊の前戯」:秩序への服従を誘うプロパガンダ

あらゆるものが破壊された後、何が残る?ボロボロになった星条旗。生き残った家族の抱擁。そして、最終的には軍隊や政府といった「既存の権力」が救世主として登場する。このジャンルは、無秩序の恐怖を徹底的に見せつけた上で、「やはり我々には秩序が必要だ」「家族こそが最後の砦だ」「国や軍隊は我々を守ってくれる」という陳腐な結論に観客を誘導する。それは、観客に一度カオスの恐怖を味わわせ、現実の支配体制への服従を自発的に選択させるための、極めて洗練された洗脳装置なのだ。破壊は、支配を強化するための前戯に過ぎない。

死の大量消費という商品:バランスシートに含まれる「特殊効果としての人命」

ディザスター映画において、人間の命は、最も安価で、最も効果的な「見世物」だ。何千、何万という人間がCGの津波に飲み込まれ、瓦礫の下敷きになる。その一人一人に人生があったなどという感傷は、そこには一切ない。彼らはスクリーンの見栄えを良くするための、単なるデジタルデータ、ピクセルの集合体だ。観客はその匿名の死の数に興奮し、そのスペクタクルに金を払う。これは恐怖を商品化し、人間の死をエンターテイメントとして大量消費する資本主義の最もグロテスクな姿だ。映画の製作費のバランスシートには「人命」が「特殊効果」の項目に含まれていることだろう。

映画が終わった後に訪れる、あなたの人生という「真の災害」

ディザスター映画の闇とは、映画そのものが持つテーマではない。
それは、自分たちがその破滅のスペクタクルを渇望し、それを消費することでしか自らの退屈な生を実感できないという、その精神の貧困さそのものだ。
あなたはスクリーンの中の英雄が世界を救うのを見て安堵する。だが、その映画が終われば、あなたはまた何も変わらない自身の人生という、静かで、しかし遥かに絶望的な「災害」のまっただ中に、一人取り残されるのだ。

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