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私のニセコとニセコ化するニッポン

私の祖父母も親戚のおばちゃんもいとこのお兄ちゃんも、ニセコに住んでいたので、盆と正月はニセコで過ごしていた。
祖父母は他界したが、いとこは家族といまもニセコに住んでいる。

子どもながらに、ニセコは、私が住んでいるところよりも田舎で、お店もほとんどないし、役場も小さいし、お年玉をもらった子供が買い物できる場所もない街だなんて思っていた。反面、いとこたちと山の中を探検したり、車ですぐにスキー場に行ける楽しい場所だった。

大人になり、しばらくニセコにも足をのばすこともなくなった頃、ニセコの地価が上がっていると耳にするようになった。
その頃には、多くのオーストラリアの人達が冬のニセコにスキーのために来ているという時だった。

その数年後、子供のスキーの大会で訪れたニセコは、私が知っているニセコとは全く違う顔になっていた。
至るところに、英語の表記。
スキー場周辺には、おしゃれなカフェやパン屋さんがある。
お店の人も、海外の方ばかりだった。

「あれ?ここ外国?」ってくらい、変わっていた。

今は、いとこの所には冠婚葬祭くらいでしかいくこともない。
スキーをするにしても、我が家から車で30分圏内にスキー場が数カ所あるので、わざわざニセコに行くこともない。
ニセコはすっかり遠い街になってしまった。

しかし、遠い街になったのはそればかりでもない。
海外の人や観光客が楽しむ場所になったんだろうと。
ちょっと卑屈になっている自分の気持ちと、とっても身近だったニセコに今なにが起きているのか、ちょっと気になってこの本を読んだ。

谷頭和希著 ニセコ化するニッポン


ニセコがこんなに人気で、地価も高騰、外資系の高級ホテルの建設ラッシュがすすんでいる。
高級ブランド店のロゴがゴンドラを彩ったり、ニセコ限定商品を販売したり、そのために芸能人が集まったり。
ターゲットは、世界の富裕層。
この本では、こうした現象を「選択と集中」と呼んでいる。
何かを「選択」するとそこには選ばれない、いわゆる「排除」されるものもいる。
排除されているのは、私のような日本の庶民。
そりゃそうだ。どんなに雪質がいいからと言っても、1泊10万円も20万円も払ってスキーのために、ニセコに行かない。
ニセコから、我々は排除されているのだ。

これはニセコに限ったことではないと『ニセコ化するニッポン』を読んでいると理解できる。
いくつかの例が載っている。例えば韓流の街新大久保。
他にもスタバにびっくりドンキーなど、興味がない人は行くことのないところ。

以前は、百貨店や大手スーパーの様に、なんでも売っていることが戦略だったのに、今は『選択と集中』しないことで、ガタガタと崩れている。
なんでも屋さんの時代より、こだわりのこれを売っていますが好まれる時代なのかもしれない。

選択された側と排除された側で考えると、正直、寂しい気持ちもある。
しかし、日本に残る伝統工芸の様に、職人さんのこだわりの商品に光が当たることや店主のこだわりの品を提供することも「選択と集中」の表れだろう。

『選択と集中』『排除』、表裏一体。
この先どんな『選択』が世の中を賑わすのか、ニセコ化を目指しているところはニセコの様になるのか、ニセコと違う味を出せるのか。
ニセコ化は、身近なところで起きている。





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