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私が精神疾患を発症したきっかけ(初めての友達の死)

こんばんは。
昨日もたくさんのスキを頂きありがとうございました。
自分の病気の事をこうして文字にする事が初めてで、思い出す事が凄く怖い時が有りますが、読んで下さる方が居て下さると思うと、とても励みになります。
今日は前回の地獄の日々の始まり…の前に初めて人の死を間近にした時の事を綴らせて下さい。
私が4歳くらいの頃、母と暮らしていたアパートの2階にひろくんと言う男の子と両親と3人が住んでいました。
ひろくんは生まれつき脳性麻痺で体が動かなかったけど、いつも笑ってくれて意思疎通が出来ました。
私はひろくんが大好きで、毎日ひろくんのベビーカーに無理矢理一緒に乗って、お散歩に連れて行って貰ったり、ひろくんの両親と私の母と色んな所へ遊びに行きました。
そんなある日、私はいつもの様にひろくんの部屋へ遊びに行っていました。
ちょうどお昼時でひろくんのお母さんがひろくんにご飯を食べさせていました。
その時急にご飯が喉に詰まり、ひろくんが咽せて苦しみ出しました。
ひろくんのお母さんはひろくんを逆さまにしたりして何とか詰まっている物を出そうとしたりしていました。
すぐに救急車が来ましたが、手遅れでひろくんは呆気なく天国に旅立ってしまいました。
お通夜では大人の人がたくさん集まり、皆泣いていました。
私はまだ「死」の意味が理解出来ておらず、何が起こったのかよく分からなかったけど、もうひろくんには会えないんだ…と感じていました。
その時近所のおばさんが、ひろくんのお母さんに「早く亡くなって良かったね。」と言ったのです。
幼い私はその意味がまだ分からなかったのですが、後にその意味が分かりました。
どうして障がいがあると生きていない方が良いんだろう…
今思うのは私は見えない障がいを抱えています。
私も早くに亡くなっていれば良かったのかな…って…
その近所のおばさんは私の母にもそんな事を言うのかな…って…
今思い出すと私は生きててごめんなさい。って思います。
ひろくんの何十年も生きてしまってごめんなさい。って…

ひろくんの両親はその後引っ越しをしてしまいましたが。
何十年も経った今も私を子供の様に可愛がってくれています。
そして私はいつもこの人達の元に生まれていれば、私はたくさんの愛情を受けて育っていたのかなって…思います。

地獄の日々の始まり…を書く予定でしたが、1つの思いを書き出すと長くなってしまいました。
次回は母と義父との地獄の日々を少しずつ書いていこうと思います。
今回も読んで下さりありがとうございました。


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