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ミャンマー人の大将と梅干しサワー

 JR代々木駅前の大衆酒場で、女友達の上杉は追加の梅を求めていた。彼女の手には、グラスが2つ。どちらも焼酎のソーダ割りが並々と注がれており、底にはゆるいジャム状の果肉をまとった梅の種が、ひっそりと沈んでいる。
 私たちは赤提灯系の店に来ると、決まって梅干しサワーを頼む。この日も1杯目を早々に飲み干し、即座におかわりを注文した。店員に「グラスはそのままで。ここに次の梅干しサワーを入れてください」と伝えたが、そこに新たな梅の気配はなかった。

 梅なしの2杯目を不満げに見ながら、彼女はふと思い出したかのように言った。
「大将、元気にしてるかな」。

***

 上杉は20年来の友人だ。上京後、互いに酒好きという点で馬が合い、毎週飲む仲になった。その頃、私たちのベースキャンプは不動前だった。当時私は中目黒に、彼女は旗の台に住んでおり、中間地点の不動前に集まっては杯を交わした。

 そして、生まれて初めての行きつけができた。

 不動前駅の改札を出て、五反田方面に2分ほど歩いた場所にその店はあった。店構えは全体的に焦茶色。正面の壁面看板には、相撲書体らしき「居酒屋」の白文字がどーんと打ち付けられている。夕方になれば提灯と店看板がぽっと灯り、黄色い暖簾がなびく。

 店名は「雷」。カミナリと書いて「ピカ」と読む。

 ピカは、地元民に愛される大衆酒場だった。そう広くない店内は、近隣のサラリーマンや家族連れでいつも賑わう。壁の棚には常連客のキープボトルがぎっしり並べられ、店の人気を物語っていた。

 初めて行った日のことは、当然酔っ払っていて覚えていない。だが「絶対にまた近々来よう」と固く誓ったのは覚えている。

 それから10年近く、私たちはこの店に通い続けた。

 ツウぶってはみたものの、未だに「ピカの名物は何か」と問われると言葉に詰まる。ホワイトボードの「今日のおすすめ」には、つまみ系からご飯ものまで常時30品以上が並んでいた。それも「納豆の天ぷら」「白菜漬け」「チーズしそ入りマグロかつ」「アンチョビポテト」「焼きめし」など、はらぺこの酒飲みにはたまらない一品ばかり。ちなみにピカの冷菜にはオニオンスライスが、鉄板料理には紅生姜がこんもり添えられており、暴飲暴食の罪悪感が少し和らぐのもうれしかった。

 旬菜も豊富だ。「菜の花のおひたし」がおすすめから消え、「水なす」に変わる頃、蒸し暑い夏がくる。冬には好物の「白子の天ぷら」と「白子ポン酢」を注文し、白子づくしに歓喜した。

 およそ500円前後という良心的な価格設定も、薄給の20代にはありがたかった。
 だが一部例外もある。中でも2,000円超えの高級品「ステーキ」は、私たちの憧れだった。最も天井に近い黒板に書かれたその文字を、神棚でも見つめるような気持ちで眺めていた。

 ピカを切り盛りしていたのは、ミャンマー人のおっちゃんだ。雇われ店長の彼は、客から「大将」と呼ばれて慕われていた。大将は注文が入ると「あいよ!」と威勢よく応え、厨房でひとり腕をふるっていた。混雑時は外国人店員たちにてきぱき指示を出し、華麗に注文を捌いていく。にんまり笑いながら「いつもありがとね、また来てね!」と気持ちよく客を見送る様は、まさに大衆酒場の大将そのものだった。

 大将がミャンマー人だと知ったとき、ああなるほどな、と合点がいった。ときたま知らない言葉で話す店員は皆、大将の同胞だった。手書きのランチメニューは、漢字だけ妙に角張っていたり、たまに送り仮名が抜けていたりして、愛嬌と努力がにじんでいた。
 いつだったか大将は、キープボトルの隙間に飾られたA4サイズほどの刺繍地図が、ミャンマー国のものだと教えてくれた。各地方が色とりどりに縫い分けられたそれを見て、「全然帰ってないんだけどねえ」と言っていた気がする。


 梅干しサワーはピカで覚えた。梅好きの上杉が先にハマり、私も後に続いた。ピカの梅干しサワーは、焼酎ソーダ割りのてっぺんに、真っ赤な梅干し1つとお気持ち程度の赤紫蘇が乗っていた。
 私たちは炭酸が溢れぬよう、マドラーで梅を慎重に沈め、ほぐしながらいただく。1杯飲みきっても果肉は残るので、あえてグラスは交換しない。具合をみて梅を追加したり、しなかったりしながら、2杯、3杯とおかわりを重ねる。これが私たちの梅干しサワーの流儀だ。
 大将はいつも頃合いで「梅いるー?」と声をかけてくれた。私たちは厨房まで聞こえるよう「梅いるー!」と元気に答える。大将は「あいよっ!」と返すと、プラスチック容器からひょいっと実をつまみ、私たちのグラスに入れてくれた。梅が濃いだの薄いだの言いながら、私たちはいつも閉店近くまで話し込み、ご機嫌で店を後にしていた。

 私の27歳の誕生日。上杉はピカでサプライズを仕掛けた。ホールケーキを大将に託し、ちょうどいいタイミングで出すようお願いしてくれていたのだ。
 突然店内の照明が消え、真っ暗になると、客席はざわついた。ここは焦茶色の大衆酒場だ。粋なバースデーサプライズに出くわすとは誰も思わない。私も隣席のサラリーマンと同じく、「停電か?珍しい」と思った。
 大将はろうそくの灯りを頼りに、「ハッピバースデー、トゥ、ユー」と歌いながら、私のもとへやってきた。
 白い皿に乗ったショートケーキは、かわいらしいニンジンのお花で囲まれていた。きっとケーキだけでは味気ないからと、仕事の合間に飾り切りをしてくれていたんだろう。生クリームと生野菜の奇跡の遭遇に、私は涙を流して笑った。

 ピカで飲んでいるとあっという間に夜が更け、時間は過ぎ、私たちは光の速さで三十路を通り越した。上杉は結婚し、母になり、離婚した。何年経っても、どんな私たちであっても、大将は「いつもありがとね、また来てね!」と笑顔で送り出してくれた。


 不動前にピカはもうない。数年前、突然閉店した。



 ピカは、私たちの青春だった。パワハラ上司の鬱憤や色恋に立ち込めた暗雲も、大将の料理をおなかいっぱい食べ、酒を飲んだらすぐ晴れた。二人とも大した話はしていないのだが、話せど話せど話は尽きなかった。梅干しサワー片手に、笑ったり泣いたり怒ったりする奔放な私たちを、大将はいつもおだやかに見守ってくれていた。
 30歳をまたぐ10年間は、とてつもなく目まぐるしい。環境やコミュニティ、肩書きが、くるくる入れ替わる。その度に混乱し、時に傷つき、なんとか順応しながら生き存えなければならない。だからこそピカが変わらずあり続けてくれたことが、どれほど心強かったか。私たちはあの場所があったおかげで、激動だった20代の日々を今、青春として愛おしく振り返れる。


***


 「大将、元気にしてるといいよね」。


 私たちは梅干しサワーを飲むと、大将が恋しくなる。ピカの梅干しサワーは、どこにでもある普通の梅干しサワーだ。飲みたくなったらその辺の居酒屋に入れば、ほとんど同じものが飲める。

 ただ私たちにはもう、梅の具合を心配してくれる人はいない。


 かつてピカだった場所は、全く別の小綺麗な飲食店になってしまった。たまに不動前を訪れるが、もうマルエツへ買い出しに出る大将の姿はない。もしかしたら都内ではなく、あの刺繍地図のどこかにいるのかもしれない。


 梅干しサワーは大好きだ。でも多分この先もずっと、私たちは梅干しサワーを口にする度、少しだけ寂しい。

#創作大賞2025 #フード部門


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