見出し画像

心の配達:#004 怒りをしまい忘れた人

看板には、こう書いてあった。

「公共施設内での“怒りの魔法”は火災報知機に連動しています」
「怒りを感情魔法に変換する場合は、行政許可が必要です」

……でも、わたしたちは知っている。

怒りの正体は、ときどき
“伝えそこねた優しさ”だったりする。


本日の処方箋  
――
〈ゆらぐ夕暮れの小瓶〉
効能:言葉にならなかった怒りの温度を、風にまかせて届ける。

副作用:誰にも届かないことが、少しだけ怖くなる。

「……火災報知器と連動って、過敏すぎじゃない?」
ルナが看板を見上げ、肩をすくめる。

「怒りって、火の魔法に似てるからかな」
ミナは静かに答えた。

セプトが、足元で低く鳴いた。
「……時間だね」



依頼人は、18歳の青年だった。

学生ではない。働いてもいない。
書類上の身分は“定職不定”。

けれど彼の瞳だけは、妙にまっすぐだった。

「……で?届けたいのは“怒り”ってこと?」
ルナが確かめると、彼はうなずいた。

「……どうしても、伝えたい相手がいてさ。
怒ってるってこと、わかってもらわなきゃ、
前に進めない」

「その“相手”って……」
「母親」

ルナとミナは目を合わせた。

魔法薬で扱うには、複雑すぎる感情。
未消化の火薬みたいなもの。

「副作用が強く出るかも」
「それでもいい」

青年の声は、揺れなかった。
だからこそ、ミナは静かにうなずいた。



調合された魔法薬は、琥珀色に濁っていた。

通常の感情薬より、
ずっと重たく、揺れにくい。

「“怒り”の素材って、どう集めたの?」
ミナが小瓶を見つめながら訊ねた。

「本人の記憶じゃ足りなかった。
だから、
“言えなかったこと”と、“聞いてもらえなかったこと”を合わせて蒸留した」

ルナは肩をすくめる。

「怒りってさ、
“誰かに届かなかった自分”の
残りカスだと思うのよね」

ミナは何も言わず、小瓶を青年に渡した。

「これ、今日の夕暮れまでに使ってください。
……でも、
ひとりじゃなくて、“誰かがいる場所”でね」

青年はうなずいた。

その目に、
はじめて少しだけ迷いが浮かんでいた。



15分後、ふたりは坂道をくだっていた。

「怒りってさ、本当に誰かに届くと思う?」
ミナがぽつりと訊ねる。

「届くかどうかじゃなくて、
出してみないと、
たぶん自分でも中身がわからないんじゃない?」

ルナは言ったあと、
小瓶の重みを思い出したように手を握りしめる。

「セプト、記録して」
「今日の配達は、燃え残った気持ち。
でも、ちゃんと温度はあった」

黒猫セプトは、風に耳をすませていた。

そして、
ひとつ小さく鳴いた。



記録係・セプトの追記:
青年はその日、母親と会うことはなかった。

けれど代わりに、
母の古い手紙を開いたという。

便箋には、こう書かれていた。

『ごめん。あなたの怒りが、私をまだつなぎ止めてくれてる気がする』

その言葉を読み終えたとき、
彼の手の中で小瓶は音もなく割れた。

中の薬は消えたけれど、
空気がすこしだけ、あたたかくなった。

小瓶が割れた数秒後、
隣室の火災報知器が一度だけ小さく鳴った。

すぐに止まったが、
誰もその理由を説明できなかった。

いいなと思ったら応援しよう!