心の配達:#004 怒りをしまい忘れた人
看板には、こう書いてあった。
「公共施設内での“怒りの魔法”は火災報知機に連動しています」
「怒りを感情魔法に変換する場合は、行政許可が必要です」
……でも、わたしたちは知っている。
怒りの正体は、ときどき
“伝えそこねた優しさ”だったりする。
本日の処方箋
――
〈ゆらぐ夕暮れの小瓶〉
効能:言葉にならなかった怒りの温度を、風にまかせて届ける。
副作用:誰にも届かないことが、少しだけ怖くなる。
「……火災報知器と連動って、過敏すぎじゃない?」
ルナが看板を見上げ、肩をすくめる。
「怒りって、火の魔法に似てるからかな」
ミナは静かに答えた。
セプトが、足元で低く鳴いた。
「……時間だね」
◆
依頼人は、18歳の青年だった。
学生ではない。働いてもいない。
書類上の身分は“定職不定”。
けれど彼の瞳だけは、妙にまっすぐだった。
「……で?届けたいのは“怒り”ってこと?」
ルナが確かめると、彼はうなずいた。
「……どうしても、伝えたい相手がいてさ。
怒ってるってこと、わかってもらわなきゃ、
前に進めない」
「その“相手”って……」
「母親」
ルナとミナは目を合わせた。
魔法薬で扱うには、複雑すぎる感情。
未消化の火薬みたいなもの。
「副作用が強く出るかも」
「それでもいい」
青年の声は、揺れなかった。
だからこそ、ミナは静かにうなずいた。
◆
調合された魔法薬は、琥珀色に濁っていた。
通常の感情薬より、
ずっと重たく、揺れにくい。
「“怒り”の素材って、どう集めたの?」
ミナが小瓶を見つめながら訊ねた。
「本人の記憶じゃ足りなかった。
だから、
“言えなかったこと”と、“聞いてもらえなかったこと”を合わせて蒸留した」
ルナは肩をすくめる。
「怒りってさ、
“誰かに届かなかった自分”の
残りカスだと思うのよね」
ミナは何も言わず、小瓶を青年に渡した。
「これ、今日の夕暮れまでに使ってください。
……でも、
ひとりじゃなくて、“誰かがいる場所”でね」
青年はうなずいた。
その目に、
はじめて少しだけ迷いが浮かんでいた。
◆
15分後、ふたりは坂道をくだっていた。
「怒りってさ、本当に誰かに届くと思う?」
ミナがぽつりと訊ねる。
「届くかどうかじゃなくて、
出してみないと、
たぶん自分でも中身がわからないんじゃない?」
ルナは言ったあと、
小瓶の重みを思い出したように手を握りしめる。
「セプト、記録して」
「今日の配達は、燃え残った気持ち。
でも、ちゃんと温度はあった」
黒猫セプトは、風に耳をすませていた。
そして、
ひとつ小さく鳴いた。
◆
記録係・セプトの追記:
青年はその日、母親と会うことはなかった。
けれど代わりに、
母の古い手紙を開いたという。
便箋には、こう書かれていた。
『ごめん。あなたの怒りが、私をまだつなぎ止めてくれてる気がする』
その言葉を読み終えたとき、
彼の手の中で小瓶は音もなく割れた。
中の薬は消えたけれど、
空気がすこしだけ、あたたかくなった。
小瓶が割れた数秒後、
隣室の火災報知器が一度だけ小さく鳴った。
すぐに止まったが、
誰もその理由を説明できなかった。
