【小説】その胃袋は、放蕩につき
これは──
”下書き”という
note海の底に
沈んでいた物語。
旅に出る理由なんて、だいたい三つだよ。
一つは逃げるため。
二つ目は探すため。
三つ目?
──そりゃもう、
飯がまずかったからに決まってるじゃないか。
塩っけのないスープに、冷めたパン。
胃袋ってのは正直でね、
誤魔化しがきかないんだよ。
あの時、
スプーンを置いた瞬間に決まったのさ。
騎士団が解散した日のことだ。
バロンが言ったんだよ、しれっとした顔でね。
「副団長殿、次は何を守るおつもりで?」
あたしゃ、答えたよ。
「胃袋さ」ってな。
そうして今、
あたしはまた道の上にいる。
傍らに、
白髪まじりの老犬と、
どこからともなく現れた赤猫。
道端のスープに、
食材の洞窟、
魔法の看板
──旅は再び、腹から始まる。
指先に、潮風がざらりと触れる。
この感じ、きっと今日は“当たり”の日だね。
◆Scene 1:風が塩を運ぶ町で、腹が鳴った
坂の向こうに、白く霞んだ町が広がっていた。
屋根に干された布が、風にぱたぱたと踊る。
「“塩焼の町”、だってさ。
名前のまんまってのも、悪くないね」
思わずつぶやいた声に、
バロンが鼻をひと鳴らしで返した。
あたしは一歩、踏みしめてから町を見下ろす。
塩の匂いが、
じんわりと靴底まで染みてくる気がする。
「ここは昔、海からの侵攻を防ぐ砦でした。
塩を焼いて、風を通す
──それがこの町の防壁だったそうです」
バロンの声が、どこか懐かしげだった。
「今はどうだい?」
「……パンの匂いが、代わりに砦を守ってますな」
なるほど、と鼻を鳴らす。
こんがりと焼けた何かの香ばしさが、道の奥から届いてきた。
足元を見ると、
赤猫がいつのまにか石の上に座っている。
目を細めて、じっとあたしを見ていた。
あたしゃ目を細め返した。
「……腹が鳴るね、クロノ」
赤猫は何も言わない。
けれど、たぶん聞こえてる。
◆Scene 2:塩芋と、祈りの前の咳ばらい
通りを下るたび、塩気が濃くなっていく。
風が混ざってるんだよ、
焼けた油と海のにおい。
あたしは鼻をくすぐるその香りを、
手綱みたいに掴んで
引っ張られるように歩いていく。
「腹が鳴ってるね、バロン」
振り返ると、
老犬は無言のまま、しっぽだけ一度揺らした。
そういうとこが好きなんだよ、こいつの。
通りには、屋台がずらりと並んでいた。
金属の煙突から、
もくもくと白煙が立ち昇っている。
焼き、揚げ、蒸し、茹で──
どの香りも一口ずつ欲張ってる。
肉の匂いが強すぎて、
バロンの鼻がむずがゆそうに動いてた。
「犬ってのは、ほんと正直だねぇ。」
そのなかに、目を引く一品があった。
木箱の上、
網に乗せられてるのは丸ごとの小芋。
皮ごと揚げられてて、
上からざざっと粗塩をふられてる。
味の想像が追いつかないような料理って、いいね。
胃袋が先に身を乗り出す。
「こりゃ……素材に対して、
極端に無遠慮な調理だねえ……」
あたしは呆れたように笑いながら、
嬉々として手を伸ばした。
小芋の串を取ると、
ちょうどいい熱が手に伝わる。
脂ににじんだ紙の感触が、
もう、
幸せの約束みたいなもんさ。
そのとき、バロンが小さく咳ばらいした。
まったく、お行儀係は今日も元気だよ。
「副団長。食事の前に、“献杯の祈り”を」
「またそれかい……お前さん、
旅暮らしになっても型を崩さないねぇ」
「いかなる食も、命の記録。
礼儀なくして口にすべきではありません」
バロンは真顔だった。
たぶん、あたしがいちばん油断する瞬間に
一番まっすぐなことを言うようにしてるんだ。
困った子だよ。
あたしは串をひとつ掲げて、片目を閉じた。
「……じゃあ、いただくよ。
海に、土に、火に、ありがとう」
祈りの言葉なんざ、たまにしか出ないけど──
今日はなんだか、言っておきたかった。
ひと口、かじる。
外はかりっとして、
中は熱々。ほくほく。
芋ってのは、胸の奥に直接届く食べ物だねぇ。
塩が沁みてくるタイミングで、
頭のどこかが懐かしさで満たされた。
あたしは
ゆっくり噛みしめながら、目を閉じた。
ああ、これは──“記録に残る味”だ。
◆Scene 3:言葉の代わりに、パンを分けた夜
腹がほどよく満ちたあと、ふっと風向きが変わった。
屋台の匂いとは違う、
もっと静かな、
小麦の匂いが鼻先に届いた。
「……パン、だね」
あたしは芋の串を口に咥えたまま、
においのする方へ首を向ける。
通りの端っこに、ぽつんと立つ建物があった。
壁は古く、
窓には“塩パンしか出ません”の
文字が貼られている。
店の名もない。看板も出てない。
なのに、その存在だけが
町の空気にじっと根を張ってる感じがする。
「こりゃまた、不親切なくらいに潔いねぇ」
苦笑しながら扉を押すと、
古い金属の蝶番がぎい、と鳴いた。
中は、静かだった。
パンの焼ける音と、空気にひそむ塩の気配。
そして──言葉を持たない店主。
カウンターの向こうに立っていたのは、
腕が片方ない男だった。
年のころは、あたしとそう変わらない。
だけど目が若い。
まだ何かを焼き続けてる目だ。
男はあたしに目もくれず、
薪窯の前でパンをひとつ、鉄板から取り上げた。
同じ形、同じ焼き目のパンが、
ずらりと棚に並んでいる。
「塩パン、ひとつ」
あたしが言うと、男はうなずき、
小さな紙袋にパンを入れて差し出した。
それだけだった。
金を払い、パンを受け取る。
言葉はなくとも、
ちゃんとしたやりとりだった。
店を出て、軒先の石段に腰を下ろす。
バロンがとなりに静かに座る。
いつの間にか、赤猫もいる。
赤猫クロノは屋根の縁にちょこんといて、
風に髭を揺らしていた。
「副団長。この町では、“最初のひと口を噛まずに溶かす”のが礼儀だそうで」
バロンがそう言った。
「溶かすって、あんたねぇ……パンだよ?
パンってのは噛むもんでしょ」
「声を出せなかった兵士たちが、
沈黙の中で分け合った味です。
最初のひと口は、言葉の代わりに──
ということかと」
あたしはパンを見つめた。
厚く焼かれた皮、その下にしっとりした白。
塩の粉が、ぽつりぽつりと散っていた。
「……なら、試してみようじゃないか」
パンを持った手を
少しだけ持ち上げ、目を閉じる。
ひと口。
噛まずに、そっと口の中に含む。
硬いはずの皮が、
意外なほど静かに溶けていった。
熱も、塩も、ひとつずつ、
身体の奥に降りてくる。
それはただのパンじゃなかった。
たぶん、誰かの夜だった。
何も言えなかった日々が、塩の奥に溶け込んでいた。
あたしは口の中で、それをゆっくりと見送った。
◆Scene 4:塩の町で、記憶が風になる
パンを食べ終えたころ、陽が少しだけ傾いてきた。
石段の影が長くなり、
風の中の塩の匂いも少しやさしくなる。
あたしは、
ふうっとひと息ついて、背中を伸ばした。
「……沁みたね、今日のは」
誰に言うでもなく、ぽつりとつぶやくと、
バロンが目だけこちらに向けた。
クロノは屋根の上から動かない。
だけど、風向きが変わるたびに、
その赤い毛並みがちらりと揺れて見えた。
店の脇には、古い門構えが残っていた。
かつて兵舎だったというその場所は、
今はただの空き地みたいになっていたけれど、
土の匂いの奥に、
何かがまだ立ってるような気がした。
「副団長」
バロンが、少し声を落として話し始めた。
「あの職人、弟をこの町で失ったそうです。
塩の砦が落ちた夜、最後までパンを焼いていたと」
あたしは静かに、目を閉じた。
「焼くためじゃなかったんだろうね。
……分けるため、だったんだろうさ」
戦の夜に、パンを分ける。
焼き続けたその時間が、誰かの命を少しだけ延ばしたんだとしたら──
それは立派な“記録”だ。
あたしの旅とも、ちゃんとつながってる。
クロノが、屋根からひらりと降りてきた。
その赤い目が、あたしの首元にぶら下がる銀のスプーンを見つめてる。
なにか言いたげだなんて、思いたくもない。
でも──そう見えた。
「……ああ。
これは、渡せなかった一杯の名残さ」
あたしは、誰にともなく呟いた。
クロノが、小さくしっぽを揺らした気がした。
風が、また塩を運んでくる。
◆Last Scene:スプーンが光った朝に
翌朝、町を発つころ、空は晴れていた。
光が白く、まるで塩の粒が空中に溶けてるみたいな朝だった。
道端で立ち止まりながら、
あたしはひとつ、ぼやいた。
「腹が減っては、世界が救えない」
「……救うおつもりでしたか?」
バロンが脇でくすぐったそうに言った。
あたしはにやりと笑う。
「やだねぇ。あたしゃ、腹を満たしただけさ」
救えたことなんて、一度もなかったよ。
でもまあ……
分けられるうちは、歩いてみようかね
バロンと並んで歩き出す。
背後では、クロノが小高い丘の上で、
こちらを見送っていた。
猫の目が、
きらりと細められた。
風がひと吹き、パンの匂いを運ぶ。
その中で──
首にかけた、古い銀のスプーンが、
ひときわ強く光った、気がした。
──なんのはなしですか?
これは、
割と本気で書いたファンタジー物語。
いくら書いても、書いても
原稿を出すのは、ちょっと怖い。
だから、今の自分の全力に
誰かの声が欲しくて。
「好き」「続き読みたい」でもいいし、
「意味わからん」でも嬉しい。
もし、どこか心に残る場面があったなら──
そのひとことが、次の話を進める力になります。
──とっぴんぱらりのぷぅ
