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福生の深夜にあった、辛い辛い記憶

6月21日の料理会にお越しいただいた皆さま、ありがとうございました。
その日、昔から来てくれているお客さんが来てくれた。
その方とは、もう30年近い付き合いになる。
いや、正確に言えば32年くらいになるのかもしれない。
自分がまだバーから飲食店を始めて間もない頃から、ずっと店に来てくれている。
最初の店。
その後、立ち退きで移った次の店。
途中からタイ料理の比重が少しずつ増えていった時期。
そして、今年の2月までやっていたタイ料理店。
すべての時代を知っている、かなり貴重なお客さんだ。
お酒に詳しく、タイにも定期的に行く方なので、話も自然と弾む。
その人が、30年ほど前に店へタイ料理を持ってきてくれたことがある。
それが、クンチェーナンプラーだった。

先日にホアヒンで食べた
クンチェーナンプラー


生のエビをナンプラーで締めて、辛く酸味のあるタレや香味野菜と一緒に食べる料理。
今なら、どういう料理なのかある程度わかる。
でも当時の自分は、タイ料理のことをほとんど何も知らなかった。
辛い。
パクチーくさい。
何だかよくわからない。
正直な感想は、たぶんそれくらいだったと思う。
今でこそ、東京にもタイ料理店はたくさんある。
ガパオ、トムヤムクン、グリーンカレーという言葉も、かなり一般的になった。
でもその頃は、今とはまったく違った。
ネットもSNSもない。
タイ料理の情報を簡単に調べられる時代ではない。
新宿、錦糸町、六本木のような、人が集まる場所や、タイの人たちが多く集まる地域にはあったと思う。
でも、普通に暮らしていて自然にタイ料理へたどり着くような時代ではなかった。
だから、その頃からタイ料理を食べ歩いていた人は、かなりアンテナが立っていたのだと思う。
その後、福生の赤線と呼ばれていた一角に、深夜から朝まで営業しているタイ料理店があることを知った。
その店は、タイ料理好きが静かに集まるような店ではなかった。
むしろ、遅くまでやっているから人が集まっていたのだと思う。
近隣の飲食店が終わった後の人たち。
夜の街で働く人たち。
横田基地の外国人たち。
店内にはカラオケもあった。
横田基地のアメリカ人が、深夜のタイ料理店で普通に歌っている。
その光景は、自分にはかなりのカルチャーショックだった。
店内は、少し山小屋のような雰囲気だった記憶がある。
洗練されたタイ料理店というより、夜の街の流れの中にある、少し混沌とした場所だった。
でも、そういう場所には、やっぱり鼻が利く人が集まる。
遅くまで飲めて、辛い料理があって、カラオケがあって、基地の人も近所の飲食店の人も混ざっている。
その空気ごと、自分には強烈だった。
料理は、何を頼んでもだいたい1,500円くらいだった記憶がある。
今なら、それほど驚く値段ではない。
むしろ内容によっては納得できる。
でも当時は、タイ料理で1,500円というのは、なんだか高く感じた。
ただ、料理は強かった。
とにかく辛い。
でも、ただ痛いような辛さではなく、酒を飲ませる辛さだった。
これを食べて酒が進まないのは、むしろ罪だと思うような辛さ。
生肉を使った料理の記憶もある。
その頃は、自分で何を食べたいと選ぶような感じではなかった。
詳しい人が注文してくれて、出てきたものを食べる。
何を食べているのかも、正直よくわかっていなかった。
でも今振り返ると、あの店はかなりイサーン寄りの料理を出していたのだと思う。

人気イサーン料理
豚トロ焼き コームーヤーン


当時の自分には、イサーン料理という意識もなかった。
タイ料理の中に地域差があることも、ほとんどわかっていなかった。
ただ、強烈に辛い。
香りが独特。
知らない味がする。
そして、酒が進む。
その記憶だけが、妙に残っている。
自分のタイ料理の入口は、洒落たレストランでも、きれいに整理された料理本でもなかった。
お客さんが持ってきてくれた、クンチェーナンプラー。
福生の深夜のタイ料理店。
朝まで飲んでいる人たちの中で食べた、よくわからない辛い料理。
その時は、自分が後にタイ料理の店をやることになるなんて、もちろん思っていなかった。
ただ、よくわからない辛さと香りだけが残った。
今思えば、あれが入口だったのだと思う。

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