リボ払いを知らない"キラキラ"と、どぶ板を踏んできた人間の話
今日、会社で起きた出来事が、どうしても頭から離れない。自転車で帰りながら録音したメモを元に、この話を書こうと思う。
違和感の始まり
帰ろうとしていた夕方、別部署の人から連絡が入った。話を聞くと、どうやらX(旧Twitter)のあるポストが気になったらしい。
内容はこうだ。
「お金がなくてクレジットカードの返済ができない。でも"今は2000円だけ払えば不利になりません"と言われたので払った」
この一文を読んで、カード会社の仕組みを知っている人ならすぐに理解できるだろう。返済が難しい人向けに、カード会社は正式なオプションを用意している。リボ払いへの切り替えや、最低返済額の調整。今月は数万円返せなくても、「今払える数千円を入れて、残りはリボで回す」というのは、ごく普通にある話だ。
コストを見れば良し悪しは一瞬で分かるし、それが得か損かは別として、詐欺ではない。ただの金融商品の一つだ。
ところが、連絡してきた人はこう言った。
「それ、カード会社を名乗った詐欺じゃないですか?」
「サイバーセキュリティ的に何とかできませんか?」
ツッコミどころが多すぎる
正直、どう返していいか分からなかった。
まず、そのXのポストを書いた人は、誰かを騙しているわけでも、悪評を流しているわけでもない。「お金がなくて困っている」という事実を、ただ叫んでいるだけだ。それを第三者が「詐欺かどうか調べろ」「どうにかしろ」と言われても、できることはほとんどない。
仮に本当に詐欺だったとしても、警察でもない見知らぬ第三者が、被害者から加害者情報の詳細を聞き出すのは難しいだろう。そもそも、ウイルス対応やインシデント対応を生業にしている部署の仕事じゃない。
じゃあ、この人は一体、何がしたかったんだろう。
たぶん、「うちの会社を名乗る詐欺がいるかもしれない」という違和感を、どこかに投げたかったんだと思う。でもその違和感の根っこには、もっと深い何かがある。
キラキラした世界と、どぶ板の世界
理由ははっきりしていた。
その人は、大資本の親会社から出向してきた、いわゆるキラキラした部署の若い女性社員だった。どんな顔をしているのだろうと人事システムで検索してみたけれど、大政絢に似ている。
偏見丸出しであえて言わせてもらううが、関東だったら青山学院あたりを卒業し、顔採用で有名なサイバー◯ージェン◯とか、楽◯とか、丸の内キラキラOLとかに居そうなメイクだ。
九州だと、早良区か中央区あたりの新築マンションか持ち家で育ち、西南大学に入学して大手JTCで採用広告とかに載っていそうな容姿だなと思った。
9時の始業でもフレックス出社をフル活用し、10時ぐらいにスタバのカップを持って悠々と出社してきそうだ。
たぶん、生活がカツカツになる経験も、借金の返済に追われる感覚も、「払えない側」の世界も、ほとんど知らない。
悪意があるわけじゃない。ただ、経験していないだけだ。
一方で、僕は新人の頃、債権回収の手伝いをさせられたことがある。今では考えられないけど、入社したら部署関係なく、どぶ板みたいな仕事を一度は踏まされる会社だった。
あれは本当にしんどかった。二度とやりたくない。でも、あの経験があったから分かることがある。
「数千円だけ払えば信用情報に傷がつかない」と言われて払う行為は、現実世界ではよくある話だということ。それを「詐欺だ」と即断してしまうのは、悪意ではなく、経験の欠如なんだと思う。
何より、金融の会社で働く者として、収益構造の理解がなさすぎる。
自分がキラキラOLできているのは、底辺の人間達が支払う金利のおかげだと言うことを知った方が良い。
総務だろうが、広報だろうが、そのキラキラは、多くのクズの小銭の上で成り立っているのだ。
金融に携わる会社は、資本主義社会では儲かっているケースが多い。
だが、自分たちのキラキラが多くの儲からざる人達から集めたお金の上に成り立っている自覚があまりにも無いと感じている。
世界の解像度
キラキラした環境で、綺麗で、注目される仕事だけをしてきた人は、どうしても"底"を知らない。どぶの中で、泥を踏んできた人間が見ている世界と、同じ地平には立っていない。
この「世界の解像度」の違いは、単なる知識の差じゃない。生きてきた環境そのものの違いだ。
リボ払いという仕組みを知っているか知らないかは、表面的な問題に過ぎない。その奥にあるのは、「生活が困窮している人のリアル」や「金融の負の側面」に対する視点の有無だ。
そして、この解像度の低さが、実務上の「ズレ」として現れる。
彼女は決して悪意があるわけではない。むしろ、「会社を名乗る詐欺かもしれない」という正義感や違和感から行動している。でも、その行動が現場にとっては的外れなものになっている。背景を知らないまま、自分の物差しだけで事態を判断し、「どうにかしろ」と他部署に投げてしまう。
そこには、無知ゆえの正義感がある。そして、それを受け取る側の、言葉を選ばざるを得ないもどかしさがある。
泥臭い経験の価値
「二度とやりたくない」ほど過酷だった債権回収の経験が、結果として「払えない側の世界」や「現実世界の仕組み」を理解する力に繋がっている。
この皮肉な事実が、今日の出来事を通じてくっきりと浮かび上がった。
そして、この出来事を聞いた後、もう一つ思い出したことがある。
借金取りの電話と、探偵ごっこ
幼少期、私の家には借金があった。
玄関に借金取りがやってくることもあった。電話が鳴るたびに、それが家族からなのか、借金取りからなのかを見分ける必要があった。だから私たちは、家族間で暗号のようなルールを作った。「2回ベルを鳴らして、1回切って、それからかけ直す」。まるで探偵ごっこのようだったけれど、それは生活防衛だった。
母は、いつも返済に追われていた。
「財布を無くした」
「会社の金を無くした」
「病気になった」
様々な嘘で、私からお金を奪っていった。そのお金は、返済に消えるか、パチンコに消えた。これは、経済的DVと呼ばれるものだったのだと、大人になってから知った。
子どもの頃の私には、「リボ払い」という言葉は知らなかった。でも、「今月はこれだけ払えば何とかなる」という母の言葉や、督促状の封筒を見て育った。「払えない側」の現実を、理屈ではなく、皮膚感覚で知っていた。
物語を読む感性
今日、あの女性社員から連絡を受けたとき、頭の中に蘇ったのは、その幼少期の記憶だった。
Xのポストに書かれた「お金がなくて、2000円だけ払った」という一文は、私にとって物語だった。その背景に、どんな生活があるのか。どんな選択を迫られているのか。どんな感情で、その2000円を振り込んだのか。
そのすべてが、言葉にならなくても、見えた。
でも、キラキラした世界で育ってきた人には、それは物語として見えない。ただの「怪しい情報」や「詐欺の可能性」としてしか見えない。
この差は、知識の差ではない。体験の差であり、体感の差だ。
幼少期の借金まみれの生活も、債権回収の仕事も、できれば経験したくなかった。今でも、あの頃のことを思い出すと胸が苦しくなる。
中年の息子の督促の電話を受ける、方言混じりの老婆の声が、今でも耳に、脳に焼き付いている。
でも、あの経験があったからこそ、私は今日のあのポストを「物語」として捉えることができた。
人の痛みを、数字やルールだけでなく、感情として理解する感性。それは、苦しみの中でしか養われないのかもしれない。
住む世界が違うということ
帰り道、自転車に乗りながら、この感覚をどうしても言語化したくて録音した。
「キラキラしてる人って、中身がないわけじゃないけど、世界の解像度が低いんだな」
この一言に尽きる。
住む世界が違うことで、見えている景色がここまで変わってしまう。同じ会社に勤めていながらも、その中には「出向組と現場組」「キラキラした部署と泥臭い部署」という見えない壁が存在する。
「リボ払いを知らない」という事実は、単なる知識不足ではない。それは、「生活がカツカツになる経験」をせずに済んできたという属性を示している。そして、そうした経験の欠如が、他者への想像力を奪い、結果として仕事の精度やコミュニケーションを歪めてしまう。
泥臭い経験を積むことは辛い。できれば避けたい。幼少期の借金生活も、債権回収の仕事も、二度と経験したくない。
でも、その経験には確かな価値がある。
痛みを知っているからこそ、他人の痛みが見える。底を知っているからこそ、そこにいる人の姿が見える。そして、物語として人を理解する感性が育つ。
今日の出来事は、そのことを改めて思い知らされる瞬間だった。
苦しみは、望んで得るものじゃない。でも、苦しみの中で得たものは、決して無駄じゃない。
それが、今の私を作っている。
