「君といると消えたくなる」−ボードゲームのようにリセットのできない現実。ドラマ『失恋カルタ』−
ボードゲームには、必ずルールがある。 手札の数、サイコロの目、勝利への条件。盤面を俯瞰し、あらかじめ設計された「最適な攻略法」に従って駒を進めれば、ゲームは決してプレイヤーを裏切らない。
たとえスタート時に実力差や手札の不条理があろうとも、ゲームが提示する「ルールの枠組み」そのものは、卓を囲む全員に対してどこまでも平等だ。負けたとしても「もう一回」と盤面をリセットすれば、また等しいスタートラインに立てる。
しかし、ひとたび現実の恋愛、あるいは「失恋」という名の盤面に放り出された瞬間、僕たちの知性は驚くほど役に立たなくなる。そこには公式のルールブックもなければ、不条理な格差を埋めてくれる都合の良いお助けカードも存在しない。そしてジェンガのごとく丁寧に積み上げた関係性もあるとき突然崩れ去ってしまう。
MBSのオリジナルドラマ『失恋カルタ』は、27歳という、大人になりきりながらも決定的な何かに拗れ続ける若者たちの、ままならない関係性を描いた一作だ。物語は、大学のボードゲームサークルで出会った千波、光、彩世の3人を中心に回っていく。
作中で何度も恋をしては失恋を繰り返す千波は、ある種、この「恋愛の不条理な割り切れなさ」を最も体現しているキャラクターだ。生きていく上の価値観が違って一度は別れたはずの元彼。けれど、自分や周囲の仲間たちでは「開けることのできなかった瓶」を、再会した彼は何気なく、いとも簡単に開けてしまう。千波はその瞬間に、理屈ではない運命の引力に導かれ、再び不条理な盤面へと足を進めていく。
これほどまでにドラマのような運命的な再会にも関わらず、このゲームも判断負けして失恋を繰り返す。
こうした彼らが織りなす「拗らせ」のアンサンブルは、それだけでも等身大の群像劇として十分に見応えがある。だが、本作が単なる爽やかな青春の延長戦を飛び越え、僕の胸に鋭くグロテスクなトゲを突き刺してくるのは、光と陸という「同性カップル」が直面する、あまりにもリアルな「生活階層の断絶」である。
フリーランスのライターとして成功し、親の潤沢な支援も受けながら、不自由なくキラキラとした世界で「いつでも笑顔」を浮かべていられる光。 一方で、地方から上京し、設備系の泥臭い現場仕事で日銭を稼ぎながらも、金銭的な理由で美容学校への夢を足踏みしている陸。そんな陸はいつも「苦しい顔」をしている。
千波の選んだ恋が「価値観の壁を越える相性の物語」だったとするならば、光と陸の前に立ちはだかったのは、「どれだけ相性が良くても、どれだけお互いを愛していても、現実の経済格差とプライドの前には、愛さえも無残に敗北する」という、見えない壁だ。
「恋とはいつも見えない壁があって触れられない」光はベランダでタバコを吸う陸の背中を眺めるしかできない。
一見すると、光の溢れるような優しさと「ケア(お世話)」によって包まれていたはずの二人の同棲生活。しかし、ゲームのように巻き戻しのきかない現実の部屋で、光が無自覚に差し出す豊かさは、陸の男としての自尊心を静かにゆっくりと摩耗させていくことになる。
なぜ、お互いを思いやる「最適解」を選んでいたはずの二人は、破局という最悪のバッドエンドを選ばざるを得なかったのか。
陸の生真面目さゆえの劣等感、そして彼らの周りで巻き起こる彩世の叫び。
現代社会が内包する「男性同士のケア」の限界と、目に見えない「男としてのプライド」が悲劇をもたらしてしまう。
「そうじゃなくて、俺は光みたいに‥」
光の生きる世界は、どこまでも輝いて、洗練され、満ち足りている。 フリーランスのライターとして成功し、実家からのバックアップもある彼の生活は、カミングアウトというハードルを越えた先にある、ひとつの「理想の姿」といっても過言ではない。
光がいつも浮かべている優しい笑顔、そして手入れされた「綺麗な爪」は、彼がこれまでの人生で、お金や選択肢の困窮によって生活を脅かされたことがないという、強者の余裕そのものである。
その一方で、上京して現場仕事に就いている陸の世界は、常に泥と、焦燥感と、数字の現実に塗れている。 美容学校に行きたいという夢がありながらも、常に「お金」という切実なネックが彼の足を引っ張る。陸が日常的に「菓子パン」を食べている。そんな陸に対して光は「栄養あるもの食べないと」と身体を気遣って声をかける。それは100%の善意であり、恋人への純粋なケアだ。
しかし、日銭を稼ぐことで精一杯な陸にとって、その「正しい言葉」は、自分の生活能力の低さを無自覚に刺してくる鋭い刃だ。正論はときに心にチクチクとした傷を残す。
ドラマの演出は、この二人の「男としての差」を、これでもかと残酷なまでに視覚化していく。
象徴的なのが、光のトークイベントのシーンだ。 華やかに言葉を紡ぎ、多くの人に求められる光のステージ。その輝かしい空間に足を踏み入れようとした陸は、ふと、自分が場違いなのではないかと思いとどまり、そのまま会場から引き返してしまう。立ち去る陸の「現場仕事で汚れた爪」が映し出される。
トークイベントに陸が来ていたことを見ていた光。しかし陸は「行けなかった」という。陸が気にしているのはセクシャリティのことだと考えた光は「友達のフリならできる」と豪語するも、陸は「俺は光みたいに‥」とモゴモゴとしてしまう。
光と対等になりたい陸は自分の劣等感を口にすることができずに言葉を発せずに食いしばる。そんな姿を見た光は「陸って苦しい顔するの得意だよね」と言い放つ。
もしも陸が、もっとずる賢く、不真面目な人間であったなら、光の財力に「甘えきる」という選択肢もあったはずだ。30万円をポンと借り、光の親から贈られた黒毛和牛を一緒に食べ、光が用意してくれたイージーな世界にヒモとして乗っかってしまえば、表面上の平和は維持できたかもしれない。
しかし、陸はあまりにも生真面目な男だった。「自分で選んで、自分の力で東京にきた」というささやかな自負だけが、彼の足元を支える唯一の杭だった。陸は光に寄生したいのではない。光と同じ「自分の力で立つ対等な男」として、彼の隣に並びたかったのだ。
だからこそ、光のきらめく陽だまりが強くなればなるほど、陸はその光に照らされる自分の「日陰」の惨めさに耐えられなくなっていく。
陸は大切なことを何も語らない。「一緒にいたいのに、一緒にいると苦しくなる」。満たされつつ光はそう感じていた。しかし同様に陸にとって光の部屋は、自分が「持たざる可哀想な存在」であること突きつけられ続ける、逃げ場のない檻へと変貌していったのだ。
「言ったら今までみたいに居られなくなる。苦しいの」
成功したフリーライターでありながら他者を思いやれる光はキラキラと輝いている。それなのになぜ、光の溢れるような優しさは、これほどまでに周囲の人間の心を摩耗させるのだろうか。その答えのヒントは、このドラマのもう一人の迷い子、彩世の痛切な叫びの中に隠されている。
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