尿意との付き合い方
僕は、ほんの少しでも尿意を感じると、それが気になってしまう。
その瞬間、すべての集中力がそちらに持っていかれる。
体感で言うと、エンジョイ度は3割ほど低下する。
そのため、僕は頻繁にトイレに行く。
映画館に行ったときなんて最悪だ。
上映前にトイレを済ませていても、「これから2時間ここに拘束される」と思った瞬間、頭の中はトイレのことでいっぱいになる。
途中で行きたくなったらどうしよう。
立ち上がれば迷惑になるし、かといって我慢すれば内容が入ってこない。
そう考えているうちに、なぜか本当に尿意が強くなってくる。
おそらく心因性のものなのだろうが、分かっていてもどうにもならない。
そのため、映画やライブに行くときは、必ず出入り口付近の席を選ぶようにしている。
すぐにトイレに行けるという安心感があるだけで、なぜか尿意は落ち着く。
逆に言えば、「逃げ場がない」と感じた瞬間に、すべてが始まる。
旅行で他人と同じ部屋に泊まるときも同様だ。
何度もトイレに行くと、「こいつどんだけ行くんだよ」と思われる気がしてしまう。
そのため、「3回以内に抑えよう」と決めるのだが、この制限が逆効果になる。
「来るなよ」と思えば思うほど、なぜか来る。
結果として、一睡もできなかったこともある。
ここまでくると、もはや尿意というより、概念に近い。
この記事を書いている今も、少し気になってきている。
一旦、トイレに行ってくる。
——
この性質は、最近始まったものではない。
僕が幼稚園児だった頃から続いている。
当時5歳だった僕は、この問題に対して一つの解決策を思いついた。
「少しずつ出せばいいのではないか」
膀胱に溜めるからいけない。
少量ずつ外に出し続ければ、常に一定の状態を保てるはずだ。
少量ずつであればすぐ乾く。
乾いたらまた出す。
その繰り返し。
理屈としては、かなり合理的だった。
実際にやってみた。
しかし、思っていたより難しかった。
少しずつ出しているつもりでも、一回の量が多すぎる。
結果として、
ドボドボドボ!
普通にズボンまで濡れた。
当然、周囲からはお漏らしと判定された。
しかし、僕としては納得がいかなかった。
お漏らしとは、本来「自分の意思に反して出てしまうこと」を指すはずである。
これは違う。
完全にコントロールされた排出である。
ただ、失敗しただけだ。
数日後、僕は再挑戦した。
一発目は多少うまくいった。
だが、二発目で失敗した。
結果、またお漏らしと判定された。
それでもめげずに試行を続けた結果、僕は周囲から「やたらお漏らしするやつ」という評価を受けるようになった。
そして最終的に、膀胱炎になった。
今もなお、正しい付き合い方は分かっていない。
とりあえず、トイレには行ってくる。
