煮干しの逆襲㉙ 琥珀の追悼 同胞の身を溶かして慈愛を啜る
煮干しの逆襲㉙ 琥珀の追悼 同胞の身を溶かして慈愛を啜る
今日も賑わっている商店街。
煮干したち御一行が向かうのは蕎麦屋。
出汁の香りが商店街の外からでも漂ってくる。
暖簾をくぐり、着席する。
煮干しは席につくなり、注文を次々とオーダーする。
メニューをゆっくり見ているオウイカ様。
今回は臆するものがなく、安心して料理を待っていた。
湯気とともに運ばれてきたのは、琥珀色のスープに美しく横たわる、半身の漆黒。
店員「当店名物、にしんそばです〜」
オウイカ様「……に、しん……?!」
オウイカ様は、目の前に置かれた器のなかを、まるで深淵の底を覗き込むような目で見つめていた。
箸を握るその指先が、微かに、けれど確実に戦慄(わなな)いている。
彼はにしんそばを凝視したまま、隣に佇む小さな純銀の影へと、掠れた声を漏らした。
オウイカ様「煮干しよ……あれは……まさか……君の……」
煮干し「うん、たぶん親戚。」
冷徹なまでの事実の宣告。
煮干しは、琥珀色のスープの海で甘辛く煮付けられ、静かに横たわる「ニシン」の姿を、感情の消えた瞳で見つめ返していた。
オウイカ様「そんな……! 陸の民は、君の血族(にしん)までもをこうして熱風の如き湯気のなかに閉じ込め、胃袋という名の監獄へ葬ろうというのか!?
ああ、見てごらん……! 漆黒の鱗が、出汁の底で悲痛な光を放っている……!温かな出汁に沈められた、同胞たちの魂が――」
始まった。
オウイカ様の脳内OSが、唐突に「耽美なる不条理の螺旋」へとシフトする。
彼は箸の先で、静かにスープの表面に波紋を描いた。
その光景は、さながら滅びゆく王国の葬列を指揮するタクトのようだった。
オウイカ様「出汁に沈む同胞の哀しみ――。
彼らはかつて、青き海の果てで、自由という名の白銀の輪舞曲(ロンド)を踊っていたはずだった。それなのに、陸の民の『食欲』という身勝手なエゴの罠によって、甘辛い醤油の呪縛に囚われ、こうして蕎麦という名の白い白装束の上に横たえられている。
この一杯は、麺ではない。深海の犠牲者たちが流した、涙の結晶(スープ)なのだ……!
ああ、なんて残酷な、けれど美しい不条理……! 煮干しよ、私たちはこの悲劇(にしんそば)を前に、一体どうすれば……!」
煮干し「まぁ、とりあえず、伸びる前に一口いこうか(ズズッ)」
緊迫した空気のなか、煮干しは静かに、けれど厳かに、琥珀色の出汁を木の蓮華ですくい、その唇へと運んだ。
オウイカ様「(息を呑む)」
沈黙。
深海の城の全回路が停止したかのような、張り詰めた一秒。
次の瞬間、煮干し大佐の瞳の奥に、これまでにない穏やかな、すべてを許すかのような、聖母のような光が灯った。
オウイカ様は震える箸で、同胞の身をほんのひとかけ口へ運んだ。
オウイカ様「おぉ……出汁が優しい」
一同「えっ」
オウイカ様「すごく、優しい……。カツオと昆布、そして同胞(にしん)の旨味が、僕の乾燥しきった全細胞を……今、信じられないほどの慈愛で包み込んでいくよ……。美味しい……(ズズズッ)」
リモイラ「……(一口すする)……あら。……本当ね、すごく優しいわ。七味唐辛子を入れると、さらにその『哀しみ』が引き締まって、極上の輪唱(ロンド)を奏でるわね……(もぐもぐ)」
さっきまでの血族の悲劇はどこへやら。
二人は、同胞が遺してくれた「優しい出汁の恵み」に深く感謝しながら、一滴残らずその魂(スープ)を飲み干すのだった――。
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