α世代は「長生き」を望んでいない─不老社会が突きつける本当の問い
人類は、ついに「老い」を制御できる入り口に立った。
脳にセンサーを埋め込み、体を動かさずに意思を伝える。
細胞を印刷し、血管や臓器をつくる。
老化細胞を除去し、健康なまま生きる時間を延ばす。
これらはもはやSFではない。
技術的には、「人は100年を超えて生きる」ことが現実味を帯び始めている。
では、その未来を生きるα世代(2010年以降生まれ)は、長寿をどう受け止めているのか。
興味深いことに、日本経済新聞の調査では、α世代の7割が「100歳以下でよい」と答えている。
不老社会を最初に生きる世代が、必ずしも「より長く生きたい」と思っていない。
この違和感こそが、この記事の核心だ。
私たち大人は、ついこう考えてしまう。
寿命が延びれば幸せになるのではないか、と。
確かに、長く生きれば、家族と過ごす時間も、研究や創作に使える時間も増える。
だがα世代は、もっと冷静だ。
彼らはすでに知っている。
「長く生きること」と「楽に生きられること」は別物だということを。
今の社会制度は、寿命が短いことを前提に設計されている。
・教育は若いうち
・働くのは20〜60代
・引退後は余生
年金制度も、平均寿命が60代だった時代につくられた。
もし健康なまま90歳、100歳まで生きる人が当たり前になれば、この設計は成立しない。
寿命が延びるほど、働き続けなければ生活できない社会になる。
「長生き=祝福」ではなく、
「長生き=耐久戦」になる可能性もある。
α世代は、それを本能的に察しているのかもしれない。
不老社会の本当の問題は、医療や技術ではない。
問題は、人生の前提が古いままだということだ。
一度学び、一度働き、一度引退する。
この一直線の人生モデルは、100年超の人生には耐えられない。
必要なのは、
何度も学び、何度も役割を変え、
ときに立ち止まり、ときに戻る人生だ。
「引退」という概念そのものが、消えていくのかもしれない。
健康寿命が1年延びると、GDPが4〜5%増えるという研究もある。
健康はもはや個人の幸福ではなく、国家の生産力そのものになりつつある。
だが、それでも問いは残る。
人は、何のためにそんなに長く生きるのか。
役に立たない時間を、どう肯定するのか。
終わりが遠ざかる人生に、どう意味を与えるのか。
α世代は「不老社会」を生きる最初の世代になる。
しかしその社会を設計するのは、まだ不老になっていない私たち大人だ。
この記事が投げかけているのは、
「人類は不老になれるか」ではない。
「不老になったあとも、人は幸せでいられる社会を用意できるのか」
という問いである。
技術は進む。ほぼ確実に。
だが未来を決めるのは、技術ではなく、思想と制度だ。
α世代の人生の長さよりも、
私たちの想像力の短さのほうが、よほど危うい。
※本記事は、日本経済新聞の会員限定記事を参考にし、内容を踏まえた個人的な考察として執筆しました。
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