文章を書くことで、「自分」を突き放してみる
私は、自分の文章を読むことが嫌いでもあるし、好きでもある。(ちなみにこの文章は1年前の今ごろ書いていたものが下書きに眠っていたので、それを編集している)。
特に一年前や昔の自分の文章を読むと、文章に書いている内容以上に、こういう意味・意図をもたせようとしているものが透けて見えて、すごく恥ずかしくなる(きっとこの文章もそうだ)。
Twitterのつぶやくは、字数制限があるからこそ、言い訳的にできる気がする。字数制限があるからこそ、いろんな葛藤をみせず、いい切れる。だから、会って1回目のデートのようにボロが出ない。ただnoteのように文章に長さが出ると、その人の無意識的な意識がさらけ出されてしまう。
でも、最近なんとなく(なんとなくでごまかしたが、猛烈に好きな思想家・武術家の内田樹氏の文章を読んでいて)「書く」ことから逃げないことをしたい、と思った。
文章を書くことは、自分を出さないで温々している状態から、自分を引きずり出し、突き放して、他者の目に晒す行為に思える。仮に、その文章を、他の人が読まなくても、人が見る可能性に開けているところに晒すことは、自分という読者を(最低一度は)招き入れることになる。
私は、特に、自己紹介を書くことが嫌いだ。
(正直、自己紹介をすることを好きな人がそんなにいると思えないが)。
先程、この半年間参加する予定のプログラムで、自己紹介を書くシーンがあった。そして、200字程度の自己紹介を書き終えた。
自己紹介をさらっと一筆書きで書ける人がいるなら、それはすごいと思う。私は、自分自身という人間が30何年か生きてきた中で、200文字程度で書く、となったとき何を書けばいいんだろう、と思ってしまう。
私が、自己紹介を書くことが嫌いな理由。
誰がどんなことを思って読むのかが想像できない中で、自分を過剰に、または、過小に、書いていないかチェックしながら書くことが難しいからだ。
例えば自己紹介に「登山が好き」と書きながらも、自分より登山が好きな人間がたくさんいることを思い出し、自分が書く「登山好き」は、本当に登山が好きなのかを自分に問いただしまう(私がいつも登山に一緒にいく友人のほうが遥かに登山に愛がある)
自己紹介を書きながら、自分を突き放そうとしながら、自分には見えない、自分の中途半端さ、自意識が現れてくる。その自意識にツッコミを入れてしまうから、何度も脱線して、一筆書きでは書けない。
自己紹介を書くコツ、知りませんか?
(という思考放棄をして、一旦休憩しよう)
2023.4月 Misaki.I
この文章を、1年後に読んで書くことから逃げていた自分の「書く」ことから逃げたくないという気持ちに気づいた。書くことは、自分の言葉で表現し、打席に立つこと。矢面に立つこと。
自分を突き放すことが目的ではなく書くことを通して「自分」を抱きしめたいんだと気づいた。
そんな前向きな気持ちでnoteを始めたいと思う。頑張れ、自分。
2024.4月 Misaki.I
