エルデンリングのクリエイターインタビューをざっくり訳してみる
エルデンリングの発売から1週間が経った。俺のプレイは50時間にさしかかっているが、狭間の地の秘密の半分も見つけられていない。どこを探索してもなにかがあるせいでいつまで経ってもゲームが終わらず、俺の睡眠時間は右肩下がりだ。大抵のゲームはプレイヤーが区切りをつけてコントローラーを置けるものだが、これほど麻薬的にプレイヤーを引き込んでくるのはエルデンリング以外には『ゼルダの伝説BotW』と『シヴィライゼーション』くらいではないだろうか。
フロム・ソフトウェアの過去作に比べてお助け要素は増えたが難易度の高さはしっかり保たれており、ネームドのボスから雑魚の群れに至るまで殺意が研ぎ澄まされている。しかし、このゲームを本当の意味で理不尽であると思う瞬間はない。死ぬたびに、『ここをこうしていれば勝てていた』という後悔だけが残る。この後悔がなければ、クソゲーと断じてコントローラーを置けるものなのだが……エルデンリングは過去のソウルシリーズ同様に、恐ろしく人の心を理解した調整によってプレイヤーに再挑戦を促している。
オープンワールドという概念に対するフロム流アプローチについてなど書きたいことは山程あるが、まだまだプレイは終わらなさそうなので当面の間レビュー記事は書けない。代わりと言ってはなんだが、また翻訳記事だ。手抜き?パクリ?マンネリ?いいや、エルデンリングが面白すぎるのが悪い。
元の記事は、エルデンリングの発売と同時にThe New Yorker紙に掲載されたもので、ダークソウルシリーズの生みの親にしてフロム・ソフトウェアの社長も務める宮崎英高氏へのインタビューだ。インタビューでも触れられているが、宮崎氏はその業績と知名度に比べて表舞台で話すことが少ない。しかも個人のSNSなどもやっていないため、その人物像は相当に謎めいている。なので、家族や幼少期、ゲームクリエイターとしての哲学に至るまで幅広く語るこのインタビューはかなり貴重なものだ。よければ、見ていって欲しい。
宮崎英高にとって死は苦痛ではなく特徴である
ある小説が偉業を成し遂げても、軽率な読者には伝わらないことがある。ある映画のテーマやそのプロットが、怠惰な観客に曲解されてしまうこともある。しかし、ビデオゲームだけは、彼らの誤ちに罰を与えられる。もしプレイヤーがジャンプのタイミングを間違え、敵と戦い始め、ステージの最後までたどり着けなかった場合、プレイヤーがその試練を乗り越えるか敗北のうちにゲームをやめてしまわない限り、ゲームはその進捗を止めることでプレイヤーが先へ進むのを拒むことができるからだ。
現在40代後半のゲームディレクター、宮崎英高はもしかしたら他の誰よりも多くのプレイヤーを罰してきた人物かもしれない。彼を有名にした2011年のファンタジーゲーム『ダークソウル』では、プレイヤーはみすぼらしい素寒貧となり、下水を駆け回ったり森の中ですくみ上がったりすることになる。プレイヤーを攻撃してくるのは、巨大な狼に、喧嘩っ早いキノコ、毒沼、そして剣を振るう蜘蛛といった連中だ。相手の突きをパリィし損ねたり、城壁から足を滑らせて落っこちたりすると、おせっかいな"YOU DIED"のメッセージに出迎えられる。そのメッセージが消えると、プレイヤーは謎めいた中世風世界の各地に点在する篝火の傍で生き返る。敵もまた、リスポーンする。

一般的なプレイヤーであれば、何百回となく篝火に帰ることになるだろう。ゲームというものはしばしば、子供じみた強大な力の幻想を見せてプレイヤーにこびへつらうものだが、宮崎英高の作品は敗北、忍耐、努力で手に入れる正確な操作といった美徳に重点を置いている。ボタンを連打しても、勝利の道は開けない。全ての敵に意味と知性があり、プレイヤーは彼らの攻撃パターンを注意深く観察し、カウンターし、自分のスタミナを管理しなければならない。騎士と決闘するときは、狼の群れとの乱戦や羽ばたくドラゴンとの騎馬戦とは違うアプローチが必要になる。最も単純な会敵でさえ、一瞬の集中の遅れが命取りとなりうる。人生と同じく、闘いというものは正解とその結果によって満たされるものなのだ。
ダークソウルとそのシリーズは、自尊心を串刺しにするような難易度において悪名高いものとなってきた。『○○版ダークソウル』といえば、なにか特別厄介なタスクを現すミーム(汚れた皿が山のように積まれてグラグラしていたら?『皿洗い版ダークソウル』だ)を指す。先日、「私は全然上手なプレイヤーなんかじゃないですよ」と、宮崎英高がZoomで私に話してくれた。東京新宿区にある、本が並べられたオフィスに彼は座っていた。「私も何度も死んでいます。だから自分の作品では、ある疑問に答えたいと思っているんです。『死が失敗の証以上のものであるなら、どうしたらそれに意義を持たせられるだろうか?どうしたら、死を楽しめるようにできるだろうか?』という疑問です」
宮崎英高は謎めいた人物であり、インタビューを受けることは滅多になく、私とのミーティングが3回リスケされたこともある。とはいえ、彼の挑戦が大きく市民権を得たことは証明されている。昨年、最も歴史の長いゲームアワードであるゴールデン・ジョイスティック・アワードで、ダークソウルはテトリスやDOOM、スーパーマリオ64といった名作古典ゲームを抑えて、ファン投票によるオールタイムベストゲームに選ばれたのだ。宮崎英高の作ったゲームは3000万本近く売れており、金曜日に発売される彼の最新作『エルデンリング』は、今年最も期待されているゲームの一つである。
けれど、宮崎が作り上げたモンスターを撃破する人がいる一方で、不機嫌にコントローラーを置く人もまた存在する。「私が作るゲームには乗り越えるべき壁が多すぎると感じる人に対しては、本当に申し訳なく思っています」宮崎英高は私にそう語った。彼は手で頭をおさえてから、笑った。「私はただ、できるだけ多くのプレイヤーに困難を乗り越える喜びを経験してほしいだけなんです」
宮崎英高は、東京から南西に100マイル離れた静岡の貧しい家庭で育った。子供のころの彼は自腹で本を買う余裕もなく、図書館で英語のファンタジーやSFを借りていた。当時の彼に英語は理解できなかったが、挿絵から物語を想像していた。その後宮崎は慶応義塾大学へと進学し、なんとなく社会科学の学位を取り、アメリカ資本のIT企業オラクルに就職した。私に語ったところによると、彼がその仕事を選んだのは、妹の大学の学費を稼ぐためだけだったとのことだ。
子どものころからゲームを遊んできた宮崎英高だったが、啓蒙の瞬間が訪れたのは2001年のことだった。友人に薦められ、彼は上田文人の『ICO』を手に取った。ICOは、少年と少女による城からの脱出を描いた、絶妙にミニマルな御伽噺だ。宮崎にとって、このゲームは子供のときに感じていた、テキストの断片から得られる物語と謎めいたイラストを結びつける喜びを再現してくれるものだった。
彼はキャリアを変えることを決心した。29歳、業務関連経験はなし、給与が大幅に下がることも承知で、彼は東京に拠点を置く無名のスタジオ、フロム・ソフトウェアへ入社した。彼はコーダーとして仕事を始め、その後、開発が難航するプロジェクト──おぼろげに見え隠れする城と不気味な怪物が存在する影の世界を舞台にしたファンタジー系のゲーム──を引き継いだ。彼はそのゲームを土台から作り直し、プレイヤーが死ぬとその体力は少なくなり、リソースは失われ、敵は強いままでステージの始まりまで戻されるというメカニズムを作り上げた。「私のアイデアが失敗しても、誰も気にしなかったでしょうね」彼は言った。「既に失敗していたのですから」

2009年、デモンズソウルは注目されることもなく発売された。本作の重たくリアルな戦闘は宣伝には不向きだったのだ。宮崎英高はプレイヤーが肩をすくめて去っていくのを覚えているという。パッケージにはアーサー王伝説風の騎士が壁にもたれて倒れ込んでいる絵が描かれており──苦闘と敗北を示唆するイメージであり、ヒロイズムは見えてこない──ゲームの物語は発見したアイテムの説明文であったり、死にゆく敵の独り言であったりといううっすらとした手がかりに基づいて語られる。しかし、本作が持つ曖昧さやゴシック調のデザイン、重厚な戦闘システムはやがて、口コミでフォロワーを勝ち取った。2011年には精神的な続編となるダークソウルがセンセーションを呼び、18か月の間に250万本近く売り上げた。また、ダークソウルのおかげでフロム・ソフトウェアは日本でトップクラスのゲームスタジオへと名声を上げた。それから3年後、宮崎はこの会社の社長へと就任した。
ある考えが浮かんでくる。苦労して達成する一連の構造は宮崎が作るゲームで多くのプレイヤーが体験する感情の流れのテンプレートであるが、これは彼の困難な幼少期に基づくものではないかと。宮崎英高は──眼鏡をかけ、薄くあごひげを生やした彼の顔は若々しく、陽気なものだ──しかし、この考えを否定した。「私の人生の出来事を大袈裟な言葉に置き換えることがゲームの作り方に影響している、とは言えませんね」と彼は述べた。「もっと正確な見方をするなら、私のゲームの作り方は問題解決です。私たちは皆、日常生活で問題に直面します。答えを見つけるのはいつだって満足感があるものです。しかしご存じのように、人生には、そういう感情をすぐに与えてくれるものは多くありません」

ゲームがどれくらい難しくあるべきかという疑問は、そのゲームが誰に向けたものであるかという疑問と密接に繋がっている。ゲームは遊びやすくあるべきだと言う人がいる。ゲーム体験を親切に案内し、異なるスキル、興味、身体能力に合わせられるようにすべきだと。プレイヤーの思うがままに操作できるようにすべきだと言う人もいる。わたしの考えとしては、難易度の設定はクリエイターの特権であり、すべてのゲームがすべての人に向けられる必要はない。
宮崎英高の作品はしばしば、後者の思想を彷彿とさせる。プレイヤーを夢見心地にさせたり持ち上げたりはせず、むしろ挑戦させることがゲームというメディアの本質であると示唆しているからだ。「興味深い質問ですね」と、宮崎は言う。「我々はいつも上達しようとしているものですが、私たちのゲームでは明確に、苦難の克服こそが体験に意義をもたらす存在となっています。なので、今の時点ではそれを捨てようとは思っていません。これが私たちのアイデンティティなのです」
とはいえ、宮崎の新作であるエルデンリングでは、彼が言うところの「勝利は達成可能な目標であると皆に感じてもらう」やり方としての妥協策も取り入れられている。宮崎作品らしさ──巨大な敵とのドラマチックな会敵と厳しい戦闘、そして、単に画面上のアバターをパワーアップさせるより、むしろプレイヤー自身の能力を向上させろという主張──は全て残ったままだが、ゲームをよりとっつきやすくするための譲歩もされている。本作では幽体の動物を味方として召喚したり、負け戦から逃げるために馬に乗ることができる。宮崎英高が以前作ったゲームでは、プレイヤーには一握りの道しか与えられず、その道のどれもが強力なボスに遮られていた。エルデンリングにおいて世界は本当に開けていて、ある道が難しすぎるときは、プレイヤーはただ別の道へ進むということができる。

とはいっても、プレイヤーは何度も死ぬ。白熱するドラゴンの息吹によって、巨人のハンマーの冷徹な重さによって、振り回される陸タコの脚によって。宮崎にとって、ゲーム内の死は、思い出や小噺を生み出す可能性であるという。「この手のゲームを遊んでいると思うんです、こういう風に──愉快だったり、興味深い方法で、あるいは人に聞かせられる話を作るようなやり方で──死んでみたいものだと。」彼は続けた。「死と再生、苦難と達成──私たちは、このサイクルを楽しめるものにしたいと思っています。現実では、死とは恐ろしいものです。けれどゲームでは、なにか別な物になりうるのです」
エルデンリングの制作にあたって、宮崎英高は自身にとってのヒーローの一人である、ジョージ・R・R・マーティン──『ゲーム・オブ・スローンズ』のようなファンタジー小説よりずっと前、マーティンがSF作家として最も知られていた時代の作品を楽しんでいたと宮崎は述べている──とコラボレーションした。フロム・ソフトウェアの役員の一人に薦められ、宮崎はマーティンへアプローチを取ってみた。そして驚いたことに、マーティンは宮崎の作るゲームのファンだったのだ。はじめ、宮崎は言語の壁と年齢の差──マーティンは73歳だ──のせいで関係の構築が難しくなるのではないかと恐れていた。だが、ホテルのスイートやマーティンの故郷で対話を重ねるにつれ、友情が育まれた。

マーティンが仕事をする上で、宮崎英高はいくつか鍵となる制約を課した。すなわち、マーティンが書くのはゲームの背景ストーリーであり、実際の脚本ではないという点だ。エルデンリングが舞台とするのは、狭間の地と呼ばれる世界である。マーティンはそこでの設定やキャラクター、そしてタイトルと同名のリングの破壊と、リングの破片こと大ルーンの飛散を含む神話を書いた。その後に宮崎は、プレイヤーが直接体験する物語においてこの歴史がどう影響するか探求した。「我々のゲームでは、物語は常にプレイヤーの体験に従うものでなければなりません」宮崎はそう語った。「もし(マーティンが)ゲーム自体の物語を書いてしまっていたら、そこからブレてしまわないか心配することになったでしょう。私はマーティンに自由に書いてほしかったですし、制作中に変更される可能性のある曖昧なゲームメカニクスに囚われてほしくはなかったのです」
マーティンが──複雑かつ正確なプロットで知られる著作者が──不明瞭な物語が特徴のゲームを作る宮崎と一緒に仕事をするというのは、皮肉なものだ。ダークソウルでは、物語の重要なディテールは会話よりもむしろインベントリにあるアイテムの説明から見つけられる傾向がある。これは、プレイヤーの想像を刺激するために宮崎が取り入れている手法であり、彼が子供なりに挿絵入りファンタジー小説から物語を見出していたのと同じやり方だ。彼はこう述べている。「想像力は私にとって大切な存在です。解釈する余地を与えることで、それを見た人との──そしてもちろん、コミュニティ内のユーザー間での──コミュニケーションに意義が生まれるからです。ゲームが広がっていくのを見るのは私にとっての楽しみであり、私の仕事に影響を与え続けてくれるものであります」

私が宮崎英高と初めて会ったのは2011年の東京で、ダークソウルの発売まで数か月というときだった。彼は開発チームと一緒にオープンオフィスで働いており、彼のデスクの上では、未開封のウイスキーボトルを守るプラスチックフィギュアの大軍の間にデジタルフォトフレームが立てかけられていた。スクリーンには、開発中ゲームのテスターによる批判意見の引用が繰り返し表示されていた──このグループにとって、努力を高めるための挑戦だ。発売までの数か月、宮崎がオフィスを離れるのは、ときたまシャワーを浴びるときだけだった。仕事においても、彼は苦闘が成果を増幅すると信じていたのだ。
自ら認識するところでは、宮崎はマイクロマネージャーである。彼は自身の手法を『トータル・ディレクション』と呼び、コスチュームのボタンの風合いから丘の急斜面の正確な角度に至るまでなんでも伝えられる。「宮崎さんからは本当に多くのことを学びましたよ」2015年に私にそう語ったのは、コンセプトアートを手掛ける藁谷雅典だ。「いちいち挙げていられないほど多くのことをです」宮崎は、フォントやメニューレイアウトについての意見も持っている。彼はまた、アニメーターのために自ら動作を披露し、ゲームキャラクターに真似させるシークエンスを演じて見せることさえあった。
このような人物が会社の経営者になるというのは、普通ではない。経営で必要になることが、創作活動を容易に締め付けてしまうことがあるからだ。けれど、宮崎英高は自身を経営者階級におけるアウトサイダーだと捉えている。彼は人類学者のような目線で社長仲間を観察しており、ときには彼らをモンスターの発想元として使うこともあると冗談を飛ばしている。彼はまた、育成に励む上司であり──彼の部下は日常的に、彼に個人的なアドバイスを求めている──有力なクリエイターがもたらす危険性について鋭く意識している。「私が大事にしているのは、スタッフとの完全な風通しの良さですね。自分のミスについても正直であるようにしています」と、彼は言った。「ゲームを巡る私の影響のせいで、素直な意見を言いにくいという人がしばしば現れます。その意見こそが一番大事なときでさえです。だから、私はプライドを挟まないように、信頼を作り上げられるように努力しています」
こうした形の協力は宮崎の作るゲームでも見られるものであり、プレイヤーは各々の目の前にある困難を乗り越えるため、さりげないやり方で力を合わせるようになっている。デモンズソウルにおいて宮崎は、あるプレイヤーがエリアに残した端書きのメッセージが他者の画面にも表示され、案内や指示ができるようにした。そのおかげで、カンザス州に住むティーンエイジャーが新宿のエンジニアに隠し扉に気を付けるよう警告することもできた。イタズラ好きがプレイヤーをひっかけることもできた──保証するが、こうした出来事は間違いなく起こっていた。というのも、例えば、隠し扉を匂わせるメッセージは嘘だらけだったからだ。
エルデンリングにおいて、ゲームをインターネットに接続していると、探索中に他プレイヤーのおぼろげな輪郭が時々画面に現れて、自分が体験している苦労を共有していることを示してくれる。別のプレイヤーを召喚し、困難な戦闘を助けてもらうことも可能だ。他のプレイヤーとすぐさま会話することはできないため、ゲームの難易度は信頼の度合いによって変化する。そして、困難を乗り越えたあとは、召喚されたプレイヤーは光のシャワーに包まれて消えてしまう。宮崎がこうした瞬間のアイデアを思い付いたのは、数年前、彼の車が丘の上で雪に足を取られてしまったときのことだ。見知らぬ人の一団が彼の車を丘の頂上まで押してくれて、それから夜の闇へと静かに消えていったという。

初めてダークソウルをプレイした時の私は幼い子供を育てるヤングアダルトで、経験したことのないレベルの大混乱をなんとか乗り切ろうとしていた。ゲームは癒しだった。どんなものにも秩序をもたらすことができ、時間と努力によって正すことのできる小さな世界。これは特に、宮崎が作るゲームにおいて言えることだ。あらゆる力がプレイヤーを叩き出そうとする世界において、その力に抗い、乗り越える感覚には深いやりがいがあった。
宮崎もまた、秩序をもたらす方法としてゲームを用いているのだろうかと思うことがよくあった。宮崎曰く、「自分ならやれると分かっている問題を解決していくプロセスが楽しいんです。解決不可能なレベルの問題についてはどうでしょうか?私にとってはそこが分水嶺で、それを超えると苛立ってしまいます。なので、ゲームづくりでこうしたプロセスを実装できるというのはとてつもなく恵まれたことですね。」

家族が自分の作ったゲームをプレイしているのか訊いてみると、宮崎は笑って、自分の娘は3歳であると指摘した。「まだ小さい子ですから」彼はそう言ったが、そこには別の問題もあった。自分の作品の曖昧さの裏には、個人的すぎて明かせない何かが含まれていることを宮崎は危惧していたのだ。『トータル・コントロール』には全てを暴露してしまう危険があるようだ。彼はこう述べた。「私のゲームを家族に遊ばせたくはないですね。私の、ほとんど不快なほどにイヤな部分が見られてしまう気がしますから。実際のところは分かりません。けれど恥ずかしいんです。だから、『うちはダークソウル禁止』と言っています」
自らの世界と自らの作品の境目に関する宮崎の切望には、あるパラドックスがある。ゲームというものは作りものの苦難でできているが、そうした苦難は現実のそれに比べると、しばしば古臭く、かけ離れたものであるからだ。しかし、宮崎の作品はそのギャップを狭めてきた。人間的な経験──恥をかいたり、失敗したり、死んでしまったり──に根ざしたゲームによって、彼はゲームと人生を近しくしてきたのだ。
