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『残差の哲学』           第3章 残差という概念     

残差という概念

1 なぜ「残る」のか

前章では、正義を原理ではなく
社会の中で働く営みとして捉えた。

しかしここで、避けて通れない問題がある。

それは、どのような調整や改善を行っても、
社会の問題が完全に解消されることはないという事実である。

制度を整えれば、新たな不公平が生まれる。
ある価値を守れば、別の価値が損なわれる。
一つの問題を解決すれば、別の問題が現れる。

なぜこのようなことが起こるのだろうか。

単なる技術的未熟さの問題だろうか。
あるいは、まだ最適な制度が見つかっていないだけなのだろうか。

本稿は、そうは考えない。

問題が残るのは偶然ではなく、
むしろ社会の構造そのものに由来している。


2 残差の定義

本稿では、社会において

調整や改善を行った後にもなお残り続ける問題やズレ

を「残差」と呼ぶ。

ここで重要なのは、残差は単なる失敗や例外ではないという点である。

それはむしろ、

  • 価値の多様性

  • 利害の対立

  • 視点の違い

  • 時間的変化

といった、人間社会の基本的性質から必然的に生じる。

したがって残差とは、

解決しきれなかった問題ではなく、
そもそも完全には解決できない性質のもの

として理解されるべきである。


3 残差と多様性

ポストモダンは、多様性の重要性を明らかにした。

しかし多様性は単に価値の豊かさを意味するだけではない。

それは同時に、

完全な統合が不可能であること

を意味している。

人々が異なる価値観を持つ限り、
すべてを同時に満たす社会は存在しない。

例えば

  • 自由と平等

  • 安全と効率

  • 個人と共同体

これらの価値は、互いに調整可能であっても、完全に一致することはない。

ここに必ず残るズレこそが、残差である。

つまり残差とは、

多様性が存在する限り不可避に生じる
構造的なズレ

なのである。


4 残差の三つの層

残差は単一のものではない。
それは少なくとも三つの層で現れる。

① 個人内の残差

人間の内部にも、矛盾や葛藤が存在する。

理想と現実
欲望と倫理
過去と現在

人は常に一貫した存在ではない。
内部にズレを抱えながら生きている。

② 人と人の間の残差

他者との関係においても、完全な理解は不可能である。

言葉の限界
経験の違い
価値観の差異

これらにより、人と人の間には常にズレが生じる。

③ 社会構造としての残差

制度や政策レベルでも、残差は不可避である。

ある政策は一部の人を救うが、別の人に不利益をもたらす。
制度は公平を目指すが、完全な公平は実現できない。

これら三つの層は相互に影響し合いながら、
社会全体に残差を生み出している。


5 残差の誤解

残差という概念は、誤解されやすい。

それは「問題を放置すること」ではない。
また「責任を回避すること」でもない。

むしろ逆である。

残差を認識することは、
問題の限界を正確に理解することであり、

その上でなお改善を試みるという
より高度な責任の引き受け方である。

残差を否定しようとするとき、
しばしば原理主義が生まれる。

すべてを説明できる原理
すべてを解決できる制度

こうした発想は、一見すると魅力的である。
しかしそれは、現実の複雑さを切り捨てることでもある。

残差という概念は、このような原理主義に対する制動として機能する。


6 残差と時間

残差は静的なものではない。

それは時間の中で変化し、蓄積し、再び現れる。

ある時代に解決された問題が、
別の形で再び現れることは珍しくない。

また、かつては問題とされなかったものが、
後の時代には重要な課題として浮上することもある。

つまり残差は、

時間の中で姿を変えながら持続する
動的な構造

である。

この視点に立つと、正義の営みとは

残差を一度解消することではなく、
時間の中でそれと向き合い続けることになる。


7 残差から見た社会

ここまでの議論から、社会は次のように理解できる。

社会とは、

多様な価値と視点が交錯する中で、
残差を生み出しながら
統合を試み続ける構造である。

このとき重要なのは、
統合と残差は対立するものではないという点である。

統合が進めば、新たな残差が生まれる。
残差が認識されれば、新たな統合が試みられる。

この循環こそが、社会の運動そのものである。


8 本章のまとめ

本章では、残差という概念を導入した。

残差とは、単なる未解決の問題ではない。
それは人間社会の構造から必然的に生じるズレである。

そして正義とは、
残差を消し去ることではなく、
それと向き合い続ける営みである。

次章では、この残差がどのように社会の中で構造化されるのかを、
より具体的なモデルを用いて考察していく。

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