『残差の哲学』 第1章 ポストモダンの先へ
1 近代という希望
近代哲学は、人間の理性に大きな期待を寄せていた。
例えば Immanuel Kant は、人間の理性が道徳法則を自ら立てることができると考えた。
人間は単なる欲望の存在ではなく、理性的存在として普遍的な道徳を理解できるとされたのである。
また Georg Wilhelm Friedrich Hegel は、歴史そのものが理性の展開であると考えた。
人類の歴史は、自由の実現へと進む過程だという壮大な構想である。
このように近代思想は、
理性
進歩
普遍的正義
という三つの概念を中心に展開してきた。
社会は理性によって改善される。
歴史はより自由な社会へ進む。
これは人類が長く信じてきた「大きな物語」であった。
2 近代への疑い
しかし19世紀以降、この楽観は次第に揺らぎ始める。
その象徴的な思想家が
Friedrich Nietzsche である。
ニーチェは、道徳や真理の背後には権力や価値闘争があると指摘した。
人間が信じている道徳は、普遍的真理ではなく歴史的産物にすぎないのではないか。
この問いは、20世紀にさらに強く展開される。
例えば Michel Foucault は、社会制度や知識体系が権力関係の中で形成されていることを示した。
精神医学、刑務所、教育制度などは、中立的な知識ではなく社会の力関係と結びついているというのである。
そして Jean‑François Lyotard は、現代社会の特徴を次のように表現した。
「大きな物語への不信」
進歩や理性、普遍的正義といった近代の物語は、もはや無条件には信じられない。
これが、いわゆる「ポストモダン」の思想である。
3 ポストモダンの到達点
ポストモダンは、近代思想の前提を根本から問い直した。
それは単なる破壊ではない。
むしろ重要な発見をもたらした。
私たちの認識は歴史や文化から自由ではない。
社会制度は権力関係と結びついている。
価値観は多様であり、単一の正義に還元することはできない。
これらの洞察は、現代社会において非常に重要である。
多様性や人権の議論は、こうした思想なしには成立しなかった。
しかし同時に、ポストモダンは新しい問題を生んだ。
もし普遍的正義が存在しないなら、
私たちは何を基準に社会を議論すればよいのだろうか。
もし真理が相対的なら、
政治や倫理の議論はどこに向かうのだろうか。
ここに、ポストモダンの限界が現れる。
4 相対主義の問題
ポストモダン以降の社会では、しばしば次のような対立が見られる。
正義の衝突
価値観の分断
政治的極化
SNS上の激しい論争
これらの現象の背後には、ある共通の状況がある。
それは
正義の共通基準が失われた社会
である。
しかし一方で、人間社会は完全な相対主義では生きていけない。
医療、政治、教育、倫理。
私たちは日々、何がより良い選択かを考え続けている。
つまり人間は、
絶対的真理を持たなくても
社会をより良くしようとする存在なのである。
この点に注目するなら、
ポストモダンの次に進む道が見えてくる。
5 ポストモダンの先へ
ポストモダンの先とは、
近代への回帰ではない。
普遍的真理を再び掲げることでもない。
しかし、相対主義に留まることでもない。
人間社会は、完全な正義を持たなくても
問題を発見し、改善し続けてきた。
社会制度は変化し、
人権は拡張され、
多くの問題は少しずつ解決されてきた。
ここで重要なのは、次の点である。
正義とは、
完成された原理ではない。
むしろそれは
社会の問題を発見し、調整し、改善し続ける営み
なのではないだろうか。
社会には常に解決できない部分が残る。
価値の衝突は消えない。
しかし人間は、その残り続ける問題と向き合いながら
社会をより良くしようとしてきた。
本稿では、この未解決の部分を
**「残差」**と呼ぶ。
そして社会とは、
残差を抱えながら
統合を試み続ける構造
として理解できるのではないかと考える。
この視点から、次章では
人間社会の構造についてさらに詳しく考えていく。
