【哲学対話】「正解って何だろう?」
先日の哲学カフェでのテーマ「正解って何だろう?」。
あれから少し時間が空きましたが、参加者さんの「箱を開けたら正解が書いてあるとしたら、開けますか?」という問いで、私は開けないことを選ぶと思うのだけど、そのことについてずっと考えていました。
ある参加者さんは、開けてみてあえて不正解のほうに飛び込んでみる、と言っていてすごくかっこいいなと思ったし、「不正解」を選んでしまうかも、と過度に恐れなくてもいいだな、と気が楽になりました。
過去の後悔と未来への不安は時間の無駄だから今を生きなさい、みたいなことはいろんな本に書いてあって実行しようと思うけど、なかなかうまくいかなくて、やっぱり「正解」を選びたいのだなと気づきました。
「不正解」を選んでしまったことを悔やんだり、もう失敗できない、「正解」を選ばないといけないと思ってやりたいことやチャレンジしてみたいことの前で選択できずにいた気がします。
「不正解」というのはものごとの一面からみたらそうかもしれないけど、光と影があるように、ある観点から見たら「不正解」も「正解」になることもあるのだと思います。
(例えば、辛い経験をして、この道を選ばなければ良かったと思ったけれど、そのおかげで「あの経験に比べたらマシだな」とスルーできるようになった、など)
最近哲学カフェに行くと、すぐに考えがまとまらなくて数週間後に急に「あ!」と思ったりします。(先日、陶芸教室に行ったのですが、ちょうど犬をカップに接着しているときに思いつきました笑)
時間差で思い出して、あの日はお祭りで楽しい雰囲気だったな~とちょっと明るい気持ちになりました。
いつも立ち止まる時間を設けてくださり、ありがとうございます✨
