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海外移住:"壁" に直面する3つの "時期"

ネパールを含む海外、特にインフラが脆弱な途上国への移住で直面する "壁" は、特定の時間軸で認識されるように思う。数か月(観光ビザの期限内)、3年、10年、そしてその後

まず、旅人として外国にやってきて観光ビザの期限内で暮らすなら、数か月単位で旅行者も受け入れてくれる賃貸物件を見つけることだろう。手頃なホテルならそのまま長期滞在してもいいし、自炊もしたいなら簡単なキッチンや家電施設も付随したアパートを借りてもよい。現地で知り合った人のうちにホームステイさせてもらうこともあるだろう。観光ビザでの就労は禁止されているから、基本的には消費生活となる。そのため、手持ち資金の枯渇、それ以上にシビアなのは観光ビザで許容される期限が、この時期のお終いとなる。近年、観光ビザの更新についてどの国も厳格になり、昔のような旅人の長期海外生活は難しくなっている。世界をまたにかけるノマドワークなんてのは、よほどの戦略性がないと厳しい。半面、やらない後悔より失敗も活かす人生を、私は応援したい。


その後、例えば婚姻ビザでの滞在や(就労ビザ取得が可能な)現地採用や、日本企業の海外長期派遣の場合も、3年前後で次の"壁"がやって来るように見える。とりあえず生活は立ち上がった。でもこのまま、その国の配偶者や家族と長く暮らしていけるのだろうか?という不安。異文化への同化の努力も、この時期に疲れが出てくるのではないだろうか。特に配偶者や自身の経済状態で「こりゃ長続きできないわ」と見切りをつけて、配偶者共々日本に行くのは途上国では良くあることだと思う。仕事に紐づくビザを取得している場合も、転勤や、今後のキャリアを考える時期となるだろう。

本来やりたい活動では長期滞在ビザや労働許可が取れないため、学生ビザで滞在している場合もあるだろう。しかしながら、ずっと学生を続けることも困難だ。以前であれば。落第を継続して長年在籍すること。同じ学校の違う専攻に入り直すこと。なども出来たのが、近年移民局の審査と監視が厳しくなっている。学生であればビザが出ている教育機関の範囲内での勉学や研究活動のみが許可されている。無給であっても、経済活動やNGO/NPO活動に従事するのは資格外活動と判断される危険性が否定できない。そんな生活が3年も続けば、心身が疲労してしまうこともあるだろう。


この時期も過ぎ「ずっといるんだろうな」と思われていた人や国際結婚家族が、10年前後で帰国してしまうこともある。お子さんの教育や、海外の環境が "やっぱり無理" となってしまうこともあるだろう。海外在住が10年を超える=本人の年齢が30~40代となり、それを過ぎると母国に帰っての生活が再起動できなくなるんじゃないか?という、人生の分岐点でもあるだろう。


それ以降、外国暮らしが20~30年を過ぎても、日本に残した親の介護や実家の資産管理で帰国してしまう人も多い。この時期になれば海外での子育ても目処が立っているだろうし、第三国(多くは北米やオーストラリア)に移住した子弟の住む国と日本を行ったり来たりという話も聞く。自分自身も老後の健康を考えた場合、途上国での医療に身を任せられるかどうかが切実な問題ともなるだろう。国によっては、親しく付き合いのある医師でないと何をされるか心配なこともある。親しい医者がいても、自分の病気の専門医かどうかわからないし、腕が良いかどうかはまた別の話だったりもする、嗚呼。

合法的に設立した外国人投資による会社についても、歳をとった後も安定した経営が続けられるかどうか。後から参入してきた地元資本や、海外で高い教育を受けた現地の若者が、一族の資本力とネットワークを武器に競合してくることも現実的だ。今の南アジアでも途上国でも、先進性のある世界を知っているのは外国人だけではない


自分自身ネパールに移住して35年も過ぎ、この国に帰化することも選択肢のひとつとして感じている。

日本のパスポートという"世界最強"のものから、世界中のどこに行くにもほぼビザ申請が必要で、却下される可能性もあるネパールパスポートを保持する帰化については、ネパール側の家族が強く反対しているのだが….

ネパールの婚姻ビザはネパール人配偶者が存命であることが前提であるため、不幸にして配偶者に先立たれてしまった日本人妻がネパールに帰化する例が、私の周りでも出始めている。とある友人から、
「ネパール人になったから、(制度上)日本人しか出席できない現地の集まりに、今年から顔を出せなくなったのよ。お会いできなくて残念だわ」
と告げられた時、彼女の潔さに心を打たれた。


今から40年前、旅行者としてネパールに足を踏み入れ、在住者を憧れの眼で見ていたあの頃なら、定住者になれた今の自分は輝くような存在に見えるだろう。しかし現実は、いつまでたっても泥臭く、夢のような生活なんてどこにもないのが現実なのだ。

旅行者だったり、学生ビザが出る国立の語学学校の学生で "何者でもないわたし" の時期には、在住者の方々の態度が冷たいと感じることもあった。今、自分自身が「これからネパールに住みたいんです。働きたいんです」という方に対して一線をひいたり、警戒をしていることに気づく。ああ、あの時の私はこうだったんだな。多くの若者の中で、本当にネパール社会で長く生き残るのは数年にひとり。なぜ自分は、残れたのだろう。

たまたま良い人に出会えた。最初は冷淡だった人の方が、後年、私がこの社会で生きていく姿を見て、信頼できる先輩として助けてくれるようになった。経験から、少しだけ学んだ。加えて、あの頃は日本の景気が良かった。日本円が強かった。ネパールの制度もゆるかった。だ・か・ら、これからは厳しいよ….と思うが、あの頃だって別の意味で厳しかった。医療、インフラ、通信、そしてネパール社会が信じられないほどに前時代的でとにかく戦う必要があった。

海外に定住することだけが良い人生ではないけれど、それを望む方たちには、自己実現を叶えてほしい。同時に、クレバーに、どこに住むのか以上に大切なものを見つけて、勝ち取っていって欲しい。海外に移住することだけで成功と失敗を判断しないで。例え「ダメだった」と帰国してもいいのよ。

今、自分が暮らしている場所で自分が幸せであればよい。自分の暮らしが受け容れられるものであり、苦しくなければよいのだから。

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