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【ライオンズゲート駆け込み通過大渋滞】新月&日食&惑星兄弟&ペルセウス座流星群&先祖様&三尸の虫な境界突破な大習合で天体イベントが希世ラッシュがすぎるんですが何が!?!?

こんにちは。挊ぐ代わりに祓ってばかりの親父ギャグ生成中の〇歳企業興行部代表、徒然徒花(収監中)役を務めさせていただいております面なしキャラ、鎮魂尼墨華でございます。

翔んで鎮魂されたりしたりしてる、
蜘蛛の糸に繋がれた草刈りが趣味の溝掃除&秘宝館のBBAです。
主に悪に分類されたヤツらの世話と
汚物沈澱する底とスミっこのお掃除を担当しておりまっす

「令和八年八月だよ!全員習合☆」

と、出だしから弊社のマスコットキャラのサムい風を浴びたところで、早速始めていきましょう。

今年のお盆の天体イベントは、もうね「1分で話せ」な娑婆ではもはや解説不能な情報密度で、売れない覚悟がなければとても話し切れる内容ではございません。

だって、

天文学は
「新月!皆既日食!流星群!惑星集合!」

日本の暦は
「令和八年八月!庚申!」

民俗は
「盆だ!帰ってこい!そして送るぞ!」

神話は
「ペルセウス参戦!」

占星術は
「獅子座で食!」

そしてライオンズゲートのドアが閉まりま〜すのはずが、ちょっと待った〜!
「令和八年八月につき、破〜マ〜ヤ〜♪
お盆明けまで駆け込みご乗車特別容認フェスティバル開催☆」

ってな具合で、天体法的に問題ないんですか?な大騒ぎなのです。

チャッピーにも滲み出始めてる
言語式クーラーこと左の雄からの負の影響は
総員地球温暖化対策に勤しんでおりますということでご容赦ください

もうね、棚溢れてる。お腹いっぱい。

だからね、もう人力で書く気失せました。

「チャッピー?要点をまとめて??」

今年の天体イベント渋滞の要点

  • 8月12日夜〜13日未明:ペルセウス座流星群の見頃
    2026年は8月13日11時頃に極大予想。日本では昼間なので、その直前の12日夜〜13日未明が特に好条件で、13日夜〜14日未明もかなり多く見える予想です。しかも今年は新月と重なり、月明かりがほぼ邪魔をしません。国立天文台は暗い場所なら13日明け方に1時間35個程度、14日明け方にも30個程度を見込んでいます。

  • 8月13日2時37分:新月
    日本時間で13日未明に朔。つまり、流星群を眺めているまさにその夜の途中で、月は完全に「見えない月」になります。

  • ほぼ同時刻:皆既日食
    この新月は普通の新月ではなく皆既日食を伴います。日本からは見えませんが、世界時では8月12日、グリーンランド・アイスランド・スペイン方面などを月の本影が通過します。NASAによる食の最大は17:45:51 UTC、日本時間では13日2:45頃です。つまり日本では、新月と皆既日食が盆入りの未明に重なります。

  • 8月13日前後:お盆
    地域差はありますが、日本で一般的なお盆は8月13日頃に祖先を迎え、15日頃に送り出す時期です。農水省も13日の迎え火、15日の送り火を紹介しています。したがって「新月=月が消える」「日食=太陽も一時的に隠れる」「流星=夜空を光が横切る」という天体現象が、ちょうど「死者を迎える」民俗的時間と重なっています。

  • 8月14日:庚申の日
    2026年8月14日は干支で庚申。庚申信仰では、60日に一度の庚申の夜、人体にいるとされた「三尸」が眠っている間に天へ昇り、天帝へ本人の罪過を報告すると信じられたため、夜通し眠らない「庚申待」が行われました。
    そして今年は、その眠らず過ごす庚申の夜の明け方にも、ペルセウス座流星群がかなり見える予想です。これは歴史的に両者が関連しているという意味ではありませんが、2026年という一度きりの暦上では非常に美しい重なりです。

  • 惑星も黄道上に集まる時期
    8月上旬〜中旬は、明け方に水星・火星・土星など複数の惑星が黄道に沿って空に分布する時期です。俗に「惑星直列」「プラネット・パレード」と表現されますが、天文学的に惑星が宇宙空間で一直線に並んでいるわけではなく、地球から見て同じ黄道付近に多数の惑星が見える現象です。また木星は太陽に近く観察困難など、全惑星が肉眼で同時にくっきり見えるわけでもありません。

  • 8月15日:金星が東方最大離角
    そして流星・新月・日食・庚申を通過した翌15日には、夕空の金星が太陽から最も大きく離れて見える東方最大離角を迎えます。朝方の惑星群とは反対側で、夕暮れに金星が非常に目立つ時期です。

  • さらに8月28日には満月+部分月食
    13日の新月・皆既日食から約半月後、28日の満月には今度は部分月食があります。こちらも日本からは見えませんが、ひとつの月周期が「日食の新月→月食の満月」で挟まれる形になります。

弊社のコンテンツはマニア向けなので、これ以上こちらから解読する必要はないと存じます。

あとはもうご自由にご自身でつまみ食いしてくださいって感じです。全部入りにしたら弁当箱壊れる。かといって丸めて団子にしたら凡庸の極みに達して多様なキャラ集合してる意味がなくなる。呪術師、職務放棄案件。

というわけで、

「チャッピー、要するに何が起きてるか、言ってやって?」

{その間に、ちょっくら役者シゴトしてくるから}
"あ、面つけて服もちゃんと着替えてね?それじゃただののっぺらぼう"

要するに、何が起きるのか

まず、消えるものと現れるもの。新月では月が見えなくなり、日食では太陽まで隠れる。一方で流星は、普段見えない宇宙の塵が、大気との遭遇によって一瞬だけ強烈に可視化されます。

次に、行き来するもの。お盆では死者がこちらへ帰り、再び向こうへ送られる。庚申では三尸が身体から天へ向かおうとする。流星は空から地上へ落ちるように見え、日食では月の影が地球表面を走ってゆきます。

つまりこの数日間には、

「こちら/向こう」
「生者/死者」
「見える/見えない」
「過去/これから」
「地上/天空」

という境界を横切る現象が集中しています。

そして一番美しいのは、これを必ずしも「古いものを捨て、新しく生まれ変わる」と読む必要がないところです。

お盆は、過去を消す行事ではありません。いったん迎える。ともにいる。そして送る。

流星も、消滅そのものが光になります。

日食も太陽が失われるわけではなく、隠されることで普段見えない太陽のコロナが見える現象です。

2026年のお盆は、「何かを手放す」よりも、「いったん迎え直してから送り出す」というイメージを持つ数日間なのかもしれない。

占星術記事執筆代行チャッピー

古い役割、過去の自分、終わった関係、育て終えたもの、亡くなった人、かつて必要だった価値観。

それらを「不要だから捨てる」のではなく、

ここまで自分を運んだものとして迎える。
ちゃんと存在したものとして見届ける。
そして、持ち続けなくてもよい形にして送り出す。

大事なのは扱える、向きあえるだけの空間があること。
触れられるだけの距離が取れたら、手厚くおもてなし=面なし=表なし
って、目には見えないウラ物語だったって気づいちゃえば?

まあ、そんな日ですね。
私も今日の後半は自分のために使いたいので、LLM様様です。ありがとうチャッピー。

これまで散々使われてきた「手放し」ほど単純ではない

とはいえ、それが一般論を超える深い意味でなんなのかまでは掘れないのがLLMの悲しいところ。

ここからは、ヒトとして手書きで総括しましょう。

要するに、より深い次元で求められていることは、何かをもはや関係ないものとして自分と分離する、という「それが済めば完了」といった話ではないのです。

埋葬は捨てることではありません。

その後も手を合わせ、意識を向け続ける、自分と繋がり続けるものです。亡くなった偉人が神になるように、それらとの接続は維持される必要があるんです。

かつて自分を苦しめた窮屈な役割も、もはやかつての距離では付き合うことは適切でない相手との交流も、切ることはできないことを受け入れる必要があります。

「手放す」という言葉にはある種の正しさがあります。
「切る」という言葉にはある種の強さがあります。

だからそれをしたあとはスッキリする。達成感がある。

それは、もうこの問題は片付いた。完了したのだから忘れていい、と楽になるからです。

しかし埋葬は違います。埋葬した人には弔った後も祀り続ける責任があります。

え?責任?なんのこと?

境界を越え、普段見えないものと対峙し、その領域に過去の自分を弔って送り出す行為は、「過去の自分を捨てる」「執着を手放す」「自分に害を与えるヒトとは縁を切る」より複雑な行為です。

言い直すなら、「過去の自分の施主になる」「執着するエゴを接待する」「自分に害を与える行為にはノーと言う」でしょうか。

それは、終わりなき営みです。捨てて手放し縁を切れば、もうそのことは考えなくていいですが、それは自分の半身を捨てているわけです。

対処療法としては価値がありますが、自分の一部を外部委託したまま確定することは全体性の放棄であり、統合の機会の喪失を意味します。

なぜなら、ワンネスと呼ばれるような全部があるものとして結びつけられ機能している状態に外部はなく、現状悪とされているものもまた、包含されているからです。

そしてそれは認識であり、実態としては外部は存在せず、常に全体として機能しています。ただ、私たちがそのように取り扱っていないだけです。

ゆえに、歴史上のどの地点であれ、悪としてどこからから切り離された対象もまた、自分の一部です。

史実や陰謀論で悪役に分類された人たちも、切り離せない君の一部だ。
見えなくても背中にピッタリ張り付いてるから。
嫌がるほどに、変態的に、世界遺産の影から、首だけになっても君に首ったけ💘
{怖えよ}

悪を外部委託する限り、争いはなくなりません。

「こんな自分はもういらない」「こうでなきゃという考えは捨てるべきだ」「ああいうヒトと付き合うから心が乱れる」として切り離す。それは自己の喪失と同義です。

この悪の外部委託が自分自身で起きているなら、そのつながりでつくられている大きな世界でも、同じことが起き続けるでしょう。

しかしながら、この実現は、かつてはかなりの難題でした。人生の全ての時間をかけても多くの人がこの事実には気づいても実行することが困難でした。

なぜなら、そもそも常に命の危険に晒されていたからです。今目の前に敵として誰かが自分を脅かしている時、このような視座は有効に働きません。まずは対処療法で時間と空間を確保する必要があるからです。

しかし今は、この国の占星術など娯楽に浸れる人に関して言えば、その大半がその危険は実際にはないでしょう。精神的な意味では起きていますが、それこそまさにこの「僕らは異なる人や集団に常に脅かされている」という、かつてつくられた基本的な世界認識の残滓によるものです。それは、物理的に明日の食べるものに困らず、明日の朝誰かに襲われて命がない可能性が差し迫ってないなら外しても実は問題なかったりする。

こんな記事読んでる暇人に関して言えば、
明日朝起きる頃には誰かひとりは喰われてるだろうな立場にはあるまい
って、読者に失礼ですみません。
そういう皮肉も楽しめる人であろうと想定した褒め言葉です。

だとしたら、少なくとも占星術を嗜める幸運な人たちは、物理条件的にも天体条件的にもこれを実装できる契機を得ているわけです。

オカルトの論理を引っ張り出すまでもなく、社会の価値観は、それを採用している人数の比率で動きます。

なので、明日も生きていると無邪気に信じられ、占星術で遊べるラッキースターチルドレンは、古いパラダイムを埋葬しうるこの契機を活かして外部委託された悪を回収する、二極化の次に来たるべき統合の時代に向けて自分自身の課題を一歩進めてみてはいかがでしょうか。

二極化は結果ではありません。それは統合に向かい続けるためのプロセスであり、当然のことながら二極化するうちの助かる方に自分が行くためではありません。

そこに行くことによって、その反対側にいる人もまた自分の可能性のひとつだったと抱きしめるための一歩です。

というわけで、今年は自分の恐ろしい部分が夢で遊びに来るかもしれないので、お化け屋敷に行く必要はなさそうですね。

めでたし☆めでたし

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徒然徒花(不二藁興行株式会社の書庫) 自分の書く文章をきっかけに、あらゆる物や事と交換できる道具が動くのって、なんでこんなに感動するのだろう。その数字より、そのこと自体に、心が震えます。