歪なハートと、聖なるBIG BOY
しゅぽん!
開いたLINEに、メッセージがわりのスタンプを送る。最近気に入っているのは、2匹のパンダがでっかいハートを抱えているやつ。この1個で、だいたいのことが賄える。
しゅぽん!
しゅぽん!
しゅぽぽぽぽん!
楽だなぁ、と思う。言葉はときどき難しくて、いらないすれ違いを生んだりもするから。つるんと赤いハートひとつで済むなら、その方がよっぽど楽ちんだ。
便利だなぁ、と思う。簡単だなぁ、と思う。それから、本当にこれでいいのかな、とも思う。そしていつも、母のことを思い出す。
私のふくらはぎの形は、母にそっくりだ。全身マシュマロのようにふにゃふにゃのくせに、ふくらはぎだけムッキムキに筋肉が育っている。育てた覚えもない立派なこいつのおかげで、スカートもハーフパンツも絶妙に似合わないのは悔しいところだが、母の娘であると思い出させてくれるこのふくらはぎは、確かに私を支えている。
瓜二つのふくらはぎを持ちながら、母と私の性格はあまり似ていない。どちらかというとナイーブでうじうじ悩みがちな私と、いつも前向きでチャキチャキものを言う母。右手に兄を、左腕に私を担ぎ、清く明るくたくましいその人は、間違いなくわが家のヒーローだった。
ただし、守られるだけの民衆に、英雄の姿は眩しくも苦しくもあるものだ。鬱屈した心のうちなんて、理解してもらえない。メソメソ泣いても、しっかりしろとバッサリ斬られる。強いヒーローさまにゃ、私の気持ちなんてわからんのですよ…と、勝手気ままな民衆Aこと私は、敵に味方に早替わり。ヤーッと気まぐれにぶつけた小さな石は、母を何度傷つけてきたか。
思春期の頃、私にとって母はあまりにも大きな存在で、同じ人間だということすら、忘れてしまっていた気がする。
そんな母の、もう一つの顔に気づき始めたのは、いつだっただろう。それは、ばあちゃんがウチに来るたびに発動される。口数が減り、結んだ口はへの字になって、隠しきれない不機嫌が眉間のあたりに漂い出す。いつだって明るく振る舞えるはずの母が、ささいなことに苛立ち、ばあちゃんに遠慮のないトゲをぶつける。ぶっちゃけ、気まずい。
これたぶん、ばあちゃんが好きじゃないっぽい…よな?
ぼんやりと気づいたそれは、言ってはいけないことのような気がして、臆病な私はそしらぬ顔を決めこみ、じっと二人を探っていた。
私にとって「ばあちゃん」とは母方の祖母である。父の方の祖父母は、遊んでもらった記憶もないままに亡くなってしまったから、ばあちゃんと聞いて浮かぶ顔は、今でも一人だけ。
うっすらサングラスをかけて、洒落たスカーフを巻いているハイカラなばあちゃんだった。俳句や短歌をたしなむような、知的な人でもあった。「女学校」や「お茶会」が登場するばあちゃんの話は、いつでも少し浮世離れしていて、まるでどこかヨソの国から来たオヒメサマみたいだ。そこにいるだけで不思議と空気が華やぐ。歳をくってても関係ない。例えるなら蝶々。ひらひらと舞う姿を、なぜか追いかけたくなる。
坊主めくりやスゴロクに、無邪気にはしゃいでくれるばあちゃんが好きだ。遊びにくるたんびに、お小遣いやらプレゼントやらをくれるばあちゃんが好きだ。たったひとりの「ばあちゃん」だから、大好きだ。
なのに、母は違うらしい。ニッコリ微笑んでいるばあちゃんの隣で、スッと静かに表情をなくす。ゴロリと大きな石のついたばあちゃんの指を、能面のような顔つきで一瞥する。たったひとりの、「お母さん」のはずなのに。私はまた、母のことがわからなくなっていく。
カケオチ。
そんな言葉は、ドラマの中だけのものだと思っていた。情熱的で、純愛チックで、後ろめたくて、なんか暗い。ある日突然、身近になったその言葉に、私はしばらく囚われた。
ばあちゃんは、家を捨てて、カケオチしたらしい。
理解するのに、少し時間がかかった。ばあちゃんと暮らしているじいちゃんは、私の本当のじいちゃんじゃなくて、だから決してウチに来ることはなくて。母が大事そうに見せてくれた写真の中で笑っているのが、本当のじいちゃんで、それは母の大切なお父さんで。もう死んでしまったその人の話をする時、母はいつも優しい顔をしていて。ばあちゃんが無邪気に笑うたびに、母の顔は、どんどん曇っていって。
点と点をつなげれば、話はだんだん見えてくる。それでもやっぱり、遠い国のおとぎ話。その登場人物に、母がいることも、ばあちゃんがいることも、まるでピンとこない。
だから、なんだ?
私は何を、思えばいいの?
どこか他人ごとだったその話が現実になったのは、初めて母が泣くのを見た時だ。
大学生になったばかりの頃、ばあちゃんの再婚相手だった義理の祖父が亡くなり、私と母は葬儀に向かう新幹線の中にいた。
「ホントは行く理由なんかないのよ」
そう話し始めた母は、気がつけばハンカチを握り締めながら泣いていた。蛍光灯が照らす明るい車内で、母の古い傷口が開く。それまで、一度たりとも私の前で涙なんて見せたことなかったのに。みるみる水が溜まっていく赤い目に、私は戸惑った。ずっとつぐんでいた唇から、ボロボロとこぼれだす言葉。母が抱えていた、言葉。
少しずつ荷物を持ち出して、ついには家に帰ってこなくなった母親のこと。当時がんを患っていた父親を看病しながら、不安でしょうがなかったこと。それでも、母親に「帰ってきて欲しい」と頼ることだけは、どうしてもできなかったこと。
ある日、送られてきた手紙一枚で、家族は壊れたこと。
ぽつり、ぽつり、ぽつり。
涙の粒と一緒に、母の告白が地面に落ちていく。
病院に泊まり込んだ夜、
おじいちゃんが初めて泣いたのよ。
『迷惑をかけてしまった、本当に悪い親だった』
そう言って、私に何度も謝ったのよ。
そんなことない、そんなこと思ってないって、
私は何度も言ったけど。
大好きな「お父ちゃま」は、
ゴメン、ゴメンって謝りながら、死んでいったのよ。
真っ赤な目を尖らせて、絞り出すように母は言った。あさっての方にいる誰かを、じっと睨みつけているように見えた。唇が、震えていた。「お父ちゃま」と口にした母は、その時、まるで娘の顔をしていた。
ヒーローなんかいない。分厚いスーツを脱いでしまえば、傷だらけの人間がいるだけだ。私は母の涙に何も言葉をかけることができずに、ただ、うん、うん、と頷きながら、私が守らなきゃいけないと思った。絶対に裏切らない味方に、私がなるんだ。なんの疑いもなく、そう決めたのは、私に流れる母の血のせいか。
葬儀場で夫の棺に縋り、泣いて取り乱すばあちゃんを、母は静かに見つめていた。母の「お父ちゃま」が死んだ時、母と一緒に泣いてくれたのは、その人ではなかった。
連れ合いを亡くしたばあちゃんは、しれっとうちの近所に引っ越してきた。母はもちろんプリプリと怒っていた。まぁ、あの告白を受けてしまったら、ばあちゃんはなかなか図々しいといえる。
「都合のいい時だけよってくるのよ、あの人は」
迷惑そうに口をつく「あの人」という言葉は、あの日聞いた「お父ちゃま」とはまるで違っていて、それがそのまま、母とばあちゃんの離れてしまった関係なんだと思った。私はというと、母の愚痴に「だよね〜」と乗っかれるほどの変わり身の速さは持ち合わせていなかったものの、あの日を境に、ばあちゃんに対する気持ちは明らかに変わった。
「軽蔑」
簡単に言ってしまえば、そういうことなんだろう。私を可愛がってくれたことに変わりはない。母に詰められて「えぇ…」と口どもるばあちゃんが、かわいそうに思ったこともある。ばあちゃんにも、のっぴきならない事情があったと信じたいし、夫婦のことなんて他人にはわからん。それがたとえ、ばあちゃんであってもだ。今さら嫌いになるつもりも、なりたいとも思わない。それでも、心の奥の方に、蔑む気持ちが確かに生まれてしまっていた。
母がそれを望んでいたとは思わない。むしろ、逆だろう。ただ、私は嬉しかったんだと思う。正反対だと思っていた母に、初めて手が届く気がした。ばあちゃんが別の人の元へ走ったことなんか、ぶっちゃけどうでもいい。ただ、ばあちゃんを許せないでいる母は、ずっと苦しそうで、胸に抜けない杭が刺さっているみたいで、痛い、痛い、痛い。
母のことが、わかる。だから私は、寄り添える。
キレイだった蝶々の羽が、ボロボロと崩れていくような気がした。
大人になるにしたがって、私は、ばあちゃんを気にかけることもしなくなっていった。季節ごとに届くハガキも、会いにきて欲しいと記された文字も、雑に扱っていいのだと、どっかで思っていた。母が抱えてきた哀しみに、私は勝手に便乗した。
私の態度にバツをつけたのは、誰でもない母である。
「ちゃんと返事を書きなさい」
「電話をかけてあげなさい」
せっかく掴めたと思ったら、母の気持ちはまたもカタチを変えて、スルリと手から逃げていく。愛していないはずのばあちゃんを、なんで庇うのか。味方になったはずだよ、私。なんで怒られてんの?母の不可解な行動はそれだけじゃない。
歳をとるごとに風船のように膨らんでいく、ばあちゃんの無邪気なワガママ。病院への送り迎え、一人暮らしで生じる不都合、それ今いる?みたいな雑用その他。ばあちゃんはそのすべてを母に頼った。母は文句を言いながら、それでもばあちゃんを突き放そうとしない。断りゃいいじゃん…。すっかり薄情になっていた私は、母をこき使うオヒメサマに、苛立った。
そんなに切れないもんなのか。血は、親子という縁は。
先に切ろうとしたのは、あっちじゃないか。
唐突な閃きで、でっかい決めごとを進めようとするばあちゃん。「いいからやめて!」と電話口で大きな声を出している母を何度も見た。あーだこうだと、死後の後始末まで頼ってくるばあちゃんには、心底疲れたような顔をしていた。それでもどうしても。繋がっている細い糸に、ハサミを入れようとしない。わからない。もどかしい。だけどそれは、母の強い意志のようで。
2021年2月。96歳のばあちゃんは、コロナになって入院した。それからの18日間、母からは逐一メッセージが届いた。
しゅぽん。
『せっかく96歳まで長生きして、最後がコロナは悲しいと思っていたけど、また乗り越えて、復活しはると思います。きっと』
しゅぽん。
『かなり難しい状況です。葬儀をお願いする神父様に会いに行ってきました。着せられるかはわからないけど、おばあちゃんの希望の着物も用意してあります』
しゅぽん。
『今夜から数日が山かもしれません。防護服を着れば、中に入れるけど。会っておきたい?』
しゅぽん。
『コロナ病棟を出て、一般病棟に移れることになりました。96歳でコロナから脱出、あっぱれです!』
しゅぽん!
しゅぽん!
しゅぽぽぽぽん!
ハートのスタンプなんかじゃ、
まるで足りない、母の気持ち。
『病院から呼び出しがありました。また連絡します』
私は。私は、何を思えばいい?
2021年2月18日、ばあちゃんが死んだ。
当時コロナに罹って亡くなった場合、葬儀で顔を見ることは叶わなかった。私たちの誰もがそれを覚悟していたが、ばあちゃんは亡くなる直前に不死鳥のようにコロナを振り切った。すさまじい執念。よほど一人では逝きたくなかったと思われる。おかげで、ばあちゃんが望んでいた教会で、ばあちゃんが思う通りのお葬式をあげることができた。
いや、ばあちゃんの思っていた、それ以上の。
母は葬儀に、大量の百合の花を別注して、ばあちゃんの棺も祭壇も真っ白に埋め尽くした。
「お花がないと、味気ないやんか」
当然のようにそう言った母もまた、ばあちゃんを一人で寂しくなんて逝かせたくなかったのかもしれない。
百合の匂いが立ち込める小さな小さな教会で、神様に抱かれる母親を見つめ、母は堪えることなく泣いた。丸い背中が震えているのを、私は不思議な気持ちで見ていた。祭壇は、華やかで、品があって、ばあちゃんにとても良く似合っていた。2回目に見た母の涙は、あの日新幹線の中で見たものとは、まるで違って見えた。
葬儀を終えた私たちは、骨上げまでの数時間、腹が空いたと近くのステーキレストラン・BIG BOYに駆け込んだ。私たち家族に、私の夫、従兄弟家族と、ごくごく身内だけの小さな集まり。遠慮することなんて何もない。肉を食べよう、肉を。誰かが言ったその提案に、みんながのっかった。
「教会のお葬式あんな感じなんやな」
「神父さん、パン食べだしてビックリした」
「あれな、うっすいせんべいみたいな」
「パリパリパリって、ちょっと笑ってしまった」
「血がワインで、肉がパンやったっけ」
「ほんで、食べたらどうなるん」
私は従兄弟たちと、実に不謹慎な会話に盛り上がる。敬虔な信者だったばあちゃんが聞いたら、いよいよしばかれそうだ。母はスッキリと笑っていた。ばあちゃんのとんでもエピソードの数々を披露しながら。なんせ、ばあちゃんのことだから、当面ネタには事欠かないだろう。赤くなった母の目は、三日月のように細くなり、なぜか、寂しそうにも見えた。
すぐ脇をパタパタと足音が駆けていく。小さな子どもが、コップを大事そうに握りしめてドリンクバーの前に立ちすくむ。付き添いのママは彼女の願いを叶えようと必死だ。ピンポーンと鳴り響くチャイムが誰かを呼んでいる。求める音が、求められる音が、騒々しく私の周りを埋め尽くす。
私は、食べた。
この気持ちはなんなのか。わからなくて、途方に暮れて、ギコギコ肉を切り、もりもりと口に運ぶ。非日常の妙な興奮も、ついさっきまで目の前にあったばあちゃんの死も、百合の匂いも、しょっぱい涙も、消えないわだかまりも、全部丸ごと咀嚼して、ガツガツ、ガハガハ飲み込んでいく。
楽しそうに大宴会を開いている喪服の集団は、真昼間のファミレスにはさぞ不似合いだったことだろう。人が死んだなら静かに哀しまねばならないし、母親には優しくせねばならないし、家族だからこそ愛さねばならないし。そんなもん、誰が決めた。誰が決めたんだよ。
ねえ、お母さん。
あなたの歪なハートを、私は信じるよ。
わからない。
わからないなら。
わからないまま、誰かを想う。
あの日、母と一緒に頬張ったステーキが、私の血となり肉となり、この勇ましいふくらはぎになって、私を今日も歩かせている。
