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結婚して15年たったので、新婚旅行に行こうと思う。

私は正気だ。
結婚して15年たった。新婚旅行に行こうと思う。

「新婚」の定義が崩壊していることは100も承知の上で、私はこの15年越しのイベントをやはり「新婚旅行」と名付けたい。行き先は、ウィーン&プラハ。夫と二人で初めていく海外だ。

15年前、結婚式をあげた後、なんでかしらんが私たちの頭の中に「新婚旅行」というものが浮上した記憶がない。金がねぇ、だったのか、興味がねぇ、だったのかはもう忘れてしまったが、15年前の私たちにとって海外旅行がまるで現実的なものでなかったことだけは確かだ。

忘れもしない、サイゼリヤでパカッと開けた箱の中には、指輪なんぞ買いなれていなかっただろう彼が選んだ婚約指輪が鎮座していて、喉から出かかった「今?」の言葉を、ディアボラ風ハンバーグと一緒に飲み込んだ。巷では、「初デートにサイゼはどうなんだ論争」が定期的に勃発しているらしいが、プロポーズにサイゼリヤはどうなんだろう。炎上したら夫がかわいそすぎるので、私が全力で秘密を守るしかないが、面白いので言っちゃった。当事者が言うのならいいだろう。サイゼでプロポーズ、ありです。


思えばママゴトみたく始まった結婚生活だったのかもしれない。サイゼで婚約した私たちが二人暮らしを始めた最初のアパートでは、互いの両親がプレゼントしてくれた冷蔵庫やら洗濯機やらが、「大丈夫かいな」と心配そうに生活を支えてくれていた。学生時代の感覚そのままに、友達を連れ込んで夜中までおしゃべりしていたら、階下のおばちゃんに「うるせぇ」とこっぴどく叱られた。半泣きになりながら、抜き足差し足忍び足で暮らす静かな生活に疲れたころ、私はふら〜っと東京へ単身赴任。それから2年も、彼をひとりぼっちにしてしまった。結婚は、なんの鎖にもなりやしなかった。

私たちは何も変わらないね、と言い続けた15年。それは果たして正しいことだったんだろうか。ママゴトを経て、ホンモノになる機会をただただ見失っていただけじゃないのか。二人暮らしの長い時間を振り返り、思い出の端々をほじくってみても、本当に何も変わっていなくて笑える。

「金髪にする!」と会社を辞め、「劇団をつくる!」と貯金を突っ込む嫁。白塗りのドラマーに憧れて「どうらん」を顔に塗りたくった次の瞬間に、モデルガンを収集しだす夫。二つの道のりはいよいよ一つになり、ガチャガチャにバンドにレゴに映画づくり。本気の遊びに拍車がかかる。いつ、どこで、どうやって、大人になるんだろう。妻になった自覚もないまま、家族なんだという自覚もないまま、親になることもないまま。二人で遊び続けているだけの毎日が、健やかに降り積もっていく。

一緒に始めた貯金の残高も、一向に増えない。おかしいなあ、共働きの二人暮らし。どこに消えとるんや、うちのお金は。100万円すら貯まらない、ええ歳こいた大人が二人。私が財布の紐をにぎってもゆるゆるで、夫にチェンジしてからもやっぱりゆるゆるで、そうこうしてるうちに私ががんになり、「保険入ってた、セ〜フ」と笑っている。どうにか繋いだ15年は、実に危うい綱渡り。真っ暗闇の中を、手を繋いでスキップしてるみたいだ。つるっと足をすべらしたら、どこに転がり落ちるやら。ただ、その道のりは何も怖くなかった。

職を失っても、身体のあちこちにガタがきても、友達とケンカしても、諦めきれない人生に迷い続けても、この世で一番信じられる体温がここにある。これは繋がれた鎖じゃない。私の左手がつかみ続けたその手は、ずーっと温かかった。


ところでわが家では、結婚してからずっと続いている儀式がある。夜寝る時に、夫が私に布団をかけてくれるのだ。これをわが家では「バッサァ」と呼ぶ。バカバカしいと笑わないでくれ、そんじょそこらの布団かけではない。身長192cmの彼が長い手を駆使して“ぶわっさぁ〜”とかける布団は、軽やかに宙を舞い、部屋の空気をふんわり巻き込み、ベッドに転がる私をやさしく包む。その心地よさったら、もうすごいんだから。私は毎夜、今死んでも幸せかもしれないとすら思う。

ちなみに、近所の小学生に先日「バッサァ」体験をして差し上げたら、ベッドから転げ落ちるんちゃうかというほどに、笑いよじれていた。「もう一回!もう一回!」とアンコールを頂戴し、私の鼻は高々だった。そうだろう、そうだろう。私はこれを毎夜独り占めしている。

1年が365日。うちどちらかが家を空けている日を差し引いたとして、年間300回、夫は私に「バッサァ」している計算になる。10年で3000回、15年のうち単身赴任の2年を差し引いても、ざっと4000回。あと30年は生きることを願って、トータル13000回。私は思う。「バッサァ」13000回は、もはや奇跡だ。

「ばっさぁ〜」
「サイコー!!!」

「ばっさぁ〜」
「きんもちぃい〜!!!」

「ばっさぁ〜」
「ぴひゃぁぁん!!!」

私の一日の最後を、空飛ぶ布団が包み込む。断っておくが、おざなりになることなどない。ちょっと位置がずれたりしようもんなら、やり直しまで発生する。そう考えたら、13000回じゃきかないな。やっぱり奇跡だ。ベッドから「バッサァ」を見上げている時、夫はいつも笑っている。「これいつまですんの?」と言いながら、やめるつもりもないだろうことも、私にはわかっている。



オママゴト、オママゴト。お父さん役も、お母さん役も登場しないまま、私とあなたのお人形遊びが続く。今日はどこ行く?何して遊ぶ?当たり前に隣にいて、当たり前に話をする。小さな人形を動かしながら、私はそれが当たり前じゃないことを知っている。

小学生のある時期を思い出す。私は4年生から電車で塾に通っていたのだけど、一緒に通いなさいと親に差し出された「オトモダチ」と、3年間ひと言も口をきくことができなかった。電車に揺られながら、ふたり無言のまま窓の外を見つめ続けるだけの時間。隣の彼女のうつろな表情を盗み見ては、自分を悔やむだけの長い長い一時間。彼女と交わす言葉を見つけられない自分は、口のきけないお人形。声が出ない、息が苦しい。私が悪いんだ、全部、私が。

隣にいるだけじゃ、ダメなんだ。勝手に受け入れてもらえるわけじゃないんだ。私はまるで宇宙人みたいだった。言葉を伝えられない。伝え方もわからない。異質で、共存できない生き物。地球人、哺乳類、ヒト科に属するはずの私が、同じ人間とわかりあえない。

だから、たくさんの装備を身につけてきた。ゴワゴワの防護服。テカテカのお化粧。ニコちゃんマークみたいな顔を貼り付けたマスク。お人形のままでは生きていけないから。大人になるってそういうことだから。人とわかりあうことは、難しい。伝えることは、難しい。自分が受け入れられるのか、いつも私は臆病になる。


「バッサァするでぇ」

夫の声がする。どんな私でもいいのかな。

「オレ、あとこれ何回するんやろ?」

隣にいるだけでいいのかな。

何の装備も身につけていない、ただの私に4000回の「バッサァ」をし続けてきたヤツがいる。雨の日も、風の日も、泣いてても怒ってても、ここに私の居場所はある。15年かかった。4000回必要だった。いや、本当は最初の一回目からずっと、私は彼を信じたら良かったのだ。暗闇でただ一つの目印は、いつだって夫だ。もしも道を踏み外したなら、私は喜んで地獄に落ちてやる。いつもの布団にくるまれて、最後の瞬間まで一緒に笑えばいい。

ママゴトから始まったはずの私たちは、ママゴトのまま、いつの間にか家族になった。15年かけて、やっと貯金がたまった。二人で「海外、一緒に行ってみようか」なんて言えるようになった。やっと、やっとその時が来たのだ。夫の笑い皺はくっきりと濃くなり、私はというと、やっぱりそれなりにたるんと丸くもなったけど。変わらない、変わらない。ちっちゃな人形を握りしめ、今日は二人でどこに行こうか?


「ウィーンといえば、ザッハトルテやで」

旅行に行くことを決めてから、彼はずっとそればかり言っている。

「翻訳アプリ入れなあかんで」

言葉が通じないことにビビりまくっている私は、それしか言ってない。

15年越しの新婚旅行。私たちにとって、この旅はどんな時間になるだろう。ケンカの一つもするだろうか。知らない弱点を見つけて呆れ返ることもあるだろうか。おもちゃのように愛らしい街で、私とあなたが手を繋いで闊歩する。

新婚だもん。旅先でも「バッサァ」してくれるよね?

どうやら私は、夫をしこたま愛しているらしい。
もちろん、正気だ。

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