「好きな服を着たい」という、ふざけた、でも切実な転職理由
ふざけた理由だと思われるかもしれない。
10年前、転職しようと思った大きな理由のひとつは、「好きな服が着たい」だった。「どうしても金髪にしたい」もおまけに加えておこう。
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私は、文章を書くことが好きだ。それは、自分にとって数少ない「こだわり」を持てる表現だからだと思う。
私は、服を着ることが好きだ。自分に似合う服を見つけることが好きだ。それはやっぱり、私にとって「こだわりたい」生き方なんだと思う。
私にはこだわりと呼べるものが、本当に少ない。「AかBか」と聞かれたら、どちらでもいいと感じることが大半で、「やっぱりCがいいんです」と言われたら、じゃあそれにしようとあっさり乗っかる。自分でもなんだかなあと思うけど、たとえば旅の行き先であっても、明日のランチであっても、決まったものに文句のひとつも芽生えない。悲しいかな、こだわれない。
のっぺらぼうのように主張の少ない私だけど、服を選ぶ時はうっすらと顔をもつ。AじゃなくてB。どうしてもB。自分の感覚という頼りないものを信じて、こだわりのようなものが顔をだす。それが私はたまらなく嬉しい。
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そうはいいつつ、昔の私は、おそらくかなりダサかった。
高校生の時、私服で集合する機会というのが何度かあって。例えば、課外授業や文化祭なんかの行事ごと。制服じゃない私を見せる日。それは、当時の私にとってかなり重要なイベントだった。
「この黄色いダッフルコートに、どうしても白いブーツを合わせたい」
気合いをいれたハレの場のために。なけなしのお小遣いを貯めて初めて自分で買った靴は、真っ白な編み上げブーツ。頭の中で、華麗に着こなす私を想像するのは、とても楽しかった。新しい服、新しい自分。本当の、自分。
見慣れた制服を脱いだ彼ら・彼女らは、新鮮だった。みんなそれぞれ、自分を一番カッコよく、カワイく見せるために必死だったと思う。普段よりうんと垢抜けて見える子、「その服どこの?」なんて質問攻めにあってたり。あの子が素敵、あの子はイマイチ。思えば結構シビアな世界だったのだ。
私は、考え抜いたダッフルコートと白いブーツで参戦した。ドキドキ不安で、でも高揚もしていて、「素敵だね」と言ってもらえるのを楽しみに待っていた。だけど、そんな言葉がかかることはなく。男の子たちに「だっさ」と笑われた。とっておきの自分に、後ろ指をさされるのは、かなりこたえた。
それでも私は、洋服が好きだった。いつかあの子たちみたいに、自分らしく自分のこだわりを着こなしたい。トキめく服に出あうたびに、失敗と発見を繰り返し、少しずつ少しずつ自分に似合う洋服を見つけてきた。「素敵だね」という言葉が嬉しくて、もっと洋服が好きになった。大学生になってアルバイトをはじめて、私のクローゼットの中は好きな洋服に溢れた。そのどれもが、私のこだわりのつまった一着だ。
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社会に出て、好きな服を着ることも、好きなように生きることも、実はハードルが高いものだと知ることになる。
前職は、あるメーカーの広報部だった。そこで私は人生初のオフィスカジュアルというものを求められる。ベースはスーツで、そこからいい塩梅に崩してもよし。いわゆる「きれいめ」で、清潔感のある服装がマナーとされた。
これが、壊滅的に私には似合わなかった。きれいめブラウス、フリル、タイトスカート、スラックス。どれもが、まるで似合わない。想像の中の私すら、窮屈そうに縮こまる。
ショッピングに出かけても、「これ!」とトキめく服たちは、会社に着ていけないものばかり。せっかく買っても、着る機会があるかどうか…。いやいや、そんなことより、平日のきれいめ。少しでも私がマシに見えるやつ。「これを着たい!」ではなく「これならなんとか…」を想像して、好きでもなんでもない服を買い続ける日々。
気づいたら、私のクローゼットは「きれいめ」に占領されてしまった。隅っこで肩身を狭くしている、私の好きだったはずの洋服。その光景を見て思った。これが今の自分の生き方になっているんだと。そしてそれが、どうにも耐え難いものに感じてしまった。
30代も後半に差し掛かった頃、私は「好きな服を着たい」というふざけた、でも切実な理由から転職を考えた。そのまま過ごしていれば、今頃十分なお給料と、安定したポジションを手に入れていただろう会社。私は、私のクローゼットのために、その職場を辞めた。
あれから10年近くがたった。新しい職場では金髪から青髪にもなり、毎日好きな服を着て、好きなように働いている。あの頃コツコツと集めた「きれいめ」たちとはサヨナラした。今、私のクローゼットは、私らしさで溢れている。
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何をして働くか。どういう風に働くか。
私にとってそれは、どんな風に生きるか、どんな自分で生きたいかと同義だ。私はあの時、私が頑張って育ててきた、かけがえのない「こだわり」と生きていくことを選んだ。
こだわりとはなんだろう。人それぞれまったく違うだろうそれは、その人がその人であるために、何度も書き直してきた言葉のように感じる。働いていれば、やらねばならないことも我慢が必要なことも、いくつもある。だからこそせめて、自分がもてる数少ない「言葉」を守りたい。
私にはそれが、「好きな服を着る」ことだっただけ。
ただそれだけのことだ。
