なぜ、桜で心が動くのだろう?
桜が咲き始めました。間もなく満開になるところもあるでしょう。
あなたは、桜を見てどのように感じますか?
きれいだと感動する人もいれば、
どこか切ない、儚さを感じる人もいる。
ただ楽しいだけ、という人もいるかもしれません。
同じ桜を見ているのに、どうして感じ方がこんなに違うのでしょう。
冬が終わり、色が少なかった世界に、桜は一気に咲き誇ります。
その劇的な変化は、生命の息吹きを感じさせ、
人を外へと向かわせ、誰かと時間を共有したくさせます。
そこには、笑いや賑わい、そして躍動感があります。
一方で、桜は長くは続きません。
満開は一瞬で、やがて潔く散っていきます。
だからこそ、今この瞬間の美しさと、やがて終わるという予感が、
同時に立ち上がるのかもしれません。
かつての栄華を偲ばせる「荒城の月」の調べが、静けさの奥に
様々な情景を浮かび上がらせるように、桜もまた、目の前の姿だけ
ではなく、私たちの内側にある記憶を呼び起こします。
もちろん、桜そのものが感情を持っているわけではありません。
私たちは桜を見ているようで、実はその奥にある「意味」や「記憶」
を見ているのではないでしょうか。
同じ出来事を見ても、人によって異なる感情が生まれることはしばしばあります。
そこには、
「事実」→「 認知(見方・捉え方)」→「 感情」
という流れがあると言われています。
桜も同じです。
桜が咲いているという「事実」に、
一人ひとりが「認知」を抱き、
その結果として「感情」が生まれます。
つまり私たちは、桜そのものに心を動かされているのではなく、
桜をきっかけに、自分の中にある大切なものに触れている
のかもしれません。
桜が特別なのではなく、
そこに特別な意味を見出しているのが、私たちなのだとしたら――
だからこそ、そのとき自分が感じたままに、
目の前の一瞬の美しさを味わっていたいと思うのです。
たとえ同じ景色でも、そこに立ち上がる感情は、
きっとその瞬間だけのものだからです。
—— あなたは、桜を見てどのように感じますか?
