ギレルモ・デル・トロ監督 『ヘルボーイ ゴールデン・アーミー』 : 失われし「完結編」
映画評:ギレルモ・デル・トロ監督『ヘルボーイ ゴールデン・アーミー』(2008年、アメリカ映画)
ギレルモ・デル・トロが、その個性を十全に発揮した作品には、いわゆるバッドエンドの作品が多いように思う。それは「悲惨な終わり」というよりも「悲しい終わり」という感じのものだ。
私はその理由を、デル・トロ監督自身の「異形」意識に求めている。つまり、彼自身が少なからず「この世界に、人間として生まれるはずではなかった、何か違ったもの」だという自意識なり疎外感なりを持っているから、それが主人公に投影された場合には、どうしても最後は主人公が死んだり、この世界では救われずに、別の世界へ去っていくといったことになるのではないかと、そう考えるのだ。
だから、デル・トロのデル・トロらしい作品を見ると、いつも最後は物足りない感じがする。「どうして、彼らを幸せにしてやれなかったのか」といった、悔しさやら憤懣に似たものを感じるのだ。
私自身は、そのような「冷たい世界」に、せめて一矢むくいないではいられない反抗的な人間なのだが、デル・トロは、そうした争いごとを好まず、殺し合いをするくらいなら、自分の方から退場した方が良い、殺された方がマシだと考える人のように感じられる。
それがまた「殺されてもいいが、必ず道連れにしてやる」と考えるような私には、どうにも歯痒くてならない。
その点、本作は、デル・トロ作品に中では、例外的に「パッピー」な作品だといえよう。

それは、主人公のヘルボーイ(ロン・パールマン)と、超常現象捜査防衛局・BPRDの相棒である半魚人のエイブ(ダグ・ジョーンズ)の二人が、酒に酔って、バリー・マニロウの名曲「涙色の微笑」を一緒に唄うシーンに、典型的に表れている。
仮にもアメコミのヒーローが、酒に酔って、甘いラブソングを合唱するシーンなど、前代未聞空前絶後であろう。

『きみがいないと笑顔になれない
きみなしでは笑顔になれない
声に出して笑うことも 歌うことも
何にもできないって気がつくんだ
きみが悲しいとき 僕も悲しい
きみが嬉しいとき 僕も嬉しい
そんな想い きみに知ってほしいんだ
きみがいないと笑顔になれないってことを
きみはさりげなく現れた
素敵な歌が流れてくるように
きみが僕の毎日を明るくしてくれた
きみがただの夢の一部だった頃が
あったなんて信じられない
もう遠い昔のことに思えるんだ』
(サイト「洋楽和訳 Neverending Music」より)
実際、コメンタリーでデル・トロ自身が「このシーンが最も気に入っており、このシーンを撮れただけで、この映画を撮った甲斐があった」と、そう語るだけのことはある、ギレルモ・デル・トロ作品としては、きわめて「例外的」に「幸福な」シーンになっている。
これは、デル・トロ自身にとっても、長らく「撮りたくても撮れなかったシーン」だった、ということなのであろう。
本作の「ストーリー」は、次のとおりである。
『1955年のクリスマス・イヴ、ニューメキシコ州にあるダグラス陸軍基地。幼少期のヘルボーイは養父である(※ 育て親の)ブルッテンホルム教授から寝る前に物語を聞かされていた。
「遠い昔、人間と獣と魔物との戦いがあった。(※ その)惨状を嘆き哀しむ(※ 獣や魔物を統べる)エルフ(妖精)の王バロルは、ゴブリンの鍛冶職人から“疲れを知らぬ無敵の軍隊”ゴールデン・アーミー(黄金軍団)の設立を要請された。ヌアダ王子の進言もあり、王は軍の製造を許可。完成したゴールデン・アーミーを操作するため、王は魔法の王冠を手にした。出撃したゴールデン・アーミーは人間たちを殲滅するが、その強大さ(※ と惨状に)に後悔した王は停戦を宣言、王冠を三つに分けた。その一つを人間に与え、二つは自身が保持した王は、停戦の条件として、人間は街に、魔物は森に住み、停戦は世界の終わりまで守るよう告げる。王子は、強欲な人間を信じられず、民に求められるその日までと去っていった。ゴールデン・アーミーは地中深くに封印され、再び王冠が一つになる日を待っている。」
それから数十年後の9月26日、ニューヨークはマンハッタンの地下で、ヌアダ王子はゴールデン・アーミーの復活のために行動する。まず手始めに、忠実な同志で巨体・怪力のMr.ウィンクと共に、古代遺物のオークションに出た「ベツムーラの王冠」の一片を、「歯の妖精」を使って強襲・強奪する。
一方、ニュージャージー州トレントンにある超常現象捜査防衛局(BPRD)。そこにはFBI局長のトム・マニングの指揮下、エージェントとして、怪力だが性格は子供のようなヘルボーイ、彼のガールフレンドで火を操る能力以外は普通の人間の外見をした女性エリザベス(リズ)・シャーマン、外見は不気味な半魚人だが精神感応力があり知的で心の優しいエイブラハム(エイブ)・サピエンが暮らしていた。
ヌアダ王子の犯行現場についた一行は、人間がみんな「歯の妖精」に食い尽くされたことを知り、一行も襲われ、彼らの秘密裏の行動が一般人に知られることになる。
さらにヌアダ王子とMr.ウィンクは、イーストサイド操車場から妖精界の議事堂に行き、休戦協定を破った王子に怒るバロル王を、双子の妹・ヌアラ王女とその他の重臣が控える場で、護衛戦士と共に刺し殺し、王冠の一片を奪う。危険を感じたヌアラ王女は、最後の一片と黄金軍団が隠されている秘密の地図を持ってブルックリン橋の東側にあるトロールの市場に身を隠す。
ヘルボーイたちの新しいリーダー(監視役)として、ドイツ人のヨハン・クラウスという霊気(エクトプラズム)を操る半機械人間が加わり、トロールと人間を見分けることができる秘密兵器「シュフタイン・グラス」などを使って、リズを除く一行はトロールの市場へ潜り込む。ヌアラ王女はヘルボーイたちに保護され、ウィンク及びヌアダ王子が呼び出した巨大な怪物・精霊(エレメンタル)は大暴れするが倒される。
美しく賢いヌアラ王女にほれ込んだエイブは今まで聞いたことのない恋の歌をCDで聞き、ヘルボーイと共に「涙色の微笑(Can't Smile Without You)」を歌ってビールを飲む。ヌアラ王女は地図を燃やし、王冠の最後の一片を本の間に隠す。が、秘密は筒にあり、ヌアラ王女とヌアダ王子は精神的にも肉体的にも繋がっているため(片方が血を流すと、もう片方も同じところから血を流す)、たやすく王女の居場所を知ることができた王子に戦いを挑まれたヘルボーイは胸に魔力を持った槍の刃先を埋め込まれる。
地図に基づき北アイルランド・アントリムへ飛んだヘルボーイたちは、下半身を失っているゴブリンの導きにより、黄金軍団によって廃墟となった町に住む死神と会い、世界を滅ぼすことになるだろうこの男の命を助けたいか、という死神の問いにリズは助けたいと答え、またリズはヘルボーイに自分の妊娠を告げ、ヘルボーイの体の中の槍の刃先は取り除かれる。
エイブのヌアラ王女に対する思いを利用して、最後の一片を手に入れ王冠を復活させたヌアダ王子は、地下都市で黄金軍団を蘇らせるが、ヘルボーイとの死闘のあげく、ヌアラ王女が自分の心臓を短剣で刺し、死を選ぶことによって、王子の命も消え、王冠はリズの手の炎で溶かされてただの金塊となる。』
(Wikipedia「ヘルボーイ/ゴールデン・アーミー」)




太古の昔、人間とエルフ(妖精)との間で戦争があった。その戦争は、人間によってその生存圏を侵されたエルフたちの自衛戦争であったが、「際限のない欲」を持つ人間の前にエルフたちは劣勢に立たされた。その時、
『エルフ(妖精)の王バロルは、ゴブリンの鍛冶職人から“疲れを知らぬ無敵の軍隊”ゴールデン・アーミー(黄金軍団)の設立を要請された。ヌアダ王子の進言もあり、王は軍の製造を許可。完成したゴールデン・アーミーを操作するため、王は魔法の王冠を手にした。出撃したゴールデン・アーミーは人間たちを殲滅するが、その強大さに後悔した王は停戦を宣言、王冠を三つに分けた。その一つを人間に与え、二つは自身が保持した王は、停戦の条件として、人間は街に、魔物は森に住み、停戦は世界の終わりまで守るよう告げる。王子は、強欲な人間を信じられず、民に求められるその日までと去っていった。ゴールデン・アーミーは地中深くに封印され、再び王冠が一つになる日を待っている。」』
このような「前史」があって、このエルフの国から去っていったヌアダ王子は、エルフの存在をすっかり忘れて、この世界を思うさま蹂躙している人間に対して、ついに決起を決意する。
しかし、そのためにはゴールデン・アーミーの復活が必要であり、王子は3つに割られた王冠を揃えるべく、最初は「古代遺物のオークション会場」に乗り込んで、そこにいた欲深い人間たちを皆殺しにして、王冠の部品を「取り返した」。
その後、父王と双子の妹から王冠の残りを手に入れるべく、いまや地下深くに存在するエルフの国にへと戻り、王子は父王にそれを渡すように要求する。だが、争いごとを好まない父王は、人間との約束を守るために、王冠の部品を息子に渡すことを拒否。王子は「このまま滅びの道を選ぶというのですか?」と問うて、それを否定しない父王を殺害し、王冠の一部を奪う。
そして、一方が傷つけば他方も同様に傷つくという、生死の運命を共にする不思議な絆で結ばれた妹からも、王冠の残り部分を得ようとするが、それを察した妹姫のヌアラ王女は、王冠の一片を手に逃走し、そこをエイブに助けられ、BPRD本部で匿われることになる。
そして、相手に触れるだけで、相手の気持ちとその精神性のありのままを一気に理解することのできる精神感応力を持つヌアラ王女とエイブは、一瞬で相思相愛の恋に落ちることになる。

しかし、王女と特殊な共感能力で結ばれているヌアダ王子は、すぐに彼女が居場所を察知して、BPRD本部に乗り込んでくる。

圧倒的な戦闘力を持つ王子に対抗できるのはヘルボーイただ一人だったが、このときヘルボーイは、エイブの初恋の成就を祝して深酒をしていたため、いつもの戦闘能力が発揮できず、また王子を傷つければ王女も傷つくとエイブから知らされていたため、ヘルボーイには、王子に深傷を与えないかたちで戦いに勝たなければならないという大きなハンデが課せられていた。
その結果、ヘルボーイは王子との一騎打ちに敗れて、深傷を負ってしまう。王子の槍の折れた穂先が、胸に刺さったままとなって抜けず、それは徐々に心臓へと近づいていたのだ。
一方、ヘルボーイを倒しはしたものの、王女がBPRD本部のどこかに隠した王冠の一片が見つけられず、エイブを殺すぞという脅しにも王女が屈しなかったため、王子は、王女の身柄とヘルボーイの命を人質にとって、ゴールデン・アーミーの眠るアイルランドの地下世界へ去ってしまう。両者の命が惜しければ、王冠の残りの一片をもってこい、ということだ。
ところが、BPRDは、ヘルボーイの命を犠牲にしてでも、ゴールデン・アーミーの復活を阻止しなければならない、つまり、王冠の残りを決して王子に渡すわけにはいかない、という非情な判断を下す。
それに激怒したリズ(セルマ・ブレア)と、王女によって隠された王冠を一片をひそかに見つけていたエイブ、そして最初はヘルボーイとぶつかっていた新上司の「気体人間」ヨハン・クラウスの三人は、組織の命令に逆らい、ヘルボーイと王女を救出すべく、王冠の部品を携えてアイルランドの地へとむかうのである。



補足説明が少々長くなったが、要は、たしかに本作は、デル・トロの作品の中では例外的な「ハッピーエンド」となっており、前作よりコメディ・シーンも多くて、全体の印象としては明るいものになっている。
けれども、仔細に見ていくなら、必ずしも「人間を肯定的なものとは描いていない」ということがわかって、その意味では決して「幸福なだけ」の作品ではない、ということもわかってくる。
そもそも、ヘルボーイとは、この世界に終わらせる、つまり「終末」を招来する「地獄の獣」であり、「悪魔」なのだ。
その彼が、今のように人間的であるのは、前作で描かれた「悪魔召喚」事件の際に、たまたま欲得なき善人であるブルッテンホルム教授に救われたからだ。教授の養子となって、実の息子のように愛情をもって育てられたから、彼は異形ではあっても、人の心を持つことになり、人間に受け入れられたい、愛されたいと願うようになった。
しかし、そんな彼の額に、二つ横に並んでいる白く短い円筒形のものは、彼に本来備わっている「2本のツノ」の削り跡である。
それは、放っておくと爪のようにどんどんと伸び、やがて上に向いた象牙の如き立派なものに育つのだが、そのツノは「世界に終末をもたらすための力を持つもの」なのだ。だから、ヘルボーイは、子供の頃からずっと、それを伸びないように削り続けているのである。
そして、そんなヘルボーイ対し、ヌアダ王子は「お前だって、本来はこちらの人間だろう。なのにどうして、あの貪欲で汚らわしい人間どもに味方するのだ」と語りかける。
つまり、ヌアダ王子自身、決して単純な「悪」の存在ではないのだ。彼は、ただ、人間という、他の存在を顧みることを知らない貪欲な存在を信用してはおらず、エルフが、そして他の生き物が生きのびるためには、人間を滅ぼすしかないと、そう思い定めてしまっているだけなのである。一一人間が、必要ならば、他の生物(※ 例えば、病原体やその媒介生物など)の絶滅も辞さないのと、同じように。


だが、父王や妹姫は、彼と同じようには考えなかった。
人間を信用しているというのではなく、他者を殺して生き延びるくらいならば、自分たちが滅びた方がマシだと、そう考える者たちだったのである。
王子は、そうした自己犠牲的な考えを、受け入れられなかっただけなのである。
実際、人間たちは、自分たちが生き延びるために、仲間であるヘルボーイを見捨てることも辞さないような生き物だった。
まただからこそ、リズとエイブ、そしてヨハン・クラウスという「半人半怪」たちは、人間たちの「合理的な命令」に逆らって、ヘルボーイと王女を助けるために、王冠の部品を持ってヌアダ王子の下へとむかった。たとえ、その結果として、人類を滅ぼすことになろうとも、という覚悟を持って。
つまり、彼ら3人にとっても、すでに人間とは、命を張って守るには値しないものと感じられていたのである。もちろん、愛する「仲間」を救うためとは言え。









だから、本作のラストは、王女の自殺によって、からくもヌアダ王子の野望を挫けはするものの、ヘルボーイとリズ、そしてエイブとヨハン・クラウスの4人は、そろってBPRDを辞職してしまう。人間社会とは距離をとって生きていくことを選ぶのだ。


それは、リズがヘルボーイの子供(双子)を孕っていたということもある。
けれども、作品解釈的には、この双子は、不幸な死をむかえればならなかった、ヌアダ王子とヌアラ王女の生まれ変わりだと、そう考えることもできるものなのだ。
一一結局、ヘルボーイたちは、人間社会に中で「同じ人間」として生きていくことを、断念しなくてはならなかったのである。エルフたちが、人間から距離をとったのた同じように。
さて、第1作『ヘルボーイ』は、おおよそ原作マンガに忠実に作られた作品で、その点ではギレルモ・デル・トロ色は、比較的抑えられていた。
しかし、その第1作が、劇場公開では振るわなかったものの、DVDがよく売れて続編の制作が決定し、このオリジナルの第2作では、デル・トロ色が強く出ることになる。
前作では、クリーチャーの種類はごく限られていたが、本作では、一瞬しか登場しない通りがかりのクリーチャーまで含めて、贅沢なまでに多種のそれが登場して、デル・トロファンを楽しませてくれる。



だが、それだけではなく、デル・トロとしては、あわよくばと、「第3作」の構想を持っていた。一一しかし、こちらの方は、残念ながら実現しなかった。
しかし、この「第3作完結編」が作られていたら、どんな話になっていただろう?
デル・トロは、本作『ゴールデン・アーミー』のDVDに収録されているコメンタリーで、それがヘルボーイに「最後の選択」を迫るものだということを示唆している。
本作『ゴールデン・アーミー』の中で、ヌアダ王子が、ヘルボーイの胸に槍を突きつけて、ヘルボーイを倒す寸前「お前は、自分が死ぬ時のことを考えたことがあるか? 今がまさにその時だ」というようなセリフを吐く。
それは、この作品の中では実現はしなかったものの、「第3作」では、今度こそヘルボーイは「死を覚悟しなければならない瀬戸際に立たされる」ということを、デル・トロは、このコメンタリーで語っているのである。一一では、それは、どのようなものになるのだろう。

私が、推察したのは、本作『ゴールデン・アーミー』では、彼を救うために、リズたちが「人類の危機」を顧みなかったように、第3作では、ヘルボーイが仲間たちのために「終末の獣」としての力を発揮しなければならないという瀬戸際まで追い込まれるのではないか、ということだ。
そして、その結果は、彼は、妻と子と友人たちを残して、死ななければならないのではないだろうか。
このように想像してみると、ある意味ではこの作品が、「第3作」が作られないまま、未完で終わったのは、ファンとして喜ばしい結果だったのかもしれない。
「第3作」まで作られていれば、それは無論、シリーズ作品(三部作)として首尾一貫したものとはなっただろうけれど、私たちは「愛すべき赤鬼」ヘルボーイの、自己犠牲的な死を目の当たりにしなければならなかったのかもしれないのだ。
そして、ヘルボーイのファンである私としては、そこまで描いてもらわなくても、そこはこちらが頭の中で、自分の力で補完するから、それでもう十分だと考える。
私たちはその「残酷な運命=人間の度し難い身勝手さ」を、自己責任において引き受け、それを直視しよう。
だから、彼らが「犠牲」になって見せる必要などないのだ。彼らは本作「第2作」におけるハッピーエンドのまま、永遠に凍結されれば、それでいい。
私たちは、彼らのために、「第3作」を諦めるくらいの犠牲まで、厭うつもりはない。一一そこまで貪欲ではないつもりなのだ。

(2025年1月31日)
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