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マイケル・カーチス監督 『カサブランカ』 : 戦時中の愛国心発揚ラブロマンス

映画評:マイケル・カーチス監督『カサブランカ』(1942年・アメリカ映画)

主演のイングリッド・バーグマン目的で見た、古典的名作である。

映画ファンではなかった昔から、私も本作のタイトルくらいは知っていた。一一というか、「カサブランカ」という言葉は、本作のタイトルとしてか、本作から採られた「店名」くらいでしか耳にする機会のないものではなかったかと思う。そうでなければ、モロッコの都市の名が、日本人に耳慣れたものであるわけもない。
ともあれ、たしかに昔は、「カサブランカ」という屋号の店(喫茶店やレストラン、ホテルなど)がよくあったのだ。

『第16回アカデミー賞で作品賞、監督賞、脚色賞の3部門を受賞し、主演ハンフリー・ボガートによる名セリフ「君の瞳に乾杯」でも広く知られる名作ラブロマンス。第2次世界大戦下の1941年、アメリカへ行くためには必ず通らなければならない寄港地だったフランス領モロッコのカサブランカ。そこで酒場を営むアメリカ人リックのもとに、かつてパリで恋に落ちたものの、突然目の前から姿を消した恋人のイルザが、夫で反ナチス活動家のラズロを伴って現れるが……。共演にイングリッド・バーグマン。監督はマイケル・カーティス。』

映画.com『カサブランカ』

今回、本作を見て初めて、私は、上で紹介されている「君の瞳に乾杯」「そんな昔のことは覚えていないさ」&「そんな先のことは分からないね」といった「名セリフ」が、本作のものだったのだと知った。

(フランス時代の二人)

きっと、私が子供の頃のテレビ番組では、本作『カサブランカ』のパロディシーンや、こうした「名セリフ」が引用的に使われいたりしたのであろう。それがくりかえされたために、映画自体を知らない子供の私の耳にも、こうしたセリフが残ったのではないだろうか。

それにしても、私が子供の頃でさえ、こうしたセリフは「キザ」だと感じられた。
だから、こうしたセリフは、しばしばギャグ的にパロディ化されたりもしたのではないかと思う。

私が高校生の頃の人気歌手に沢田研二がいて、彼の曲に「カサブランカ・ダンディ」(1979年・作詞 阿久悠)があった。その歌詞に、

ボギー ボギー
あんたの時代は良かった
男がピカピカの
気障(キザ)でいられた

という部分がある。

ここで「ボギー」と呼びかけられているのは、『カサブランカ』の主演男優ハンフリー・ボガートのことで、「ボギー」はボガートの愛称。

つまり、1962年生まれの私が高校生の頃には、『カサブランカ』の名セリフは、すでに時代遅れにマッチョなものになっていた、ということなのである。

しかし言い換えれば、『カサブランカ』時代のハンフリー・ボガートは、カッコいい「男らしい男(男の中の男)」というイメージのスターだったということだ。戦中に「男らしい男」のイメージが歓迎されたというのは、わかりやすいところではあろう。

だが、ハンフリー・ボガートが、なぜ「男らしい男」を代表する男性俳優になったのかと言えば、それはたぶん、彼がギャング役などを経たのち、ハードボイルド探偵役によって人気を勝ち得た俳優であったためであろう。

ハードボイルド探偵と言っても、それはいろいろあり、特に時代が下がるにしたがって、女性に優しいハードボイルド探偵も登場する。

しかしながら、ハンフリー・ボガートの演じた私立探偵がそうであるように、初期のハードボイルド探偵というのは、半分は「裏社会」の人間だったから、女性に親切ではないマッチョな人物も多かったということなのだろう。

現実においても、職業化された「私立探偵」というのは、有名な「ピンカートン探偵社」がそうであったように、特に初期には「(優秀な)元ならず者」を雇って「探偵」をやらせていたという事実もあるのだ。「ならず者のことは、ならず者が一番よく知っている」からである。
よって、私立探偵というのは、初期には、あまり柄の良くない者も多く、女性に対して必ずしも紳士的ではなかったということなのだろう。少なくとも、そういうマッチョなギャング的イメージがあったのだ。
(※  ピンカートン探偵社は、ジョージ・ロイ・ヒル監督の名作『明日に向かって撃て!』で、お尋ね者の主人公二人を執拗に追跡する役どころで登場する。コナン・ドイルの小説「シャーロック・ホームズ」シリーズにも言及がある)

そして、ハンフリー・ボガートの演じた私立探偵が、悪党に対してだけではなく、女性に対してさえも「非情な態度」をとって見せたところに、当時の男性は「男らしくてカッコいい」と感じたのである。

しかしまたそれは、ハンフリー・ボガートが活躍した時代、すでに「紳士たる者、女性に優しくなければならない」という社会倫理が普及していた、ということなのであろう。特に、プロテスタント倫理の国であったアメリカにおいては、その傾向が強かったのかも知れない。
つまり、そうした「社会的倫理規範」が強く存在したからこそ、本当は、女性を屈服させたい、威張りたいという欲望を隠し持っていた凡庸な男たちは、ハンフリー・ボガートの演じた、ハードボイルドな私立探偵に憧れたのではないだろうか。

そしてそれは、映画『カサブランカ』から30年以上も時代の下った極東の島国では、その頃でさえ「男の憧れの男性像」として延命していた、ということなのである。

ちなみに、「カサブランカ・ダンディ」の7年前には、ウディ・アレン監督の映画『ボギー!俺も男だ』(1972年)がある。
私はまだこの作品を見ていないから、たしかなことはいえないが、見るからに「頼りない非モテ」男であるウディ・アレンの主演・監督作なのだから、こちらの方は、単純な「マッチョ願望」の作品などではないだろう。むしろ、男の価値は「(わかりやすい)強さだけにあるのではない」というメッセージが込められていたのではないだろうか。この時代には「男なら強くあれ」という社会規範が、かえって男性の桎梏と感じられるようになっていた部分もあったのかも知れない。

(『ボギー!俺も男だ』での、『カサブランカ』のパロディシーン)

ともあれ、1972年の『ボギー!俺も男だ』と、1979年の「カサブランカ・ダンディ」を比べてみると、やはり日本は、周回遅れの憧れを引きずっていた、と見ることもできよう。
1979年と言えば、無論ウーマン・リブ以降」なのである。

 ○ ○ ○

本作『カサブランカ』のポスターには、中折れ帽(=フェドラハット=ボルサリーノ)トレンチコート姿で拳銃を構えたハンフリー・ボガートの姿が描かれたものもあって、それを見ると、本作も「ハードボイルド探偵もの」かと勘違いさせられてしまうが、そうではない。これは、当時のアメリカ大衆のなかでは、ボガートにそのイメージが強かったから、そのイメージで客を惹こうとしたのであろうと推察される。

(※ ジャン=リュック・ゴダール監督の『メイド・イン・USA』で、ヒロインのアンナ・カリーナがトレンチコートを着ているのも、ボガートの演じた探偵へのオマージュまたはパロディ)

本作『カサブランカ』は、あくまでも、戦争を背景にした「三角関係のラブロマンスもの」なのである。

概要
原作はマレイ・バーネットとジョアン・アリスンによる上演されなかった戯曲『皆がリックの店にやってくる』で、親ドイツヴィシー政権の支配下にあったフランス領モロッコカサブランカを舞台に、かつて深く愛し合った末に別れた男女の思いがけない再会と愛の再燃を描いている。第二次世界大戦にアメリカが参戦した翌年の1942年に製作が開始され、同年11月26日に公開された。第16回アカデミー賞にて作品賞・監督賞・脚色賞の3部門を受賞。配給はワーナー・ブラザース。
第二次世界大戦中に撮影されたこの作品は、女性(バーグマン)への愛と、チェコスロバキアのレジスタンス指導者である彼女の夫(ヘンリード)のヴィシー支配下の都市からの逃亡を助けるかの選択を迫られる酒場の主人であるアメリカ人(ボガート)に焦点を当てている。

ストーリー
1941年12月、親ドイツのヴィシー政権の管理下に置かれたフランス領モロッコの都市カサブランカ。ドイツの侵略によるヨーロッパの戦災を逃れた人の多くは、中立国のポルトガル経由でアメリカへの亡命を図ろうとしていた。
主人公であるアメリカ人男性のリックハンフリー・ボガート)は、パリが陥落する前に理由を告げずに去った恋人イルザ・ラントイングリッド・バーグマン)と、彼が経営する酒場「カフェ・アメリカン」で偶然の再会を果たす。パリ時代の思い出である『アズ・タイム・ゴーズ・バイ』が切なく流れる。
イルザが店を去って再び過去の痛みにリックは苦しむ。
イルザの夫で、現在はドイツに併合されたチェコスロバキア人のドイツ抵抗運動の指導者ヴィクター・ラズロポール・ヘンリード)は現地のオルグと接触、脱出のチャンスをうかがっていた。フランス植民地警察のルノー署長クロード・レインズ)は計算高い男だが、流れに逆らうように異郷で生きるリックにシンパシーを感じ、かつてスペインのレジスタンスに協力したリックに、ラズロには関わるなと釘を指す。現地司令官であるドイツ空軍のシュトラッサー少佐は、ラズロを市内に閉じ込める。
イルザは、夫を助けられるのは闇屋のウーガーテピーター・ローレ)からヴィシー政権の発行した通行証を譲り受けたリックしかいないと、必死に協力を乞う。そして通行証を渡そうとしないリックに銃口さえ向ける。しかし引き金を引くことが出来ないイルザ。2人はお互いの愛情を確かめ合う。
リックは、ラズロとイルザが通行証を欲しがっている事実をルノー署長に打ち明け、現場でラズロを逮捕するようにと耳打ちする。手柄を立てるために、約束の閉店後の店にやってきたルノーだが、リックの本心は、2人を亡命させるためにルノーを空港まで車に同乗させて監視の目を欺く点にあった。シュトラッサーを射ち殺してでも彼女を守ろうとするリックは、(※ すでに)過去の痛みに耐えていた彼ではなかった(※ 過去の痛みを乗り越えていた)。
愛を失っても大義を守ろうとしたリックを前にして、実はレジスタンスの支援者であったルノーは、自由フランスの支配地域であるフランス領赤道アフリカブラザヴィルへ逃げるように勧めて、見逃すことにする。
2人と連合国の未来に希望を持たせながら、彼らは宵闇の中へ消えていく。』

(Wikipedia「カサブランカ」

物語のラストが、

『愛を失っても大義を守ろうとしたリックを前にして、実はレジスタンスの支援者であったルノーは、自由フランスの支配地域であるフランス領赤道アフリカブラザヴィルへ逃げるように勧めて、見逃すことにする。
2人(※ ラズロとイルザ)と連合国の未来に希望を持たせながら、彼ら(※ リックとルノー署長)は宵闇の中へ消えていく。』

とあるように、ラストは、リックがイルザから身をひいて、「ラズロとイルザ」の二人を逃すことで、『連合国の未来に希望』を描く、というラストなのだ。一一したがって、本作は間違いなく、アメリカの、と言うよりは、連合国のための、愛国心発揚映画なのである。

「Wikipedia」にもあるとおり、本作制作当時のフランスは、ドイツ軍との戦争に敗れてその占領下にあった。
つまり、時のヴィシー政権とは、ドイツの傀儡政権だったのである。

当然、本作の舞台である、フランス領のモロッコにも、ドイツの役人などが乗り込んできていたし、モロッコも基本的にはドイツの支配下にあったから、本作に登場する警察署長のルノーも、表向きはドイツの意向に従っていた。

(左から、ラズロ、イルザ、ルノー署長、リック)

だが、彼らとて、本気でドイツに忠誠心を持っていたのではない、というのは「Wikipedia」の説明にもあるとおりだし、ルノーのリックとの関係や、ルノーの韜晦的な「どっちつかずの態度」にも明らかである。
言い換えれば、彼も本音ではドイツに反発しており、本心ではフランスに忠誠心を誓っていたのだ。

とは言え、実際のところ、そもそもモロッコはフランスの植民地であったのだから、フランスへの忠誠心というのもあやしいところなのだが、しかし警察署長の名前がルノーということからわかるとおり、警察幹部などにはフランス人やフランス系が就いていたということなのかも知れない。

ともあれ、この映画の立場としては、要は「アメリカ目線」で、

「フランス及びヨーロッパ諸国(植民地も含む)の皆さん、アメリカは皆さんを解放するために、この戦争に参戦しました。ですから、今は、ドイツの占領下にあって、心ならずもドイツに従っているフランスの皆さんの気持ちまで含めて、我々アメリカは皆さんに同情と共感と理解を持っています。だから、今は苦しくても、愛国心を捨てることなく、共に手を携えて、ドイツと闘いましょう」

と、そういうことなのである。

単に「ドイツの言いなりになりやがって」などということではなく、「アメリカは、あなた方の窮状を理解しています。私たちはあなた方の味方です」というアピールなのだ。
一一まあ、本音は別にして、この程度の戦略的配慮は、当然のことだったのである。

実際、本作の劇伴(BGM)には、アメリカ国歌ではなく、フランス国歌のアレンジ曲が何度も流れる。

(リックの店 カフェ・アメリカン)

また、カサブランカにある「リックの店 カフェ・アメリカン」において、ドイツの占領役人グループが、わがもの顔でドイツの国歌(?)を歌って盛り上がっているのに対し、リックが店のバンドに支持してフランス国歌を演奏させると、店に来ていた反独活動家のラズロだけではなく、店の店員や客たちまでもが、全員立ち上がってフランス国歌を力強く合唱、ドイツの役人たちを黙らせてしまうという、とでも「感動的なシーン」がある。

フランス国歌になど何の思い入れもない、今の日本人である私が見ても、ついグッと来てしまうようなシーンなのだから、当時のアメリカ人が見たら、もっと感動しただろうし、この映画を見る機会に恵まれた当時のフランス人は無論、連合国の国民なら、感動したであろうことは、まず間違いない。

この映画が「名作」になり得たのは、「戦争映画」によくある「正義の連合国軍が、悪のドイツ軍をやっつける」というのような、わかりやすく「勧善懲悪」な物語ではなく、むしろ「正義の側が逆境にありながらも、理想のために献身する」という内容になっており、それを「戦闘シーン」ではなく「ラブロマンス」を通じて描いていたためであろう。

結局のところ、アメリカ人のリックは、世界の未来のために、愛する女性を、夫であるラズロに譲って二人を逃亡されるという、一歩も二歩もひいた、自己犠牲的な態度を採るのであり、それはこの映画の「我々アメリカが主役ではなく、あなた方フランスが主役なのです。我々はただ、あなた方の力になりたいだけなのです」という内容に合致したものなのである。

つまり、極めて「ストイックなラブロマンスもの」として、本作には「品格」があるので、本作は「ラブロマンス映画」としても「名作」になり得たのだ。

ただ、私が見たDVDに付録していた「メイキング映像」には、この映画が、最後までシナリオが完成していない段階から撮り始められた作品だった、という裏事情が紹介されていた。
というのも、当時全盛期のハリウッドでは、大手映画会社は一社で年間50本もの映画が制作されていたりしたので、見切り発車で制作された作品もあったらしい。

いずれにしろそのため、本作のラストについても、実は、ヒロインのイルザが最終的には、夫ラズロとアメリカ人のリックのどちらと結ばれるのかが、けっこう後まで決まってはいなかったのだ。

(左から、シュトラッサー少佐、ルノー署長、ラズロ、リック、イルザ)

そもそも、イルザが陥落前のパリでリックと恋愛関係になったのは、リックには隠していたが、夫で反独活動家のリーダーであるラズロが、ドイツ軍に捕まり収容所送りになって死んだ、という知らせを受けていたからなのである。
そのため、彼女はその心の穴を埋めるようにしてリックと結ばれたのだが、しかし、リックと共にフランスを出ようとしたその日に、ラズロが生きており病床に臥せっていると知らされたので、彼女は夫の方を選んだ、という経緯だったのだ。つまり、彼女は「不倫」をしたわけではなかったのだ。

したがって、結果としてはリックを裏切ったかたちになったイルザは、もちろん二度とリックに会うつもりはなかったし、リックの方も「裏切られた」という意識から、彼女のことは忘れようとしていたのだが、運命の悪戯が二人を再会させて、面倒な三角関係になってしまったのである。

だが、その三角関係は、一人の女性であるイルザも決して不実だったわけではないし、二人の男性はいずれも侠気のある人物だったから、いわゆる「一人の女を奪い合う」というような、ドロドロした関係にはならなかった

再会した当初はイルザを恨んでいたリックだが、イルザから真相を聞かされ、彼女自身いまだにリックを愛しているという事実を知り、いったんはラズロから彼女を奪って逃げることも考えた。イルザもそれに傾きかけていた。
しかし、それを察していたラズロが、命を狙われている自分と行動を共にさせるのはイルザのためにはならないと、むしろみずから身をひいてリックにイルザを託そうとしたその態度に、最後はリックの方で身をひき、二人を逃すという選択をするのである。

つまり、迷える女性と、侠気のある二人の男性による三角関係だから、本作はドロドロしたものにはならず、むしろ騎士道的精神に満ちた恋愛ものとして、名作となり得たのだ。

(ラズロ、イルザ、リックの三人)

一一で、前述のとおり、本作がこうした結末の作品になったのは、あくまでも結果論なのである。
つまり、主演の男女が演ずるリックとイルザが結ばれるラストも考慮はされたのだが、結局は今のかたちに落ち着き、その結果、品格のある恋愛映画の傑作になり得たのだ。

しかし、本作が恋愛映画として傑作になり得た理由の一つとしては、やはり、ラストが決まらないまま、撮影がなされたということも、決して無関係ではないと、私は見る。

というのも、本作を見ている最中は、最終的にイルザが、どちらの男性と結ばれるのかが、まったく窺い知れないからだ。
「こう来たから、きっとラストはこっちだな」という予測が困難な作品なのである。
一一なにしろ、演じてる三人か、ラストを知らないのだから、それはそうなるのも当然だったのだ。

つまり、本作には、良い意味で「伏線」が張られてはいない
そのため、ラストが予想できず、物語の行く末をどうなることかと、ただ見守るしかなかったからこそ、このラストの「潔い選択」も生きたのであろう、ということだ。

最初からシナリオが、きっちりと出来上がっており、俳優たちがラストまで承知して演技をしていたら、本作のような、ラストの読めないが故にラストが生きた作品にはならなかったのではないかと、私はそう評価しているのである。

やはり、恋愛というのは、そうでなくては面白くないのではないだろうか。

(霧のカサブランカ空港で、ラズロとイルザの乗った飛行機を見送る二人)


(2025年7月1日)


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