松田いりの 『ハイパーたいくつ』 : 「筆力」だけはある。
書評:松田いりの『ハイパーたいくつ』(河出書房新社)
河出書房新社が主催する公募小説新人賞「文藝賞」の受賞作である。つまり、新人作家のデビュー作。
本書は、その受賞作のみを収めた単行本で、ゆったりとした字組みで100ページほどの「中編」。一一だから「すぐに読めるし」と、安易に考えたのが失敗だった。

本書の帯には、同賞の選考委員たちの推薦文が並んでいる。
これは、いつものことだし、そんなものを信用してはならないという経験値を十分に積んできたはずなのに、それでも「すぐに読めるし」と、ダメ元で読んでみたら、やっぱりダメだった、という作品である。
もちろん、こういうのが好きな人も中にいるだろうし、この新人作家に「筆力がある」というのは認めるのだけれど、本作が「優れた作品なのか」と言えば、私には単に「作家の将来性が買われた」習作としか思えない。
帯に刷られた「選考委員の推薦文」とは、次のようなものである。
【選考委員 小川哲・町田康・角田光代・村田沙耶香、笑撃!】
「『これは面白い』と感激した。物語がどんどん加速し、最後まで可笑しさや面白さが減速しないまま走りきっている。」――小川哲
「身体が変調する感覚、言葉への妄執、不潔への恐怖、狂気の反転、言葉による魂の放恣な垂れ流れ。恐怖と笑いが同時に腹の底からせり上がってくる。」――町田康
「こちらの予想をかんたんに裏切ってくる独創性がどんどんスパークしていく、その意外性がおもしろかった。」――角田光代
「発狂ぎりぎりで瞼の裏側に現れる万華鏡のようで、どんどん鮮やかになっていく作品世界にのめりこんだ。」――村田沙耶香

私の場合は主として、小川哲の『『これは面白い』と感激した。』というシンプルな「確言」に動かされたのだが、本作を読み終わった今となっては、「面白い」というのは、所詮ひとそれぞれだし、軽くスルーした、推薦文の残りの部分『物語がどんどん加速し、最後まで可笑しさや面白さが減速しないまま走りきっている。』というのも、今となっては「嘘ではないけれど、それだけのこと」でしかない。要は「最後まで息を切らさずに、よく完走しましたね」ということでしかない。
ほかの推薦文もおおむね同じで、町田康と村田沙耶香も、その「非凡な筆力」を評価しているだけであり、小説として面白いとは言っていない。
角田光代は、物語展開の「独創性」と「意外性」を評価しているが、これは本作が、一種の「狂気の世界」を描いているからで、当然と言えば当然でしかなく、その「狂気の世界」に、小説として十分な「説得力」が与えられているかと言えば、そうは思えない。
たしかに、こんな「狂気」にとらわれている、言うなれば、これに近い現実とそれゆえの「被害妄想」にとらわれている人なら「実在する」だろうが、それが小説の題材として昇華されているかと言えば、そうは思えない。つまり、小説としては「未熟・未完成」なのだ。
また、最近の「未熟な新人作家」の推薦文には、「タレント」を起用することが増えているようだが、彼らは「小説としての完成度」などというものには興味がなく、自分の「好み」でしか評価しないから、「評価しそうな人」に原稿料を渡して推薦文を書かせれば、間違いなく「絶賛」してくれもするだろう。読んだ上で断る人なんて、まあ「いない」と言っても過言ではない。褒めるのも「芸のうち」なのである。
【俳優・仲野太賀、ラッパー・TaiTan、激賞! 各界で話題沸騰!】
「壊れた感情が、もの凄い速度で事故ってる。
読後感は"瀕死"だった。
なんとか生きてる、まだ人間やれてる…
空いた口から出てきた言葉は『速すぎて、止まってみえる…即ちハイパーたいくつ…!?』」
――仲野太賀(俳優)
「言葉が勝手に“来る”。
読み手の眼球を突き破って“来る”。
その速度と乱暴さが気持ちいい。
超、面白いです」
――TaiTan(ラッパー・Podcast「奇奇怪怪」パーソナリティ)
後の推薦文なんかは、「武蔵大学の教授」でタレント映画評論家でしかない北村紗衣の著書に推薦文を寄せた、ラッパーのライムスター宇多丸を彷彿とさせて、「やはり、ラッパーというのは調子がいいし、〝吹く〟のが得意なのかもしれないな」と思った。
そうではない、言葉に責任を持つラッパーさんには申し訳ないが。
そんなわけで、こうした「推薦文」を、頭から信じたというわけではないが、中編で「すぐ読めるし」という心の緩みが、誤った選択を招いてしまった。
やはり、「海のものとも山のものともつかない、新人の作品」は、もう少し様子を見てからに読めばよかった。一番乗りが自慢になるなどと思えるほど若くもないのに、つい「未見の新人」ということで、掘り出し物を期待してしまったのは、私がまだまだ甘かったせいとしか言いようがなく、言い訳の余地もない。
本書の内容は次のようなものである。
『【日常から退屈を引き剥がすつもりが、なぜか服も人生もすべてボロボロに――】
職場では1000倍の支払いミス。私生活では高額な衣服の買いすぎでクレカ借金。62万円課金したジャケット姿は無様なペンギンに似ているから「ペンペン」呼ばわり。そんな日常がひたすら退屈。
「私は大人になれるだろうか。大人になれなければせめてペンペンとして溺れる姿をみんなに見せなくてはならないのだろうか――」
鬱屈アンド窮屈な現実がついに崩壊するとき、壊れた私の壊れた言葉が、壊れた風景を呼び起こす。
言葉が現実を食い破る、超現実アルティメット文学!』
要は、特別に優秀でもなければ劣ってもいない主人公が、過酷な職場環境の中で大きな失敗をして同僚に多大な迷惑をかけてしまう。それでも、それを気にしていないかのように主人公に接してくれるチームリーダーもいるのだが、周囲の目は当然のことながら冷たい。
普通なら転職を考えるべき窮状にありながら、しかし主人公には、身の丈に合わない「衣装道楽」があって、今の会社を辞めるわけにはいかない。より良い条件での転職など考えられないから、みんなに嫌われようと馬鹿にされようと、今の職場にしがみつくしかないのだ。
そんな折、主人公に唯一やさしいチームリーダーが、主人公のことを「ペンギンに似ている」と言ってはしゃぎ、「ペンペン」というあだ名をつけたので、それ以降、主人公は同僚たちから「ペンペン」と呼ばれ、なおさら軽んじられるようになる。
また、そんな主人公にも、もともと「正常」とは言い難いところがあったのだが、こうした危機的な状況の中で、主人公は「被害妄想」に彩られた世界へとまっしぐらにつき進んでいく。
一一と、こんなお話だ。

だから、本作で「売り」となるべきは、この「被害妄想的な世界」のリアリティなのだが、それが無いのだ。
「筆力」なら確かにある。だが、それが「説得力」にはつながっておらず、ただ力押しで最後まで押し切るだけなのだ。
無論、それはそれで大したものなのだが、小説作品としては「なにこれ?」といったようなものにしかなっていない。
例えて言えば、むかし流行った、人体を切り刻むだけ、みたいな「スプラッターホラー」映画のようなもので、そういう偏頗なものが「面白い」と思えるような人なら、本作も面白いだろう。
だが、その「人体解体」シーンに、物語の構成要素としての必然性を求めてしまうような、当たり前の鑑賞者には、そんな「スプラッターホラー」や、本作のような、ある意味で「フィティッシュ」な作品は楽しめない。
ピンヒールに興奮できる人がいるというのは、頭では理解できても、同じように興奮することはできないのと、同じことなのである。
この新人作家が、その「筆力」を生かして、もっと説得力のある世界を構築できるようになればと思いはするけれど、それを本気で期待することは、残念ながら今の私には、したくてもできないのである。
(2025年1月4日)
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