柴崎友香 『帰れない探偵』 : 帰らない帰れない
先日レビューを書いた、海猫沢めろんの『ディスクロニアの鳩時計』を知ったのも、『本の雑誌』誌の連載記事、大森望の「新刊めったくたガイド」でだったのだが、本書もたぶんそうだと思う。
「たぶん」というのは、『ディスクロニアの鳩時計』の時と同じで、『本の雑誌』の当該号が(立ち読みだったから)手元に無いためで、ネットで検索しても、その記事が出てこなかったからである。
一一と、これと似たようなことを『ディスクロニアの鳩時計』のレビューでも書いたのだが、その後に「WEB 本の雑誌」に当該記事がアップされているのを見つけたので、レビュー本文は書き換えず、当該言及部分にリンクを張っておいた。
で、本稿は、『ディスクロニアの鳩時計』ではなく、柴崎友香の『帰れない探偵』のレビューなのに、どうしてこんなことをうだうだと書いているのか。
「それはいつものことだろう」と言われると、返す言葉もない私なのだが、今回はちゃんとした理由がある。
私自身、「こんなひねった書き出しは、AIには出来ないだろ。ウッシッシ(古笑)」などと思ってもいるのだが、だから当然、『ディスクロニアの鳩時計』の時と同じように、本書の存在を知った「大森望の記事が見つからない」という、どうでもいいことを書きたかったのではない。
そうではなく、本作が、この「見つかりそうで見つからない」「帰れそうで帰れない」という、なんとも宙ぶらりんな、不思議な感触に満ちた作品であることを、この冒頭の寄り道で、お伝えしたかったからである。
一一ああ、私の場合は、ちゃんと着地しちゃったな。
本作『帰れない探偵』について、最初に書いておかないといけないのは、本作が、いわゆる「ミステリ小説ではない」ということだ。
Amazonのカスタマーレビューでも、その点での誤解のせいで「ミステリー小説ではないじゃないか!」と怒っていた方がいらしたが、たしかに、紹介のしかたによっては、そうした誤解を招いてしまう作品なので、私はここで最初に(でもないが)ハッキリ伝えておくことにしたのだ。
では、本作『帰れない探偵』は、どんな小説かというと、「幻想小説」だと考えておけば、だいたい間違いはない。
その上で、「幻想ミステリ」だとか「幻想SF」だと表記しておけば、勘違いされることもないだろう。
つまり、リアリズムの世界で、物理法則に従った「謎解き」がなされるような小説「ではない」のである。
本作の中では、普通に考えたらあり得ないことが現に起こっているという描写があり、その謎について、いわゆる「本格(謎解き)ミステリ」のような「合理的な説明」は、なされない。
そこで起こる「非合理的な現象」や「陰謀」らしきものは、どこか「夢の中での出来事」のように、その輪郭に曖昧なところがあって、「なぜ、そんなことが起こるのか?」というよりも、ただ「現に起こっている」だけなのである。

私が読んだ大森望による書評記事では、本作を「ポール・オースターに似た雰囲気」というように評していたはずだが、それはこうした「幻想小説的な非リアリズム」を指しているのである。
私も若い頃、まだポール・オースターの初期作品を読んで「これ、ミステリじゃないじゃないか!」と怒った記憶がある。
まあ、私の場合は、前述のAmazonカスタマーレビュアーさんとは違い、ポール・オースターという未知の作家の話題作に「本格ミステリ」を期待したのではなく、いわゆる「アンチ・ミステリ」を期待したのだ。
だが、私が読んだそのオースター作品一一『シティ・オヴ・グラス』だったか『幽霊たち』だった?一一は、本作『帰れない探偵』と同様に、「探偵」が主人公ではあるものの、「本格ミステリ」でも「アンチ・ミステリ」でもなかった。そもそも、「謎解き」小説ではなく、謎の解けない世界を描いた小説なのだ。
「ある人物の調査を依頼された私立探偵が、その人物を尾行しているうちに、その人物が自分自身であることに気づいて、自分で自分の尾行による観察を続けているうちに、自分という存在が曖昧になっていく」みたいな内容だったと思う。けれども、読んだのはずいぶん昔の話だから、これも間違っているかもしれない。
また、どっちにしろこれは、私が昔読んだ、ポール・オースターの小説の話であって、本書『帰れない探偵』の話ではない。
このままうだうだと脱線めいた紹介を続けていると、「おまえの無駄話はいらん。中身を教えろ!」と怒り出す方も出てくるかもしれない。
だが、私には本作の「ストーリー」を紹介するつもりはない。「そんなことは、召使いにでもやらせておけ」というリラダン主義者だからだ。一一というのは、まあ冗談だが、要は面倒くさい雑事としか思えないからだ。
そんなわけで、どうしても「あらすじくらいは知りたい」という方には、高頭佐和子という人による、次の書評を紹介しおこう。
一一もちろん、高頭さんは私の召使いではないので、そこは誤解のないように。
ただ、そんなルーチン嫌いで面倒くさがり屋の私としても、本書について、ひとつだけどうしても書いておかなければならないのは、私は本作の「リアルな迷宮世界」的な雰囲気が、とても好みに合っており楽しめた、ということだ。
実際、本作中にはカフカへの言及もあったが、カフカの長編ほど退屈ではなく、ちょうどいいくらいに、うろうろさせられるような雰囲気なのだ。
あと、本作は「連作短編」と「連作長編」の間くらいの作品で、最後のエピソードで、この世界の謎が、解けそうで解けないところまではいくので、「連作短編」とも「連作長編」もと言い切れない、その間くらいの作品なのである。一一だが、そこは重要ではない。
本作の主人公である、名無しの女性探偵は、おおよそそうした各短編ごとに、外国の別の都市に移動し、そこでのエピソードが語られるのだか、その街がどこなのから、はっきりとは書かれはしないものの、おおよそ、そのモデルとなる街がどこなのかは、わかる人にはわかるように書かれている。
で、主人公が、2箇所目(第3話)に移り住む場所は、「双子山」とでも呼ばれているのであろう低い山のある雨の多い田舎町なのだが、私はこの思わせぶりな描写を読んで、すぐに『ツイン・ピークス』だとわかった。
本作の、各話に登場するゲストの登場人物は、基本的に「仮名」となっており、最初の舞台(第1〜2話)などは、明らかに日本ではなく、アメリカかどこかなのに、仕事の依頼人として登場する人たちは、なぜか主人公によって当てられる仮名が、「日本の苗字」なのだ。
で、これは明記されてはいないものの主人公が日本人だからなのだろうと窺わせる。
けれど、上に紹介した二つ目のエピソード(第3話)における、『ツイン・ピークス』似の街に登場するゲストの人物は、いきなり仮名「オードリー」だったので、これで間違いなしだと、私は確信した。
そしてその後には、かつての殺人事件の最初の被害者の名前が「ローラ」だったと紹介されるので、これがダメ押しとなった。かの「世界一美しい死体」と称された、ローラ・パーマーである。

そんなわけで、柴崎友香は初めて読んだのだが、なかなか趣味が合うじゃないかと、私は好感を持ったのである。
今どき『ツイン・ピークス』を出してくるのは、よっぽどのファンだったからに相違ない。一一以上だ、ダイアン。
だが、ついでだから書いておくと、柴崎友香は大阪出身である。
本作の、最終盤には大阪弁も出てくる。
あまり女性作家の小説は読まない私だし、私自身、大阪人でありながら、どこか大阪の作家は、泥くさいリアリズムといったイメージと言うか、私にはそんな偏見があって、大阪出身作家の著作には、なかなか手が出なかった。
だが、今回初めて読んでみて、柴崎友香はそんなイメージからは遠い、すごくスッキリした、しかしスッキリしすぎない手触りのある作家だと思った。
で、このレビューを書くために「Wikipedia」を確認したところ、柴崎友香が、大阪市大正区出身だと知り、にわかにおぼろげな記憶が蘇ってきた。
私は3年前まで大阪府警に勤務していたのだが、その最後に勤務地が、「大正警察署」であった。
同署のたいがいの交番に勤務したから、大正区内はだいたい全域をうろうろ(警邏)したはずだが、その際に、大正区内のどこかの高校に、著名な卒業生として、柴崎友香の名前の書かれた垂れ幕が下げられており、読書家である私はそれを見て「読んだことがないなあ」と、そう思った記憶である。
もしかすると、その垂れ幕には、柴崎友香だけではなく、こちらも大阪出身の黒川博行の名前が並んでいたかもしれない。
この記憶が正しければ、その学校は人気作家を2人も輩出したということだから、それで私の印象に残ったのかもしれない。
黒川博行は、主にリアリズムの「犯罪小説」を得意とする人だから、「本格ミステリ」が好きな私は、好みの傾向が違っており、あまり読んでいないのだけれど、たしか一冊だけは読んだことがあるはずだ。それは、その当時話題になっていた事件を題材にした小説だったと思う。
ともあれ、柴崎友香は私よりひと回りほど年下なだけだから、私が大正警察署に勤務していた頃に、その学校にいたわけでは、当然ない。
だが、今になってみると、同じ土地の記憶を有する者としての、勝手な親近感を覚えてしまった。
その垂れ幕を見た時は、なんの興味も無かったのに。
ともあれ、私にとっての「大正」は、いまや本作『帰れない探偵』の故国と同様、帰れない場所となっている。
だが、私の場合、いつでも行くことができる場所だけれど、あえて行く理由も無いから行かないだけなのだが、だからこそきっと、死ぬまで大正の地を、再び踏むことはないだろう。
それまでに勤務した、平野、枚方、豊能といった、特に行くべき理由も機会もなかった場所と同じように。
たった3年ほど前のことだが、大正もすでに記憶の中の場所となっている。
そのことが、なんだか不思議なようにも思え、本作の探偵の「帰れなさ」とは違っていても、どこか通じるところがあるようにも思える。
「人生とは思い出ならずや」と、そんな言葉が浮かんだ。
誰の言葉だったかと検索してみると、稲垣足穂の「地上とは思い出ならずや」を、曖昧に記憶していたものらしい。
(2025年9月9日)
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