フランソワ・トリュフォー監督 『映画に愛をこめて アメリカの夜』 : 愛を語る人と愛を秘めた人
映画評:フランソワ・トリュフォー監督『映画に愛をこめて アメリカの夜』(1973年/フランス映画)
今で言うなら、一種の「メタフィクション」だと言えるだろう。本作は「映画についての映画」であり、平たく言えば「映画制作の楽屋裏をドラマ化した作品」だ。


今でこそ、そうした作品にも驚かされることはないだろうが、本作の製作当時は、まだ、類例が少なかったようで、映画監督の森達也は、次のように語っている。
『森達也は中学生のとき名画座で本作を観て、「映画監督の役でトリュフォー自身も出てくるし、ドキュメンタリー的な要素はないと思うけど、そんな雰囲気もあり、当時は語彙は持っていなかったけれど、今で言えば、フェイクのメイキング。映画ってこういうことをやってもいいんだとビックリした」などと述べている。』
(Wikipedia「アメリカの夜」)
もちろん、森はまだ中学生で、いくら映画マニアだったとは言っても、まだそれほど多くの映画を見ていたわけではないだろう。けれども、1970年前半当時なら、まだポストモダンな作風の出現にはほど遠く、「メタフィクション」的な映画も珍しいものだったと考えて、まず間違いのないところだったのではないだろうか。


ちなみに、本作の原題と英題は『原題: La Nuit américaine, 英題: Day for Night』なのだが、このタイトルの意味についても「Wikipedia」の説明を紹介しておこう。
『タイトルの『アメリカの夜』(フランス語の原題「La Nuit américaine」の和訳)とは、カメラのレンズに暖色系の光を遮断するフィルターをかけて、夜のシーンを昼間に撮る「擬似夜景」のこと(アメリカの夜 (映画技法)参照)。モノクロ時代に開発されハリウッドから広まった撮影スタイルであるため、こう呼ばれた。英語では "day for night" と呼び、この映画の英語タイトルも「Day for Night」となっている。映画のカラー化により使えるシーンが減少し、機材やフィルムの感度が上がって夜間撮影が難しいものではなくなった現在では、この撮影方法はほとんど使われないことになっているが、丁寧に見ていればときどき見られる。』
(Wikipedia「アメリカの夜」)
つまり、このタイトルが意味しているのは、「映画(独自)の世界」ということである。
本作の「ストーリー」もまた、次のとおり。
『「この映画をリリアン&ドロシー・ギッシュに捧ぐ」(献辞)
青年(ジャン=ピエール・レオ)が地下鉄の出口から出てくる。カメラは彼を追っていくが、やがて広場の向こう側の歩道を歩いている男(ジャン=ピエール・オーモン)をとらえる。青年が男をつかまえ、いきなりその顔に平手打ちを食わせる。そこでフェラン監督(フランソワ・トリュフォー)の「カット!」の声。いままでの映像は映画の撮影風景だったのだ。映画のタイトルは『パメラを紹介します』。父親と息子の嫁が恋に落ちて駆け落ちしてしまう話だ。映画撮影の進行を軸に、監督の苦悩と、様々な人間模様が描かれる。』
(Wikipedia「アメリカの夜」)
(※ 「映画の父」と呼ばれたD・W・グルフィス作品の主演女優として有名なリリアン・ギッシュ)





つまり、本作においては「ストーリー」自体は、あってなきが如きものなのだ。
映画制作の舞台裏におけるドタバタを、時にユーモラスに、時に大真面目に描いた作品で、そこに盛り込まれているエピソードの多くには、モデルである「実話」が存在していたようなのだが、無論それは、よほどの映画マニアでなければ、知り得ないものだったはずだ。
そのため、本作を普通に見ていれば「そんなこともあるだろうな」「そんな苦労もあるだろうな」「そんな困った奴もいるだろうな」という感じのエピソードの連なりで物語が進行してゆき、ストーリー全体としては、起承転結的な盛り上がりやオチのあるような作品ではない。
したがって、ごく当たり前の「ストーリー映画」を期待したむきには肩透かしを食らうことにもなるのだが、「映画制作の裏話映画」だと思って見れば、それなりに「興味深い」作品だとは言えるのだ。


本作は、『大人は判ってくれない』(1959年)で衝撃の監督デビューを果たして、世界的な注目を浴びたフランソワ・トリュフォーが、アメリカ(ハリウッド)で映画を撮るようになってからはヒット作に恵まれず、そんなスランプ状態が続いた後、やっと大ヒットさせることのできた、記念碑的な作品だ。
そして私が思うに、そうしたスランプの原因とは、やはりフランス式の恋愛ものは、アメリカ人の好みではなかったということであろうし、一方、本作が当たったのは、恋愛ものではなく、「映画制作の裏話映画」という際立った特性が、映画ファンの興味を引いた結果なのであろう。つまり、たぶん「人間ドラマ」で評価されたわけではない、ということである。
ともあれ、私のような映画の素人ならば、いま見ても「ああ、そういうふうにして撮っていたのか」と初めて知って感心させられるような「撮影風景」描写がいくつもあったのだから、その点で、映画ファンに止まらない、当時の観客たちの多くを面白がらせたというのは、間違いのないところであろう。


なお、本作の中で扱われている「エピソードの数々」については、ここでは紹介しないので、「Wikipedia」の方を是非ご参照願いたい。
今となっては、本作の製作年自体が半世紀近くも前なので、モデルとなったエピソードもそれ相応に古いものなのだが、むしろその現実のエピソードの方が、映画ファンには興味深いのではないかと思う。
(※ 本作中でも別作品としても最も触れられるのが、オーソン・ウェルズの『市民ケーン』)
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さて、そんなわけで、本作についての感想だが、私としては「映画制作の楽屋裏もの」としては興味深かったけれど、「映画」そのものとしては、やや退屈という印象であった。
エピソードの積み重ねと言っても、それで「物語が深まっていく」というわけではなく、あくまでも「串団子」方式で、いささか平板な印象だからだ。
本作が、「アカデミー外国語映画賞」や「ニューヨーク映画批評家協会賞」を受賞したというのも、それはトリュフォーと同世代か、それよりも年長の世代の映画マニアを楽しませる作品だったということなのではないだろうか。当時の映画マニアが持っていた知識をくすぐるものだからこそ、マニアックなお楽しみを与えたのだが、今となったは、扱われているネタが古すぎて、「元ネタ」を明かされても、普通の人は「そんな映画があって、そんなエピソードがあったのか」と「納得」するだけで、面白いとまでは感じないはず。
モノクロ時代の古典まで見ているマニアこそ楽しませはしても、今の観客に本作を楽しめという方が、むしろ無茶なのではないかと、私は斯様に評価する。
本作は、今で言うところの「二次創作」であり、元ネタを知らない人にはピンと来ず、そのせいで楽しめないというのは、致し方のないところのなのだ。
現に、「映画.com」のカスタマーレビュー(現時点で、全15件)を見てみても、その評価の仕方で、レビュアーの立ち位置を窺うことができる。
つまり、本作に「普通の映画的面白さ」を期待して見た人は、総じて「映画制作の楽屋ネタとしては興味深いが、映画としてはイマイチ」という感じなのに対し、本作に「星5つ」をつけて満点を与えている人は、ほぼ全員が、この作品の「映画愛」という特徴を高く評価し、現に「愛」という言葉を使って、下のように評しているのだ。
・too-ku-o「鮮やかな優しさと愛が詰まった作品」
・rrringo0「映画に対する愛が伝わってくる。 みんなが子供みたいで、でもそれが人...」
・はんぺん「映画への愛」
ちなみに、全15件の内訳は、
「5点」が、4人
「4点」が、4人
「3・5点」が、1人
「3点」が、5人
「2・5点」が、1人
というものであり、「5点」をつけた4人のうち3人までが「愛」という言葉を使って、トリュフォー監督の「映画愛」への共感を示しているのだ。
一一つまり、この「5点満点」というのは、作品評価というよりも、映画好き同士の「エールの交換」みたいなものだと考えた方が正しいのである。
そもそも、トリュフォーの代表作のひとつである本作へのレビューが「15本」というのは、少なすぎるのではないかと思う。
かつては「ヌーヴェルヴァーグの旗手」として、映画界において世界的な人気を誇ったトリュフォーではあるのだが、今となっては、かなりの映画ファンでないと、その名を知らない可能性も十二分にあるし、その作品を見ていたとしても、デビュー作にして代表作の『大人は判ってくれない』と、せいぜい『突然炎のごとく』(1962年)などの初期作品に止まり、以降の作品を見る人というのは、かなりの映画マニアか、高齢の映画マニアなのであろう。
言い換えれば、本作にレビューを投じている15人は、全員かなりの「映画マニア」だということである。
しかし、その中ですら、このように評価が割れるのは、「映画愛」というところでの「共感」において評価した人は、もうその点だけで「満点」をつけたくなったんだろうし、その一方、作品は作品として客観的に評価しようとした人は、4点とか3点をつけたと、そう考えて、まず間違いないのである。
ただ、私が気になるのは、この「映画愛」と言うよりも、「映画愛のひけらかし的な表明」という点なのだ。
本作は、前述のとおり「映画オタク」的な「内輪ネタ」の作品であり、たしかに「身内」には、トリュフォーが語りたかった「映画愛」が伝わるのだが、そうでない者は、ある意味で「置いてけぼり」をくわせるような作品で、悪く言えば「自慰的な作品」だとも言えるだろう。良くて「小集団のための自慰的作品」である。
まただからこそ、時代が変わって「元ネタ」への興味が失われた世代が見ると、「そんなこともあるだろうな」「そんな苦労もあるだろうな」「そんな困った奴もいるだろうな」という、いささか醒めた感想しか持つことが出来なくなってしまうのである。
そもそも、本作中おいてトリュフォー自身が演じた映画監督フェランが、書店に注文して届けさせた書籍を確認するシーンで、その本の1冊1冊が、表紙が見えるようにテーブルの上に置いていかれるカットは、いかにも慎みを欠いて「これ見よがし(露骨)」なのだ。
『フェラン監督が注文した本は、ブニュエル、ルビッチ、ドライヤー、ベルイマン、ゴダール、ヒッチコック、ホークス、ロッセリーニ、ブレッソン。』
こういうところも、古い映画まで見る映画マニアの「選民意識」をくすぐりはするのだろうが、私の鼻にはついて、仲間内に「媚びている」という印象しか受けない。
もちろん、こうした「目配せ」「引用」「パロディ」というのは、トリュフォーに限らず、ジャン=リュック・ゴダールを含めた「ヌーヴェルヴァーグ」映画作家たちに共通する特徴ではあるのだが、私は、誰のものにしろ、これが好きではない。
「愛を語る」というのは、すべての創作行為において必要なことなのだけれども、それと「愛」を連呼することとは、決して同じではないと考えるのだ。
やたらに大声で「好きです!好きです!」と繰り返すような、慎みを欠いた者の「愛」が、直截に「愛」を語れないような、不器用な者の「愛」よりも、深い「愛」だとは、少なくとも私個人は思わない。
そしてその意味で、トリュフォーの「愛」も鼻につけば、トリュフォーの「映画愛」を絶賛する映画マニアたちの「映画愛」も鼻について、いささか「自家宣伝臭」すら感じさせられて、辟易するのである。
本作の「邦題」に、「映画に愛をこめて」という言葉がことさらに添えられているのも、もちろん本作が「映画愛」を語った作品だからではあるのだが、しかし映画作家なら、たいがいは誰でも、多かれ少なかれ「映画愛」を持っており、だから映画監督になったのでもあろう。
だから、本作のタイトルに、わざわざ映画に愛をこめて」という言葉がついたのは、ひとつには、トリュフォーがしばしば「愛の作家」だと評されるからだろうし、その「愛の映画作家であるトリュフォーが、満を持して映画愛を語った作品」だったから、というような事情なのであろう。
だが、私は、この「愛」という言葉の安易な頻用が、好きではない。
これは、子供の頃に熱中したテレビアニメ『宇宙戦艦ヤマト』の名物プロデューサーであった西崎義展が、「『宇宙戦艦ヤマト』のテーマは、愛です」と連呼し、その結果、ウブな子供であった私や同世代のアニメファンは、これを真に受けて、後に手ひどく裏切られるという経験をしたためである。
「なんだ、テーマは愛ですとか、ご大層なことを言っておきながら、結局は金儲けがしたかっただけじゃないか」と、そう理解するしかない裏切りを経験させられたのだ。
無論、トリュフォーの看板である「愛」と、西崎義展の口にした「『宇宙戦艦ヤマト』のテーマは、愛です」という言葉が、完全に同質なものだとまでは言わないけれど、私個人は、安易に「愛」をアピールする人間は、信用しないことにしているのだ。
また、その周囲の者が「口をそろえて」言ったとしても同じことだ。むしろ、違った見方が出ないような「一面性」こそ、嘘っぽいと感じられるのである。
ましてやトリュフォーの場合、『カイエ・デュ・シネマ』誌で「映画評論家」をしていた若い頃は、一部の映画作家に関して、その「身体障害」を揶揄するほど、毒のある攻撃的批判を仕掛けた人だったのだ。
だから、映画を撮る側(批評される側)に回ってからのトリュフォーを、「威張らない」「分け隔てなく人と接する」「ユーモアと温かみのある人」だなどと、いくら周囲の者が絶賛したとしても、そうした評判を真に受ける気にはなれない。
私が見たDVDの特典映像は、トリュフォーが若くして没した後に収録されたもので、本作のキャストやスタッフ、あるいは映画評論家のインタビューが収められており、当然のことながら、それらはすべて、亡きトリュフォーを無条件に賛嘆するものだった。
一一だからこそ、かえって信用し難いのだ。
あるアメリカ人女性評論家は、トリュフォーを評して「気配りの人だった」というように評していたが、その際に引き合いに出されたのが、映画監督、プロデューサー、俳優のオットー・プレミンジャーで、プレミンジャーが「ワンマン」で人の意見に耳を傾けない人だったのに対して、トリュフォーは、そうではなかったと、そう褒めていた。
だが、このオットー・プレミンジャーが、ハリウッドにおける「赤狩り」のせいで、長らく「覆面脚本家」を強いられていたダルトン・トランボの名前を、いち早く自らの作品に刻んで「名誉回復」させた人だと知っていれば、彼の「ワンマン」ぶりの見え方も、おのずと違ってこよう。
彼が、右顧左眄するような人だったら、きっとそんなことは出来なかっただろう、ということだ。

『プレミンジャーの功績として、次々とタブーに挑んで閉鎖的な風潮だったハリウッドに風穴をあけた他にも、タイトル・デザインや宣伝ポスターに新進気鋭のデザイナーだったソウル・バスを起用し、バスの斬新なデザイン感覚によって、映画のオープニングタイトルのスタイルに一大革命を起こしたことが挙げられる。1960年の『栄光への脱出』では、赤狩りでハリウッドを追われた脚本家ダルトン・トランボを起用。このように次々と新風を吹き込む彼に対してハリウッドの問題児と見る風潮もあったが、プレミンジャーは一貫して自己流を貫いた。』
(Wikipedia「オットー・プレミンジャー」)
つまり、「愛を語る、人当たりの良い人」が、必ずしも「善人」だとは限らないし、「愛のある人」だとも限らないのだと、私は思う。
そもそも「愛」とは、「愛してます、愛してます」と連呼するような輩の、お易い「愛」などではないと、そう考えるのだ。
だから私は、「ヌーヴェルヴァーグの旗手」として並び称され、かつては最も仲の良かった盟友でありながら、のちにトリュフォーと袖を分つことになるジャン=リュック・ゴダールの方が、よほど信用できる。
ゴダールの、徹底したマイペースぶり、別に理解されなくてもかまわないよと言わんばかりの作品づくり。そして、その「孤高の変人」ぶりこそが、作品への評価とは別に、その人柄を、信用できると思わせるのである。
たしかに、トリュフォーは「愛を描いた映画作家」だったのだろうし、当人も「人当たりの良い人」だったのであろう。
だが、私が興味を持つ「人間性」とは、そんな「表面的」なものではなく、そうした「上っ面」を剥ぎ取った後に残るようなものなのである。

(2025年6月7日)
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