海猫沢めろん 『海猫沢めろん随筆傑作選 生活』 : 現代のドン・キホーテとして
書評:海猫沢めろん『海猫沢めろん随筆傑作選 生活』(河出書房新社)
ひと月ほど前に、海猫沢めろんの最新刊で、畢生の大作と呼んでいいだろう『ディスクロニアの鳩時計』(泡影社)のレビューを書いた。
『ゲンロン』誌での10年にわたる連載を経て完成した作品だったのだが、その内容に一部、今どきでは問題視されかねない部分があったために、掲載誌の版元であるゲンロンからは刊行されず、やむなく著者自身が同書刊行のために立ち上げた出版社「泡影社」から刊行されたという、言うなれば、曰く付きの作品であった。
ただし、この『今どきでは問題視されかねない部分』というのは、文字どおりで、ひと昔前なら、なんら問題にならない程度のことだったし、今だって案外、問題にはならなかったのかも知れない程度のものなのだが、たぶん、著者が「直し」に応じなかったために、「ゲンロン」が今どきのご時世に合わせて、無難な世渡りを選んだ、ということなのであろう。
実際、『ディスクロニアの鳩時計』が刊行されたあと、その「表現」に対しての目立った批判など出てはいないようだ。一一というか、ごく一部の注目を集めた以外は、残念ながらあまり話題にもならなかったようである。

だが、私が『ディスクロニアの鳩時計』に注目したのは、同作が「第五の奇書」たらんことを目指して書かれた意欲作であったという点である。
「第五の奇書」とは、無論「三大奇書」として知られる、夢野久作『ドグラ・マグラ』、小栗虫太郎『黒死館殺人事件』、中井英夫『虚無への供物』のことであり、そして、それに続いて「第四の奇書」の地位を勝ち得たと言って良いだろう竹本健治の『匣の中の失楽』に続く、未だ現れてはいない作品のことである。
以上のような「四大奇書」のファンである私としては、10年の歳月を費やして書かれた畢生の大作である『ディスクロニアの鳩時計』を無視するわけにはいかなかった。
それで、その存在を知るとすぐに入手して、期待半分・諦め半分の気持ちで同書に向かった。
「諦め半分」というのは、これまでに「第五の奇書」を目指して書かれながら、その地位を得ることのできなかった力作を、私はいくつも読んできたからである。
「三大奇書」「四大奇書」という呼称は、決してダテではない。
つまり、時間と労力をかけ、精魂込めて書いたからと言って、それだけでは、その「高み」に至ることなど到底不可能な作品だったればこそ、これらの4作は、仰ぎ見られるべき「巨峰」として、そのように呼ばれているのである。
したがって、結論としては、『ディスクロニアの鳩時計』もまた、「第五の奇書」には、なり得なかった作品である。
一一だが、私は同書のレビューを、次のように締め括ってもいた。
『この度し難い世界の中で、しかしその「現実」を認めた上で、しかし「倫理的に生きる」には、どうすればいいのか?
本作は、そうした「文学的=人間的」な問いに、真正面から向き合った作品なのである。 たとえ、その結果が、問いの大きさには、はるかに及ばなかったとしてもだ。
一一所詮「文学」とは、そんな人間的な「愚行」、時には崇高にも見える「愚行」の中でしか、存在し得ないものなのである。』
つまり、『ディスクロニアの鳩時計』自体は、目指したその高みにまで駆け上ることは出来なかったものの、著者である海猫沢めろんの「志」は本物だと、私はこの、おかしなペンネームを持つ作家を、そのように高く評価したのだ。
この作家は、単に「ウケる物語を書いて、売れっ子作家になって、チヤホヤされる立場になりたい(なりたかった)」というような「今どきの小説家(および、小説家志望)」ではなく、「文学者」とは、いや「文士」とは、そのようなものではないという、確信のもとに、その高すぎる反時代的な理想を抱いて、七顛八倒している作家なのだ。
当「随筆集」でも、冗談めかしながらも、自らを「愚行の人」として、かの「ラ・マンチャの男」になぞらえている、そんな反時代的な「文士」なのである。
本書『海猫沢めろん随筆傑作選 生活』は、著者がこれまでの20年間に、あちこちの媒体に書いてきた、短文をまとめたものである。
「エッセイ集」ではなく「随筆集」と銘打っているのは、無論、意識的なものだ。

本書に収められた随筆はいずれも、一見「ふざけて」いるかのような書き方だが、そこに書かれているのは、「理想どおりに生きることの困難とその苦闘」の記録だと、そう断じてよかろう。
「筆一本で生きる文士」たらんとした著者は、しかし、往年の文士たちがそうであったように、その理想と現実の狭間で苦闘することになる。
単なる「娯楽読み物」ではなく、著者の「人生」そのものを賭し、それを反映した作品が書きたい。
小説作品だけではなく、それは短い随筆においても、まったく同じことだ。文士・文学者にとっては、作品の長短は問題ではないし、小説か随筆かといった形式の問題でもない。
肝心なのは、そこに込められたものが、本物なのか、作り物に過ぎないのか、ということなのである。
だが、そのような「筆一本で生きる文士」の現実というものは、いつだって「普通」は、貧乏なものである。
「作家」に憧れる、今どきの若者は、「売れさえしたら、作家は金儲けが出来、世間からも先生扱いされて、チヤホヤされる」ものだと、そういうイメージを持っているかも知れないが、それは誤解にすぎない。
少なくとも、娯楽作品製造機ではなく、文学作品を書こうとしている文学者なのであれば、その大半は、いまも貧乏なものなのである。
例えばそれは「すぐには役に立たない、基礎研究をしている科学者」と似ているかも知れない。
それがいかに意義深く本質的なものであり、重要な研究であったとしても、それが即「商品化」につながらないような研究をしている研究者は、経済的には恵まれない。
特に、近年の日本ではその傾向が強く、ノーベル賞を受賞した日本人研究者がよく口にするのは、そうした地道で本質的な研究、陽の当たりにくい基礎研究の重要さ、ということである。
つまり、文学も同じで、深く人間と人間社会を描いた作品、生きるということの意味を深く問うた文学作品などは、消費主義資本経済の世においては、日陰者の地位に甘んじざるを得ない。
そんな世の中で重用重視されるのは、馬鹿でも楽しめるような、売れる「娯楽読み物」であって、「文学」ではないのだ。
売れてナンボであって、そうした消費主義に毒された庶民には、その価値がわからないダイヤモンドなど、ガラス片と区別する価値すらないものとされるのである。
したがって、「文学」作品を書きたい者、文士たらんとする本書の著者は、おのずと「金が無い」と繰り返すことになる。
だが、かと言って「金に(文士としての)魂を売る」気もないから、いつまで経っても「金が無い」状態に甘んじなければならないし、それは著者自身もわかっていて、「金が無い」と書いている。
無論、金は欲しいし、それが無ければ生きてはいけないから苦労しているのだが、少なくとも海猫沢めろんは、金のために、金を稼ぐことを目的とした作品を書くつもりは、寸毫もない。
あくまでも、描きたいものを書いた上で、それが売れて欲しいと、そう考えているだけである。
以上のような、海猫沢めろん理解は、決して私の誇張ではない。
なにしろ彼は、
『 漱石、鷗外、乱歩一一東京の谷根千あたりで暮らした作家たちにあこがれ、いつか自分も作家になってそこで暮らしたいと思っていた。』(P 147)
というような、その世代(1970年生)には似つかわしくない、「古風」な趣味の持ち主なのだ。
だから、彼が、通俗的な売れっ子作家になど憧れないのは、同然のことである。

上に名の挙げられた3人はいずれも売れっ子作家だったが、決して「通俗作家」ではなかった。
夏目漱石の小説家デビュー作である『吾輩は猫である』は、当時の通俗小説だと言えないこともないエンタメ性を有しているが、しかしそのエンタメ性は「エンタメのためのエンタメ」ではなく、漱石らしい「まっすぐな社会批評」のためのエンタメ性であった。
『吾輩は猫である』は、言うなれば、当時の社会世相と対決した作品だったのだ。
で、これは森鷗外とて同じことだ。
鷗外の作品は、漱石のそれに比べると、ずっと通俗性(エンタメ性)が低いけれども、それは彼が、医師であり軍医として社会的に高い地位にあって、食うには困らなかったからに他ならない。俗に媚びる必要など、鷗外なはなかったのである。
そして、江戸川乱歩。
乱歩は「通俗小説家」であると思われているだろうが、そうではない。
乱歩は「理知の文学」たる「探偵小説」を書こうと小説家になった文士であって、決して、現代の読者が持て囃しているような「耽美幻想」の作家などではない。
乱歩は「理知の文学たる探偵小説」が書けなくなり、やむなく「幻想耽美」や「通俗活劇」の方へ、シフトせざるを得なかった人なのだ。本来なら、「怪人二十面相」だの「少年探偵団」だのといった通俗小説シリーズなど書きたくはなかったのだが、食わんがために嫌々、そうした小説を書いてそれを恥じ、自己嫌悪を囚われ失踪事件まで起こした人なのだ。
無論、好んで書こうが嫌々書こうが、作品は結果がすべてであり、その意味では、乱歩の通俗作品は、単なる通俗作品であることを超えた芸術作品であると評価し得ようし、そのように評価すべきであろう。
だが、それは「文士」当人にとっては、重要なことではないのだ。結果オーライなどではないのである。
なぜなら、「文士」とは、最終的には「生き方」だからだ。
つまり、結果として「傑作」が書けなくても、「売れる作品」が書けなくても、究極的には「一作も書けなくても」、それでも文士は、文士なのである。
例えば、フランツ・カフカように、生前は、売れない、売ろうともしないような作品を書き続け、「私が死んだら、作品を焼いてくれ」と遺言したような作家は、カフカ自身「文士」なるものを意識していなかったとしても、日本的に言えば「文士」の一種であろう。彼が、日本に生まれていたなら、間違いなく「文士」だったのである。
だが、彼の遺言どおりに、彼の作品が焼かれていたとしたら、彼は「作品を残さなかった文士」だということになるのである。
したがって、文士とは「生き方」なのだ。そして、海猫沢めろんは、文士に憧れた人であって、小説家になりたかった人ではない。そこを勘違いしてはならない。
ただ、文士になるためには、小説や随筆などの、自分の生を表現した作品を書かないわけにはいかないから、それを書こうとした人なのである。
文士とは「文を書く」侍なのだ。文という「剣」を通して「士道」を生きる人であり、文を売る製造業者でも商人でもなかったのである。
だから、本書所収の随筆の中で、海猫沢めろんは「書きたくない」と繰り返している。
それでも、「仕事をしたくない」とは書いていないところが、さすがなのだ。
文士にとって、書くことは、「金を稼ぐための仕事」ではなく、「文士であるために必要なこと」だったのである。
つまり、「文士」ではありたくても、「作品」が書きたいわけではない、というのは、決して矛盾したことではない。
「剣の道」に生きるということと「殺し合いがしたい」ということとは、同じことではないのだ。
そんなわけで、なにしろ「文士とは生き方」なのだから、究極的には、なにも書けなくても文士たり得る。
文士としての生き方に恥じない作品を書こうと煩悶苦闘し、その結果として書けなかったのであれば、彼はまさに文士そのものだからである。
本書に収められた随筆を、そのおふざけめいたユーモアや、それぞれのテーマ的な話題で読むのなら、それは「文学読み」の読み方ではなく、通俗的な「読み物読み」の読み方でしかない。
しかし、そんな読み方が当たり前になってしまった時代なのだ。
まさに、搾取される愚民としての「庶民の時代」なのである。
小説家が、社会的にも地位の高い、一種の著名人や知識人であり、同時に、しばしばそれなりに裕福でもあり得たというのは、少なくとも、この日本においては、戦後の経済復興と、乏しかった娯楽を安価に補うものとして、にわかに持て囃されたからに他ならない。
それ以前の小説家というものは、一部の流行作家を除いては、やはり基本的に貧乏だった。
しかし、それを覚悟で選んだ、世捨て人の一種であり、言い換えれば「筆極道」だったのである。まともな「社会人」などではなかったのだ。
だから、海猫沢めろんが「変」なのも当然である。
社会の隅々にまで、商品化の行き渡ったこの時代において、それでも「文士」たらんとするなら、それは一種の「狂気」たらざるを得ない。
だからこそ、海猫沢めろんは「変」なのだし、その覚悟を端的な示したものが、このふざけたペンネームなのである。
彼は、あまりにも古風な、反時代的な、「文士」たらんとした道化であり、その意味において、ドン・キホーテの正統なる末裔なのである。
彼のそんな本領が、今どきの読者になど、理解できるわけもない。だから、金になど、なるわけもないのである。
(2025年10月26日)
○ ○ ○
・
○ ○ ○
○ ○ ○
・
・
・
○ ○ ○
・
○ ○ ○
・
○ ○ ○
