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荻昌弘 『映画批評真剣勝負 ぼくが映画に夢中になった日々 《映画論集》』 : 人柄と才気

書評:荻昌弘映画批評真剣勝負 ぼくが映画に夢中になった日々《映画論集》』(SCREEN新書・近代映画社

荻昌弘は、かつては淀川長治水野晴郎と共に「三大映画評論家」と称されたこともあった人である。
もっとも、ここで「三大」というのは、たぶん「有名評論家」という意味であって、「実力派」という意味ではないだろう。この3人が有名だったのは、テレビの映画番組の司会者を長年勤めたからだと考えて、まず間違いない。

一一とは言え、テレビ番組での「お茶の間向け寸間解説」では、批評家としての力量は判断できない。
そこで、淀川長治については2冊ほど著作を読んでみたのだが、淀川は基本的に、映画草創期からずっと、同時代で映画を見てきた人としての貴重な知識と映画愛の人であって、評論家として特に鋭いというわけではなかった。

それでも、映画に関する著作が山ほどある淀川長治に比べると、それよりはずっと著作が少ない荻昌弘や水野晴郎の場合は、映画紹介人としては有名でも、評論家としては大したことはないのだろうと、そんな当たりをつけていた。

しかしまたその一方で、この二人について私は、ブラウン管(テレビ画面)を通して、その人柄に好感を覚えていたので、映画批評的な著作があれば、1冊くらいなら読んでもいいなと思ってはいたのだ。

そこで、今回は荻昌弘の没後刊行であり、既刊書からのセレクションで成っている本書を読むことになった。
たまたま本書が手に入っただけなのだが、「映画論集」となっているところが好都合だったのである。

で、結果から言えば、荻昌弘は、評論家としては二流、という印象は否めなかった。
間違ったことは書いていないし、批評ということに真剣に向き合った人だというのもよくわかる。なにしろ、東京大学の映画研究サークルに所属した際、周囲は映画監督になりたい人ばかりだったのに、荻だけは始めたから「映画批評家になりたい」と語って、周囲から訝しがられたというのだから、これは筋金入りのホンモノで、当然、批評に対するスタンスも、極めて誠実なものなのである。

つまり、本書を読んで確認できたのは、荻昌弘はブラウン管を通じてうけた印象そのままの「上品で良識的で真面目な人」だということだった。
だから、悪印象など持ちようもないのだが、しかし、評論家としては、「真面目一本」であって、こちらをアッと言わせるような「面白み」を欠いていたのである。

前述のとおり、荻昌弘という人は、最初から映画評論家を志した奇特な人だったけれど、だからと言って、よくある「映画オタク」ではなかった。
そうではなく、映画を批評するためには、「映画の知識をできるだけたくさん蓄えて、それを元手に知識を切り売りする」一一というのではなく、映画と切り結ぶことのできる「豊かな自分」を培った上で、自分の目で映画作品と向き合うことが重要だと、そのように考えた、至極まっとうな人であった。

だから、萩はのちに、映画評論だけではなく、「グルメ」や「旅」や「オーディオ」といったことについても著作をも物にして、グルメ評論家とか旅評論家とか呼ばれることにもなるし、テレビの科学教養番組の司会者まで務めるようになるのだが、これは当人の弁では「映画に凝り固まらないで、自分を豊かにする」ためであり、ひいては「映画批評のため」ということだった。

だから荻は、映画評論家として師匠筋の一人である、津村秀夫との対談「映画批評ということ」(『スクリーン』1956年7月号所掲)では、次のように語り合っている。

 いわゆる映画青年と呼ばれている人には、案外抽き出し族(※ 知識が豊富なタイプ)が多いのです。しかも、映画だけで全部の抽き出しをすましている人もずいぶんいる(※ 教養が狭い)。
津村 それは多い。若いうちは記憶力もいいけれども、ぼくは若い外国の役者の名前なんか全然忘れちゃう。いちいち覚えていられない(※ したがって、いずれは知識だけでは勝負できなくなる)。
 また若い人たちが映画の見方を教えてくれ、映画批評はどんな風に書かれたらいいのだろうということを言って来るんですね。自分の生活一一自分の眼で映画を見ることをしないで、何か特殊な見方があるのじゃないかというので見ている人がずいぶんいる(※ 近道があると思っている人が少なくない)。
津村 一番そういう人に対する忠告は、細部一一ディテールは全体に対してどういう関係を持ち、どういう意義を持っているかということ。それが価値を生ずる。ディテールそのものに価値はない。だからつねに細部に目を届かせなければいけないけれども、しかし一番肝心なことは、全体として掴むということだ。この見方が一番難しい。(※ オタク的なチマチマした見方だけでは不十分。対象の本質を大掴みにする能力が、批評家には必要)』

(本書P74〜75・(※)は、引用者の補足説明)

つまり、荻昌弘としては、良い映画批評を書けるようになるためには、「映画の知識」を貯め込むだけではダメだし、「他人の批評論の猿真似」でもダメで、やはり自分自身の「見る目」を養って、自分なりの方法論を身につけなければならないのだという、じつに真っ当な考えの持ち主だったのである。

だが、真面目だからといって、それですべてうまくいくわけではないのも、偽らざる現実だ。
たしかに、荻昌弘は、良い映画批評が書けるようになるために、自分なりに誠実に努力した人なのだが、それが結果として実ったかというと、私にはそのようには見えなかった。

では、どうしてそうした努力が実らなかったのかといえば、一一残酷な言い方にはなるが、それはたぶん、荻には批評家としての「才能がなかった」からだ、としか思えない。

荻自身も津村秀夫にしても「若いうちは、いろいろやってみて、そのうちに自分なりのやり方を見つけ、それを確立していけばいい」というようなことを言っていて、それはまさしく正論ではあるのだが、しかし、才能のある人というのは、そういうものではない。
きわだった才能の持ち主、つまり「天才」というのは、しばしば最初から「自分のやり方」を知っているし、またそれしかできないので、ウケようがウケまいがそれをやり通してしまうものなのだ。

例えば、夏目漱石は、高浜虚子に宛てた手紙(明治39年(1906年)7月2日付)に、こんなふうに書いている。

『 小生は何をしても自分は自分流にするのが自分に対する義務であり、かつ天と親とに対する義務だと思います。天と親がコンナ人間を生みつけた以上はコンナ人間で生きておれという意味より外に解釈しようがない。コンナ人間以上にも以下にもどうする事も出来ないのを強いてどうかしようと思うのは当然天の責任を自分が負って苦労するようなものだと思います。この論法からいうと親と喧嘩をしても充分自己の義務を尽しておるのであります。天に背いても自分の義務を尽しておるのであります。いわんや隣り近所や東京市民や、日本人民や乃至世界全体の人の意思に背いても自分には立派に義理が立つ訳であります。これではちと気焔が高過ぎましたね。少々ひまになったから余計な事を書きます。
 昔はコンナ事を考えた時期があります。正しい人が汚名をきて罪に処せられるほど悲惨な事はあるまいと。今の考は全く別であります。どうかそんな人になって見たい。世界総体を相手にしてハリツケにでもなってハリツケの上から下を見てこの馬鹿野郎と心のうちで軽蔑して死んでみたい。尤も僕は臆病だから、本当のハリツケは少々恐れ入る。絞罪位な所でいいなら進んで願いたい。』

三好行雄『漱石書簡集』P162〜163)

漱石の『坊っちゃん』の書き出しは『親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている。』というものだが、損をしてでも、それでも気持ちの赴くままにやってしまうのが、良かれ悪しかれ天才なのであり、そのために身を滅ぼすことになったとしても、それ程だからこそ、世間一般を超えることだってできるのだろう。

したがって、もちろん「真面目さ」は大事だし、漱石だって遊んでいたわけではない。「そんな暇があったら、本を読んでいたい」というようなことも書いている。
ただ、漱石にとっては、読書は苦役としての勉強ではなく、自分を豊かにする楽しみだったのであろうし、その点では荻昌弘も、基本的には変わらなかった。

ただ、やはり決定的に違っていたのは、天才漱石には、最初から迷いがなかったということなのではないだろうか。

荻昌弘も指摘していたとおりで、「知識」を売り物にした「評論」などというものは、今どきはすでに、その需要をうしなっている。
例えば、ひと昔前の文芸評論家だと、小説の「文庫解説」などでは、その作家の経歴や作品や作風なんかの「基礎情報」を書いて、おおよそそれで済ませてられたから、私のような者からは「評論家ではなく紹介屋だ」などと悪口されることもよくあった。
だがまた、それでも当時は、そうした「基本情報」でさえも、簡単には入手できない資料的情報として、初読の読者からは珍重されたのである。

ところが今では、インターネットがあるから、たいがいの「基本情報」ならネット検索で得られるし、「Wikipedia」のようなものもある。だから、そんな情報や知識を、わざわざ活字から得る必要は、すっかり無くなってしまった。

したがって、単なる「知識」の切り売りや、それの寄せ集めは、「便利」ではあっても、もはや有り難みを持ち得なくなってしまった。そんなものは「無料で簡単に手に入いるもの」となってしまったのである。

だから、荻昌弘も予見したとおり、「知識」だけで書く評論などというものは、いまや名実ともに価値を失ってしまった。
かつて、マニアたちが誇っていた「知識の引き出し」は、「ネット」によって、取って代わられてしまったのだ。

同様に「当たり前にわかりやすい解説」的なものは、今は「AI」によって簡単に生成される時代であり、その程度のものを書く評論家やライターは、どんどんとAIに職を奪われていくだろう。
そして結局のところ生き残るのは、「発想の飛躍」的なものを生み出す、人間的な個性だけだということになるのである。

荻昌弘は、その育ちの良さに由来する「趣味の良さ」と「多彩な趣味」を身につけた、その意味で、とても「魅力的な人」だった。

だが、その一方で、荻自身が求め続けた「唯一無二の個性」というものを獲得するには至らず、その結果、今ではその存在を知る人も、ほとんどいなくなったしまった。

映画評論家としての評価よりも、人としての評価が高かった人。
それは、決して悪いことではないのだけれど、やはり当人にとっては、不満の残る評価だったのではないだろうか。


(2025年10月3日)


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