見出し画像

ウェス・アンダーソン監督 『ファンタスティック Mr.FOX』 : ウェス・アンダーソンの ピグマリオンコンプレックス

映画評:ウェス・アンダーソン監督『ファンタスティック Mr.FOX』(2009年/アメリカ映画)

これまでに、ストップモーション・アニメーション(コマ撮り人形アニメ)の『犬ヶ島』と、実写劇映画『グランド・ブダペスト・ホテル』を見ている、ウェス・アンダーソン監督作品の3作目を鑑賞。

一部で話題になっていたらしいというので、アニメファンとして試しに見てみた『犬ヶ島』は、映像こそユニークなものの、まったく楽しめない作品で、もっぱら「なんで楽しめないんだろう?」「監督は何がやりたかったのか?」などとあれこれ考えさせられた、その点では意味のあった作品。

しかし、アンダーソン監督は本来、実写映画の人らしいし、『グランド・ブダペスト・ホテル』が代表作(の一つ)らしいというので同作を見てみると、さすがにこちらはそれなりに楽しめた。
やはり何より、「絵」が良い。ビジュアルセンスに秀でた、それが売り物の監督だというのがよく分かったし、お話的にもそれなりに楽しめた。

それで、もうあといくつか見てみるかと買ってあった2本のDVDの内のひとつが、ストップモーション・アニメの本作『ファンタスティック Mr.FOX』
『犬ヶ島』以前の作品で、ウェス・アンダーソン監督のストップモーション・アニメの第1作である。

ミステリファンには「奇妙な味」の短編作家として知られるロアルド・ダールの児童文学『父さんギツネバンザイ』を原作した作品なのだが、私はダールを読んだことがなかったものの、「擬人化された動物が主人公の児童文学」という点で、最初からあまり期待はしていなかった。

私は、擬人化された動物ものというのが、そもそも好きではないし、児童文学も人間の子供が主人公の方が好ましい。また、活劇よりも内面性重視の作品が好きだから、いくら、アニメファンだとは言え、本作には最初から、あまり興味が持てなかったのだ。
ただ、アンダーソン監督のアニメ作品が2本しかないのなら「こっちも見ておくか」と、ただそれだけだったのである。

で、結論から言うと、まったく楽しめなかった

主人公の「Mr. フォクシー・フォックス(声 ジョージ・クルーニーが登場した途端、その表情や動きがまったく好きになれなかった。話し方といい、表情といい、妙に「澄ました白人男性」のそれそのままで、わたし的には「気障」だと感じられたのである。

(Mr. フォクシー・フォックス)

ただ、映像的には、相変わらず素晴らしかった
一流のアニメ制作スタッフを集め、2年もかけて撮っただけのことはある(つまり、通常のコマ撮りアニメのように、監督自身の手で、ひとコマひとコマ撮られたわけではない)作品で、その点では文句はないし、物語も結構オーソドックスなもので、決して悪くはないのだが、アンダーソン監督らしい、ちょっと退いたような感じの世界観が肌に合わず、どうにも物語の世界に入っていけなかった。

お話は、おおよそ次のようなもので、いかにも児童文学らしい作品だ。

一一主人公のMr. フォクシー・フォックスは、野生のキツネとして、とても優秀であった。そして、野生のキツネには、危険を犯して餌を取るという本能があった。だから、人間の営む養鶏場に侵入し、仕掛けられた罠を掻い潜って、見事に鶏を盗み出すことに、野生の誇りを持っていた。

(農場に盗みに入るフォクシーとフェリシティー)

そんなある日、妻のフェリシティーと(声 メリル・ストリープ)鶏小屋に侵入したところ、自信過剰が災いして、二匹は罠に掛かってしまう。
その時、フォクシーは妻から「子供ができた」と知らされ、「もしここから生きて逃げ帰れたら、それ以降は無茶はしない」と約束する。

そして数年後、二人は無事生還して、妻のお腹にいた子供も、小学生くらいになっていた。

(家庭の人になったフォクシー)

フォクシーは、キツネの本業である盗みを辞めて、新聞にコラムを書くコラムニストになっていたが、子供も大きくなったことだしと、また野生の血が騒ぎだし、妻に内緒で、きわめて危険だと言われている3つの農場を荒らす計画を立て、それを見事に遂行していくのだが、家で預かっていた甥を人質(キツネ質)に取られて、絶対絶命のピンチに立たされる。

一一というようなお話。

(人間(農場主)たちの逆襲)

キツネのプライドと平穏な家庭生活の板挟みになりながら、やはりプライドが捨てられずに冒険に赴くフォクシーと、有能な父に似合わない不器用な息子のコンプレックスなどが描かれていて、いかにも児童文学らしい、楽しい活劇譚となっている。

だが、私個人としては、それを遠くから眺めているような感じで、まったく楽しめなかったのだ。

で、どうしてなんだろうと、これまでに見た2本と合わせて考えたところ、結局、ウェス・アンダーソン監督というのは「人間の内面性(心理)」を描かない(人間性に立体感を与えない)監督だからではないか、という結論に立ち至った。

アンダーソン監督が描くのは、あくまでも「物語」であり、それを駆動する「行動」であって、「内面性」や「感情」ではない

「感情」を描いたとしても、それは「怒ってる」「喜んでいる」「悲しんでいる」という形式的な表現であって、「複雑な内面性(心理)」というようなものは、まったく描かれない

それに対して、私の方は、「物語」よりも「心理」や「思想(思い)」というものを描いて欲しい方だから、言うなれば、「好み」が真逆なのである。

で、アンダーソン監督の「内面を描かない=外面だけを描く」という特性が、よく表しているのが、その「人形」指向なのではないかと、私は考えた。

たぶん、ウェス・アンダーソン監督は、「アニメ」が好きなのではなく、「人形アニメ」が好きなのだ。

動かないものを「生き生き」と動かすアニメではなく、魂を持たない(内面性を持たない)人形たちによる「物語」が好きなのであり、だからきっと、二次元のアニメには興味がないのだろうと、そう推察された。

この推理の証拠としては、アンダーソン監督は、人間の俳優を使った実写の劇映画でさえ、人間をわざわざ「人形」的に(人形化して)描いてしまう、という特徴的な事実である。

つまり、せっかく人間の役者を使っているのに、人間らしい「豊かで複雑な感情表現」を排して、この人物はこういうキャラクター、こっちの人物はこういうキャラクターだと、性格を「典型化」してしまい、人間らしい、感情の幅というものを持たせない。
そしてその結果として、すべての登場人物を「人形」化してしまい、絵本の登場人物のような、反リアリズム的に不思議な存在感を放つことになるのである。

だから、そこが個性的であり、面白いと言えば面白いのだが、それを「ユニーク」だと評価することは出来ても、私のように「内面性」や「感情」重視の人間には、まったく合わない。

私の好みが「熱血」だとすれば、ウェス・アンダーソン監督の好みは「冷感症」なのである。

だから、それが合う人は、滅多にない個性の持ち主であるウェス・アンダーソン監督を楽しめ、高く評価することもできるのだろうが、私にはとうてい楽しめない。
よく出来ているとは思っても、面白いとは、まったく思わないのである。

(最終盤でチラリと姿を見せる伝説の狼=野生の象徴)

また、近々(2025年9月19日)、同監督の、豪華キャストによる実写劇映画『ザ・ザ・コルダのフェニキア計画』が公開されるそうだが、もう私の中では、ウェス・アンダーソンは、よその世界の人、という感じになっている。

すでにDVDを買ってある『ムーンライズ・キングダム』については見るにしても、それで終わりになるのではないかと、今はそう思っている。


(2025年7月17日)

 ○ ○ ○


 ● ● ●



 ○ ○ ○


 ○ ○ ○

 ○ ○ ○

 ○ ○ ○

 ○ ○ ○


この記事が参加している募集