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深い深い青色

夜店から、ノクターンが聞こえた。


特別な夜店を探していた。

夜の底から空が蒼を孕む、
ほんのわずかな刻に火を灯す。

口に出来ぬような、
黒い夢で見た品々が並ぶ。

手に入らぬ欲望など無い、
そんな夜店。

探し求めるうちに、
いつの間にか、
こんな東の果てのグラードまで来てしまった。

河沿いの工業都市は、
荒れた平原に瞬く光に見えたが。
街はどこか仄暗く。

路地に、
建物に、
剥き出しのパイプ管に、
暗闇の深淵が息づいている。

もちろん、
行き交う人々の目にも。

――

十月工場の廃墟を越えた先。
偉大なる祖国の河沿いに、
病人の市は広がっている。

そこは、市街とは違う種類の暗闇だった。

鉄か、血か。
区別のつかぬ匂いが蔓延し、
スパイスのように薬品の臭いが鼻を突く。
その最中を歩き、
やがて行き着くのは死臭だ。

病名のある恵まれた病人と、
病名すら無い不幸な病人。
生まれながらのミュータントに、
保証期間を数十年も過ぎたサイバネ。
手術に失敗した者と、
手術に成功してしまった者。

そんな人々が商う。
この世の地獄。

吹き溜まりの隅の端に、
その夜店は出ていた。

灰色のタープの下からは、
毒々しい色の光が漏れ出ていた。

瘴気に混じる、美しく儚いノクターン。

――長い旅路だった。
イーゴルもミシュートカも死んでしまったが、
ここまでやってきた。

俺はバックパックの脇からカタナをほどき、
左手に握りしめた。

耳で旋律を感じながら、
瞳のバイオグラフィで、タープの下を視る。

店主と思しきサイバネがひとり、
他に夥しい数の生命体……の断片が、
ノイズの如く視界を埋めていた。

スヴォーロチには違いないが、
切り殺すか否かは、話してから決める。

タープを捲り、夜店に入る。

入った瞬間、赤く鋭い義眼で睨まれた。

野戦病院の、手術室のようなテントだった。
濃い消毒の臭いに咽そうになる。

古めかしい手術台を中心に、
様々な物資が所狭しと積みあがっている。
武器に、銃弾、爆薬、強化心肺、
様々なサイバネパーツ、
水槽の生体は、ちゃちな標本ではない。
脳髄はおろか、わずかな細胞や、
神経だけで生かされている者も少なくなさそうだ。

今しがた分解されたのであろう元人間が、
ごみ袋の底で最後の呼吸をしている……

手術台の仄灯りの下に、
老いたサイバネが胡坐をかいていた。

身体のほとんどは、皮膚すら無くて、
使い古した旧式の戦闘用骨格だけだった。
両目共に、円筒状の赤い義眼。
血色の悪い肉は、痩せこけて。

羽織の襤褸切れには、CCCPのインシグニア。

「なんの用だ?儂は貴様に用は無いぞ?」

「俺はあんたに用がある。
ここでしか手に入らないと聞いた」

老人の義眼が瞬く。
羽織の襤褸切れの下には、
ルガーピストルを握りしめた右手が隠れていた。

「この玩具にはな、ミニトミーが装填されている。
死にたくなければ立ち去ることだ」

――ミニチュア・アトミック、
対人用の九ミリ核弾頭。
当たれば即死するから、被曝を心配しなくていい。

……ためらいは不要。

刹那の抜刀から、ルガーの先端に切っ先が届く。
一瞬にも満たない。

老人は虚を突かれ、反応以前の決着だった。

「発砲すれば切っ先で爆ぜて……
死ぬのはアンタだ」

「クソガキめ、正気か?」

「人魚の肉を探している」

老人の口元がゆるんだ。

「はっ!こいつはマヌケ野郎だ!
そんな都市伝説のためにここへ来たのか!?」

「ここにあると聞いた」

老人は銃を下げ、
ニヤニヤとやらしい笑みを浮かべる。

「少しは骨のある奴かと思ったが、
とんだ変態野郎とはな!情けないことだ」

カタナの切っ先を、老人の義眼に向ける。

「ここにあるはずだ、
お前、歌わせていただろう?」

老人の口元から笑いが消えた。
義眼が瞬き、こちらを舐めるように見定める。

「まさか、クレムリンの人間か?」
「さあな」

「チッ……ろくな日じゃねぇ。
テメェも魔女の婆さんに呪われちまえ!」

悪態をつくと、のっそりと立ち上がる。

奥からスープポットを持って来た。
それはボルシチが冷めないように、
密閉して持ち歩く、携行用の鍋のようなもので。

「これだよ」

蓋を開けると、乾いた腐臭が放たれた。
老人が、雑に髪を掴んで持ち上げる。

――彼女だった。

老人に掴まれた髪は白く縮れて、
右側頭部は陥没し、
割れた頭蓋の一部と、
干からびた脳漿がはみ出ていた。
目は、両目とも無くなっていて。
顔には幾重もの深い切り傷と、縫い跡が。

首から下は、背骨が三十センチくらい残っていた。

老人が、手術台の傍のコンピュータから生えた、
何本かの線を持ってくる。

線の先についた電極を、
彼女の割れた頭蓋に突き刺した。

ぶるっと、一瞬震えて、彼女の口が開く。
老人が電極を傾けると、
びくんびくんと痙攣し、
かすれた声でノクターンを歌い出す。

見ていられなかった。

嬉しそうに電極を調整する老人を蹴り飛ばす。
電極を引き抜き、
そっと、彼女の開いた口を閉じた。

「お前を殺すよ」

「くっ!」

老人もすかさずルガーピストルを構えた。
銃口が、彼女を捉えていた。

「へっ!
くたばる前にお前の女を吹き飛ばしてやる」

――お前の女?
そうだな、シエネは妻で、俺の女に違いない。

――

十六でサイバネになった。
シーライフ――
自称海洋生物研究所に飼われていた俺は、
上等なサイバネに仕立てられた。

研修と称して、
ワルシャワやマンシューを行ったり来たり。
最終的にはNKVDの席を与えられ、
しかし研究対象のためシーライフに勤務した。

用がある時だけ、NKVDに呼ばれ、
可哀想な同志たちを粛清する。
いつの間にか、
カイシャクビトというあだ名がついていた。
東洋の言葉だが、意味はよく知らない。

十八の頃だ。
呼び出しがなければ、
施設のセキュリティとして日々を過ごしていた。
ある日、手術に怯える年上の女性と出会った。

金色の髪が美しく、
まるで海のような、深い深い青色の瞳をしていた。
背は、俺よりほんの少しだけ高い。

血管が透けるかのような、青白い肌。

地中海あたりから連れてこられたらしい。

嘘か真か、あるいは揶揄われていたのか……
彼女は人魚で、シエネという名前だという。

彼女は魔女の大釜でコトコトと、
煮込まれている最中だった。

毎日のように手術室に通い、
泡を吹き、ときには血塗れで、
白目を剥いて痙攣しながらベッドへ戻る。

病室でよくノクターンを口ずさんでいた。
夜が来るたび、青い瞳を潤ませて。

「少年!浮かない顔してどうしたの?」

自分を儚んで俯く年下を、明るく気遣う。
自分からは決して弱さを漏らさない。
そんな女性だった。

どうにかしてあげたかった。
生まれてはじめて。
自らの信仰を手にした。

彼女は、ミスリル銀の枷で拘束されている。
それなりの硬度を持つアーティファクトを、
どのように切断するか?

NKVDの仕事でマンシューに行った時だった。
現地の同僚から、
鹵獲したトーア帝国軍の武器を見せてもらった。

その中に、
まるで中世の遺物かと見紛うような、
原始的で美しい武器があった。

聞けばワザモノといい、
ヒヒイロカネと呼ばれる、
恐ろしく強靭な金属から、
職人が一本一本手作業で仕立てた物らしい。

「こいつは、ミスリル装甲どころか、
オリハルコンすら切り崩せる」

俺は生まれてはじめて横領に手を染めた。

月の無い夜。
俺とシエネは脱走を試みた。

マンシューから持ち帰ったカタナは、
いとも簡単にミスリル銀を切断した。
煮込んだ赤カブでもスライスするようだった。

どうやってシエネを連れ出すか、
ひとり綿密な計画と準備を重ねたが、
まったくの杞憂だと知る。

鎖が外れたシエネは、
俺よりずっと恐ろしい戦闘兵器だった。

人魚の肉に不老不死の効果など無い。
シーライフと、NKVDが欲しかったのは、
人魚の、ソーサリアンとしての能力。

……つまり、シエネは魔法が使えたのだ。

「あはははははは!」

あっと言う間に、施設は火の海だった。
同じような境遇の患者たちと、
お世話になった一部の職員以外、
シエネは皆殺しにした。

俺は、一太刀も振るわぬままで。

車を奪い、燃えるシーライフを後にする。
小さなコルホーズを転々とし、逃げ延びる。
南へ向かい、地中海を目指した。

一年が過ぎた頃。
カフカスの小さな教会で、式を挙げた。

ふたりとも浮ついていた。
教会の村に落ち着き、
小さな丸太小屋で静かに愛しあう。

ユニオンを出て、
地中海まで行ってしまえば良かったのだ。

追っては俺たちに敵わないと、
信じて疑わなかった……

――

赤いレンズの義眼と、睨み合う。

消毒臭に、若干のストレスを感じはじめた頃、
ごみ袋の底の、最後の一呼吸が終わった。

「やめだ」

老人がルガーピストルを下げた。

「殺すなら殺せ」

昂った感情が引いてゆく。

「こんな時世に、
若い奴らはまだ希望が見えてるらしいな」

「……希望?」

「お前の目は、
この女をあきらめてないってことだ」

それは……
そうだろう、そのはずだ。

俺は、微塵もシエネをあきらめてはいない。

納刀し、彼女の髪を撫でる。

「どうするつもりだ?
人魚ってのは、よほど頑丈なようだが、
そこからサイバネ化なんぞでどうにかなるのか?」

「フッ、目にモノ魅せてやるよ。
彼女を廃棄処分してくれなかった礼だ」

ポケットから、青く瞬くそれを取り出した。
淡く光る、濡れたその球体は……
まるで海のような、深い深い青色をしていて。

ここに、彼女の魔力がしまってある。

「シエネ、遅くなったね」

彼女の窪んだ深淵の片方に、そっと挿し入れる。
じわりと、毛細血管が接続される……

その瞬間、水底から、泡と、生命が脈打った。

ごぽごぽと脳漿があふれる、
顔の傷や縫い目、首元からぴゅーぴゅーと、
薄赤い液体が滲んで。
泡立ち、膨らみ、縮んで。
じわりじわりと形造られる。

上半身が出来上がり、
息を荒げ呻くようになると、

怖気を催すほどに生臭い海の匂いが充満した。

えずき、吐き出し、嗚咽し、激しく喘ぎながら、
シエネが出来上がってゆく。

老人はただ、恐れ慄き、
後ずさった先の手術台にぶつかると、
尻もちをついた。

「俺はあんたを許したが、
妻はあんたを許すかどうかわからない」

ぬらりと立ち上がったその女性は、

金色の髪が美しく、
血管が透けるかのような、青白い肌をしていた。

唇から胃液を滴らせて、微笑む。

片目だけの瞳は、
まるで海のような、深い深い青色で、
大釜を混ぜる魔女のように、
狂気を孕んでいた。

「全力全開で復讐するから!」



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