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20年ぶりに宅配ピザを頼んだお盆休み〜祖母の思い出に今の味わいを重ねて〜


「ピザでも取ろうか」

母代わりだった祖母の、どこか安堵した様子を見せながら呟く声が耳をかすめた。
祖母はもうこの世にはいない。

わたしの隣で呟いたのは、今一緒に暮らしている相方だった。
祖母がそう呟いたのを最後に耳にしたのは、おそらく20年近く前。


今と過去がリンクして、
なんだか懐かしいような、切ないような、ワクワクするような、不思議な気持ちがしてたまらなかった。

きっかけはテレビで見た帰省ブルー


宅配ピザを取ることになったのは、お盆休みの少し前。
テレビのニュースが子どもや家族向けのイベント情報を盛んに流し始めたときだった。

帰省ブルーという言葉を知ったのも、その類の番組でだった。

帰省ブルーとは、お盆休みなどの長期休暇に実家もしくは義実家に帰省することに対し、憂鬱な気持ちを抱くことらしい。
マタニティブルーと同義語のようだ。

帰省の気苦労というと、主に帰省する娘や息子、嫁側の方に焦点が当たりがち。

だが実際のところ、迎える側にも触れてはいけない話題を避けたり、距離感に気をつけたり、
苦労が多いことをその番組では取り上げていた。


そこでわたしの脳裏に浮かんだのが、
息子の嫁や孫たちが帰ったあとの祖母の声。

そして柱に掛かっていた緑色の電話帳とともにひっそり差し込まれていた、宅配ピザのチラシ。

わたしは祖母と暮らしていたため、
物心ついた頃にはすっかり迎える側にいたのだ。

普段、1日3食作っていた祖母が台所に立とうとせず、
こたつに力なく転がる背中から、迎える側の気苦労を痛いほど受け取っていた。

決まって祖母とふたりだけで食べた宅配ピザ


「むしろ家族の集まりに宅配ピザを取るのでは?」と思うかもしれない。

だが、祖母の息子にあたる父はジャンクフードが自分の辞書にない無類の魚好きだし、
息子の嫁は偏食がすぎる酒好き。

孫でさえ宅配ピザをよしとするのはわたしくらいのものであり、
なにより「こんなときこそ手を抜いてはいけない」という、まさに迎える側のプライドが祖母には強くあった。

だから宅配ピザは、今までわたしと祖母ふたりだけの"おつかれさまの味"だった。

宅配ピザを頼むのは決して容易いことではない


祖母が亡くなったのは昨年だが、相方と暮らしてもう10年以上になるだろうか。
それなのに今まで宅配ピザを取ることにならなかったのは、祖母との思い出を守りたかったわけではない。

ただ機会がなく、どちらも言い出さなかっただけだ。

それなのに今回は、わたしの呟きを相方が見事に拾うという機会があった。
わたしの投げたボールを相方が拾うことは多いけれど、実現に至ることは少なかった。


「宅配ピザを取ることに、実現するかしないかなんて大袈裟なことはないだろう?」
そう思う方は多いだろう。

だが、我が家にとって宅配ピザを取ることは一大イベントだ。
腰が重いと実現に至らなくても不思議ではない。

というのも、相方は体が弱いので、物に付いた感染リスク除去のために、
外からそのまま荷物を運び込むことはできない。

食品であっても、ケースなど拭けるものは除菌ウェットティッシュで拭いて、拭けないものは玄関でお皿に移しかえるなどの作業が伴う。

ただ物の対応だけでなく、拭いたあとの床の掃除や、ゴミの処理など。
通常より2倍も3倍も手がかかる。


その手間を思って、買うのを諦めることもしばしばある。
うちの玄関から入れるのは、手間への億劫さを突破した欲と好きをまとうものだけだ。

祖母とふたりで食べた面影をまとう宅配ピザは、その狭き関門を突破したのだ。

せっかくのお盆休み、いつもと違うことをするのもまた粋


祖母と食べたピザと相方と食べたピザは、全然違う味わいがした。

メーカーが違うのはもちろん、時代も違う。
宅配のお兄さんが、下げている釣り銭袋がカチャカチャ音を立てることはなかった。


でも、いちばん違うのはピザを口に入れるまでの思い出だ。
宅配ピザを数回しか取ったことない相方の届くまでのソワソワぶりや、受け取ったときの秋を思わせる涼やかな風。

そして、玄関掃除がひととおり終わったあとに、ふたりで向かい合ってぱくついたひとかけらは、
椅子に座って食べたそれより何倍もおいしく感じた。


お盆休みはまだあと2日。
これを読んでくれたあなたも、いつもと違う思い出づくりに挑戦してみてはいかがだろうか。 


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