ダメ親父と娘の話
・はじめに
このエッセイには金銭の搾取、いわゆる経済的虐待の内容が含まれます。
トラウマを思い出してしまう人、このような内容が苦手な人は回れ右をすることをおすすめします。
私の父はダメ親父だ。
正確にはダメ親父だった、かもしれない。
小さな頃は優しくて、というか、甘やかしてくれて大好きだった。
母のことももちろん好きだったが、母に叱られている時に「まあまあ」と仲裁してくれるのが父だった。
母の歯磨きや耳かきは痛くて苦手だったけど、父のそれは優しくて、「お父さんにやってほしい!」と駄々をこねる程だった。
でも、自分が成長するにつれ、父のダメっぷりを目の当たりにすることになる。
父は仕事がなかなか続かなくて、私の記憶の中でも3回は転職をしていたし、記憶の無い時期にも複数回転職をしていた。
だからいつもお金が無くて、母とよく衝突をしていた。
それなのに飲みに歩くのが好きで、あちこちでツケ払いをしていた。
そういうことが許される時代だったのだ。
私が小学校に入ると、給食費が払えなくて、クラスの中で私だけ「親展」と書かれた封筒を毎月もらうようになった。
最初の頃はなんのことか分からなかったけれど、その封筒を家に持ち帰る度に両親が喧嘩をするものだから、だんだんと給食費が払えていないのだなと察するようになった。
給食費の滞納は中学を卒業するまで続いたが、間も無く卒業というタイミングで、母が学校で当時の担任に頭を下げて、どこからか掻き集めてきたお金を渡していたのが忘れられない。
「自分が生まれてしまったからお金に困っているのだ」と、この頃から思い始めたように思う。
私が小学校を卒業する頃、自宅のローンの返済に困り、母は20年以上勤めた会社を辞めた。
退職金を返済に充てるためだ。
父は相談無く退職をした母に激昂し、怒鳴りながら当時持っていた携帯電話を逆パカしていた。
私はその状況が怖くて、喧嘩しないでほしいと泣いた。
両親が離婚してしまうのではないかと不安だったのだ。
その後も、市役所から固定資産税の滞納で調査員が来たり、真っ赤な差押状が届いたりと、幼いながらに住む場所が無くなるかもしれない恐怖を強烈に感じていた。
「大丈夫だから心配するな」と父が慣れたように口にしていたのを覚えている。
幼かった私はその言葉を頼りに、「大丈夫」と自分に言い聞かせていた。
私は「おこづかい」という制度が分からなかった。
友達は財布を持っていて、お菓子を買ったりゲームを買ったり、自由にお金を使っている。
「どうしてそんなに自分でお金を持っているの?」と聞いたら、「毎月おこづかいをもらっている」とか、「お手伝いをするともらえる」と言っていた。
私はそこで初めて「おこづかい」の存在を知る。
「毎月おこづかいが欲しい」なんて口が裂けても言えなかったので、親戚からもらえる年に一度のお年玉を大切にしていた。
欲しいものがあればお年玉の残金を確認して、「これくらい残っていれば大丈夫」と計算してから買うようになった。
友達と駄菓子屋に行く時も、お年玉からちょこちょこ出して、なんとか一年をやりくりしていた。
ささやかながら誕生日プレゼントやクリスマスプレゼントはもらっていたが、欲しいものはもらえず、生活するのに必要な靴や洋服をもらっていた。
「プレゼント」という名目の「生活必需品」だったのだ。
私は「自分が良い子にしていないから欲しい物がもらえないのかも」と考え、毎年こっそりと落胆していた。
父は相変わらず外で飲むし、競馬やパチンコにのめり込んでいた。
今となっては信じられないが、「ローンの返済額が足りないから」と、月末になると給料を持ってパチンコ店に行っていた。
パチンコという名の、勝てるはずのない運ゲー。
軍資金が底を尽きると、父はまだ小学生の私に「絶対に返すからお金を貸して」とねだるようになった。
私がお年玉でやりくりしているのを知っていたからだ。
まさかパチンコ代にされるなんて思いもせず、私は「父のためになるなら」と、大切にしていたお年玉から喜んでお金を貸していた。
「借りたものは返さなければいけない」と教わっていたから、返ってくると信じて疑わなかったのだ。
結局、貸した分のお年玉は返ってこなかった。
高校は奨学金で通った。
自分が生きていて良い理由をうまく見出せなかった私は、せめて良い子でいたくて、成績だけは落とさないように気を付けていた。
高校を卒業する直前に、奨学生が集められたことがあったのだが、300人程在籍している同級生の中で、その場にいたのは私を含めて6人だけだった。しかも私以外は進学をするらしく、高校を出てすぐに働かなければいけないのは私だけだった。
当時は明確に将来の夢があって、進学したかった。
でも両親に反対され、教師にも反対され、就職することを余儀なくされた。
「私より成績の悪い人たちでさえ進学するのに、何故?」と、納得出来ず、奨学金を借りるし、生活費もアルバイトをして自分で払うからと食い下がったが、断固拒否された。
おそらく、両親が保証人になるのが難しかったのだと思う。
あるいは、就職後に家にお金を入れる人員が欲しかったのかもしれない。
その頃から私はひねくれ始めたし、人生ってなんなんだろうとか、私ってなんのために生まれてきたのだろうと、自問自答を繰り返すようになった。
父からの金の無心は続いていたし、懇願されるとどうしても断れなかった。
高校生にもなるとお金が返ってこないと察しもついていたし、何故自分だけ友人たちのような自由が手に入らないのかとコンプレックスを抱いていた。
恥ずかしくて、情けなくて、誰にも相談出来なかった。
この状況が普通なのか異常なのかも、当時の私には分からなかった。
高校生なのだから、アルバイトでもすれば良かったのかもしれないが、私が在籍していた高校はアルバイトが厳格に禁止されていた。
でも、アルバイトをしていたとしても、きっと父から搾取されていただろう。
何故なら、就職してからも搾取は続いたからだ。
就職をして、お金を稼ぐことの大変さを身を持って知った。
高卒の初任給なんてたかが知れていて、車のローンやいろいろな保険料なんかも払いつつ、家にお金を入れ、貯蓄もしなければならないと考えると、手元には雀の涙ほどの現金しか残らなかった。
それでも「滞納」や「未納」が恐ろしい私は、必死になって働き続けた。
その頃から、平気な顔で搾取しようとする父親に対してやっと疑念を抱くようになり、お金を貸すことも渋るようになった。
同級生のSNSは、キラキラとしたキャンパスライフや新しい友人との楽しそうな日々で溢れていて、「何故私だけこんなに苦しいのだろう」と思うようにもなった。
私もそっち側に行きたかった。
勉強をして、友達と時々遊んで、夢に向かって歩んでみたかった。
ちなみに兄は高校を出てからしばらくプー太郎だったし、姉は専門学校に通っていた。
認めたくないけれど、家族なのに、きょうだいなのに、差別されていると思った。
何故私はこんなにも必死になって働いているのだろう。
誰のためにお金を稼いでいるのだろう。
ずっと孤独で、苦しくて、仕方が無かった。
その後ももやもやと生活をしていたが、今の夫に出会って数年の交際を経た後に、結婚の話が出た。
私は父からの搾取についてずっと隠していたが、結婚して親戚付き合いも始まるとなれば、いよいよ黙ってはいられない。
もしかしたら、「そんな家庭とは付き合えない」と、交際すら終わってしまうかもしれない。
でも隠し事をして結婚するのは誠実ではないからと、意を決して今の夫にこれまでのことについて話すことにした。
そこで始めて、自分の家庭は普通ではないと気付かされた。
薄々分かってはいたが、認めざるを得ないと気が付いてしまうと、悲しくて苦しくて、呆然とした。
私は搾取される為に生まれてきたのかもしれないとまで考えるようになった。
幸いなことに、夫はすべてを受け入れた上で、それでも結婚したいと言ってくれた。
ここから父との決別が始まる。
「もうお金を貸してはいけない」「一度離れた方が良い」と夫に忠告された。
父からの搾取を断るのはとても苦しく、身を引き裂かれるような思いだった。
私の存在意義そのものを否定するような感覚に陥るからだ。
急にお金を渡さなくなった私に、父はなんだかがっかりしているように見えた。
だからこそ悲しみも苦しさも加速していく。
そのうち矛先は母へ向き、両親がお金のことで喧嘩する回数も増していった。
異常事態に気付かされた私は、早くこの家から出なければと、必死になって結婚資金を貯めた。
母を一人残していくことに引け目を感じていたが、私は私の人生を歩まなければならない。
母の口から漏れる父の愚痴を聞くのはとても辛かったが、母の為に、自分の為に宥め続けた。
いよいよ結婚資金も貯まり、結婚したいことを両親に伝えた。
夫のことも知っていたので、特段反対されることも無かった。
同棲するアパートも決まり、家具や家電を揃えているうちに、「あぁ、やっと私の人生がスタートするんだな」と安心しつつ、両親が暮らしていけるのかという不安もあった。
両親を裏切っているような感覚が、私の胸をチクチクと刺し続ける。
いよいよ、家を出る前日になった。
父は相変わらず飲みに出掛けていて、最後の夜は母と二人でのんびりと過ごした。
家を出ると言っても、実家から車で10分も掛からない場所に部屋を借りていたので、何かあればすぐ駆けつけるよ、と母に伝えた。
母と「おやすみ」と言葉を交わし、各々の部屋で眠りにつく。
「ここで眠るのも今日が最後か」と、真っ暗な部屋で天井を見つめながらぼんやりと考えた。
うとうとしていたら、玄関の扉が開く音が聞こえた。
どうやら父が帰ってきたらしい。
父の寝室は一階なのに、階段を昇る音がした。
「なんだろう」と思いつつ、壁側を向いて布団を被った。
酔った父に絡まれるのが面倒だったからだ。
私の部屋のドアが開き、ベッドの側に酔っ払った父が座ったのが分かった。
「お〜い、寝たのか」
私は無視をした。
少しの沈黙の後、父が口を開く。
「行くな〜」
私がいなくなったら家にお金が入らなくなるもんね。
「行かないでくれ」
え、泣いてるの?
「ずっとお前のことがかわいかったんだ」
じゃあなんでお金の搾取なんてしたのさ。
「今もかわいくてかわいくて仕方が無いんだ」
そんなこと今更言われてもよく分からないよ。
「さみしいんだ」
私だって寂しかったし、今もそうだよ。
「だから行かないで、ずっとここにいてほしい」
結婚したいからそれは難しいよ。
「結婚するんだな」
そうだよ、言ったじゃん。
「今までごめんな」
遅いよ。
「幸せになってくれ」
今よりはきっと幸せだよ。
父は泣いていた。
情けない程にグズグズに泣いていた。
私も泣いていた。
声が漏れないように必死に我慢した。
被っていた毛布が、枕が、涙ですっかり濡れていた。
翌朝、父は何事もなかったかのように振る舞っていた。
心なしか、表情が少しスッキリしているようにも見える。
私は、昨夜の涙には一切触れなかった。
こんな両親でも、ここまで育ててもらった事実は確かなので、家を出る時に「ここまで育ててくれてありがとう、長い間お世話になりました」と伝え、深々とお辞儀をした。
両親の顔は穏やかで、晴々とした気持ちで実家を離れた。
その後、子どもが全員家を出たことで家計に余裕も出たらしく、父と母は二人で旅行に出掛けるようにもなった。
私の心配は必要の無いものになった。
入籍を数日前に控えた頃、父から封筒を渡された。
中を見ると、そこそこの現金が入っていた。
どうやら改心したらしく、私から借りていたお金の一部を返してくれたようだ。
この瞬間、胸の奥底に仕舞い込んでいた父への憎しみがやっと薄れ、過去の自分が少しだけ報われたような気がした。
「よく頑張ったね」と、初めて自分に声を掛けてあげる事が出来た。
父のダメっぷりを掻い摘んで書いたので、とんでもなく暗い家庭に見えたかもしれない。
でも、貧乏ながらにひょうきんなメンバーで、賑やかだったことも事実だ。
だが、搾取された過去は変えられず、今も私が自責の念に苛まれたり、自分の存在に対して否定的な気持ちを持ち続けていることも事実だ。
自分の意見を言えなかったり、人の顔色を窺ってしまう癖も、これまでの生育歴が大いに関係しているだろう。
私が選択的子無しでいる理由も、自分が父親のようになるかもしれないのが怖いからだ。
「自分の子供には経験を生かしてそんな思いはさせない」と思うことも出来るのかもしれないが、「蛙の子は蛙」で、万が一ということを考えると、恐ろしくてたまらないのだ。
カウンセリングを定期的に受けているが、養育環境の劣悪さを指摘されており、子供の頃からの自分を私自身が慰め、認めてあげるトレーニングに、長い時間を掛けて取り組まなければならない。
これからも、あの頃の苦しみと向き合い続けなければいけないことを考えると、父が私に残した傷跡は、あまりにも深くて大きい。
心理士さんから、「許さなくて良いし、憎んでも良い」と伝えられたが、私は正直どうしたら良いのか分からないままだ。
私が両親の子供だという事実も、過去も、変えることは出来ないし、両親との付き合いがこれからも続くことを考えると、許さないのも憎み続けるのも、私にとっては苦しいことだからだ。
手探りでもがいている最中、先日誕生日を迎えた。
ここ数年、父は誕生日になると必ずケーキを買ってくれる。
幼い頃から自立するまでの間、父からプレゼントをもらった記憶は一度も無い。
父親らしいことをしてこなかったことを、遅ればせながら顧みているのかもしれない。
母から、父とケーキを買いに行くと連絡があったので、せっかくなら三人で行こうと提案した。
ケーキを選ぶ父を見てみたかったのだ。
父はいつも決まったケーキ屋に行く。
近所にチェーン店のケーキ屋もあるが、いつものケーキ屋じゃないとしっくり来ないようだ。
こだわりが強いところは父に似たのかもしれない。
ショーケースに並ぶキラキラとしたケーキを、一番わくわく選んでいたのは父だった。
酒飲みのイメージしかなかったので、心底意外だった。
夫の分と2個だけ選ぶと、父は「2個ずつ食べなさい」と言ってきた。
それじゃあお言葉に甘えてと、4個もケーキを買ってもらった。
父と母も2個ずつケーキを選んでいた。
そのワクワクとした二人の姿に、なんだか胸の奥がムズムズとした。
父は「ありがとうございます」と店員さんに礼儀正しく挨拶し、嬉しそうにケーキが入った箱を持っていた。
私も一緒にケーキを買えたのが嬉しくて嬉しくて、子供のように喜んだ。
たったのケーキ4個で、浮き足立ち、舞い上がってしまうのだ。
その日の夜、今年70歳になる父に、「ありがとう、いただきます」とLINEをした。
「ハッピバースデー、人生ゆっくり」と返って来て、「ハッピバースデー」の脱字と気遣う一言に、少しだけ泣いた。
私は今やっと、子供らしく過ごせているような気がしている。
甘えることがうまく出来なかった反動だろう。
過去を無かった事には出来ない。
それでも、遅ればせながら父親をやろうとしている父を受け容れたいとも思っている。
カウンセリング中に何度も葛藤することになると思うが、ゆっくり、マイペースに、両親との関係について考え、向き合っていきたい。
父の誕生日はまだ先だけど、その日が来たら、父のお気に入りのケーキ屋で、一緒にケーキを選ぼうと思う。
純粋に、父の喜ぶ顔が見たいのだ。
世間から見れば、搾取されても両親から離れられない私は、哀れな存在に見えるのかもしれない。
それでも私は、自分が生まれてきて良かったのだと思いたいし、歪んでいたかもしれないが、両親にちゃんと愛されていたのだと確認したい。
どうかどうか、過去の私が報われ、両親の老後が穏やかなものになりますように。
私の今の願いは、ただ一つ、それだけだ。
