8.「こんなときどうしたら?」
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逆さの老人
ナシ園のそばを通ったとき、一人のお爺さんが倒れていた。
倒れていた……というより、説明が難しいのだが、
その事件が起きていたナシ園は鳥よけの細かい巨大なネットで囲われていて、
その敷地は道路より少し低くなっていた。
道路との境界には段差があり、
ネットと段差が重なって、巨大なポケットのような空間ができていたのだ。
お爺さんは、自転車ごと、そのポケットに逆さに突っ込んでいた。
自転車に乗ったまま逆さになり、
ネットと段差の隙間にはまり込んで、体が完全に固定されていた。
幸い、ケガはしていないようだったが、
一人で抜け出すのはどう考えても無理だった。
「助けて……」
弱々しい声が聞こえた。

けれど、時代はコロナ禍の真っ最中。
倒れた人に心臓マッサージをした警察官が感染したというニュースもあった。
今では考えられないが、当時は“近づかない方がいい”という空気があった。
杖を拾ってあげようとした学生に、
老人が「近寄るな!!!」と叫んだという話も実際にあった。
迷いと恐怖の中で
どうすべきか、頭の中でぐるぐる考えた。
警察か、救急車か。
けれど、コロナ禍で救急車は慢性的に足りていなかった。
人間は逆さの姿勢に弱い。
長時間このままでは、脳へのダメージが心配だった。
しかも高齢者だ。
放置すれば、明らかにまずい。
感染症への恐怖。
体が悪いのに、なぜこんなことをしなければならないのかという気持ち。
そして、体の痛み。
泣きそうになりながら、
まず自転車を引き上げ、次にお爺さんの体を引き上げた。
お爺さんは力なくお礼を言ったが、
当時の私は恐怖に支配されていて、
逃げるようにその場を離れた。
帰宅して母に話すと、
「こんな時期に、人助けなんかしないで」と言われた。
褒めてもらえるとは思っていなかったが、
胸の奥が重く沈んだ。
チョークで書かれた植物の名前
世界中がそんな空気だったころ、
ヨーロッパのナチュラリストたちが、
道路にチョークで植物の名前を書く運動をしていたことがある。
知っている人は少ないかもしれない。
「人に会えないのなら、せめて植物に癒されてほしい」
そんな願いが込められていた。
当局は「道路にチョークで書くのは法律違反だ」と表明していたが、
非常事態の中で、その言葉がどこか空しく響いたのを覚えている。
ナシ(Pyrus pyrifolia)(東アジア系ナシ)
起源は約7000万年前の中国南西部(雲南・四川周辺)と考えられている。
中国では紀元前1000年ごろにはすでに栽培されていた。
古代の農耕文化の中で、果樹として早くから人間に利用されていた。
日本には少なくとも弥生時代(約2000年前)には伝わっていた。
