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タイミング合わせの障害

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ちょっと、頭の中を整理するために書かせてください。
今、自分が抱えている問題でもあります。
何もできなくなった所から、いろいろリハビリをしているのですが、難しさを感じていることです。



線維筋痛症を患って、痛みで体が動かせない、思考能力も低下して、生活動作や会話も厳しくなったときがありました。
そのときよりは、体も動かせるし、作業もできる、会話もできる。全然、酷い状態よりは改善したのですが、現在、新たに深刻な状態で現れてきた問題。
取り組もうとすれば、するほど、かえって、うつ状態になってしまったりすること。

「タイミング合わせの障害」というタイトルで「障害」と強い言葉を使いましたが、人間弱ってくると、ここの部分が凄くできなくなってくるような所があります。

プロのアスリートでも、筋力、持久力があっても
「タイミングが合わせられなくなった」ということで引退するということはよくあるみたいです。
連係させないといけない動作というのは、たくさんあって、タイミングがずれると、結果が出せません。

「その行動がまるっきりできなくなる」というのは、わかりやすい。
でも「その行動のタイミングを合わせるのが難しくなる」というのは、わかりにくい調子の悪さで、場合によっては、「なんでできないの!」という話になります。

「文字が読めて理解できる」「手で何かを持って歩くことができる」なら、生活に困難など無さそうに思えるかもしれませんが、タイミングを合わせることができないと、かなり支障が出ます。

例えば、「ゴミを出す」というのは、基本中の基本な生活動作ですが、これもタイミングを合わせなきゃいけない作業なんです。
「ある曜日の決まった時間帯に出す」ということができないと、どんどん出せないまま溜まってしまい、これだけで生活状況が悪くなる。

書類が書けないとか、そういうことは、調子が悪い人もよくある(健康な人でも、書類を書くというのは、大変な人も多いかもしれませんが)と思いますが、もっと基本的な生活の質に関わります。

会話なんかもそうです。
言葉が理解できて、知的な問題があるわけではなく、聴力も喉の調子も、呂律が回らないという問題も無いとします。

調子が悪い人や、ある種の障害やスペクトラムがある人でなければ、会話に問題は無いと思います。
でも、これらができたとしても、タイミングをはかって、返せないと、独演会になるか、押し黙るという形になってしまう。

「そのことができた」としても「タイミングをはかって行動・返し」ができないと、重大な生活の困難になる。

もう一つ問題なのが「できるけどタイミングが合わせられないという問題」は、人間関係が難しくなるということです。

会話はこれまた典型的で、タイミングが合わない人と話すと、話は通じるのだけど、疲れるし不快になる場合があります。

一方的でパターン化した業務報告なら、そういうことはないかもしれない。

でも、雑談とかもうちょっと複雑な会話になると、これが露骨に問題になる。

それを抱えている人は、不快感を与えたくないのに、自分は不快感を与える存在でいるしか無いように感じる。

人間関係が無くなっていくのと同時に、人と関われば関わるほど、自分自身もまた価値が無いように思いこんでいく場合があります。

「引きこもり」の問題というのは、これが凄く大きいのではないか。

高齢者の衰えと孤独、発達障害、微妙なアンバランスさや障害を抱える人の場合は、これが多分あると思います。

「できない」というのなら「最初からあきらめてやらない」ということになるけれど「できるけどタイミングを合わせるのが難しい」というのは、物凄く難しいのを感じます。

これを、自分で認識できなかった。
ありがたいことに、痛みも減り、体の状態は改善していって、できることが相当増えた。
人間関係も増えた……にも関わらず、なんだか、うつ状態が起こり酷くなっていっていた理由がわからなかったのです。

状態がわかれば、行き詰まったときでも、自分ができること、すべきではないことが、たぶんわかるはず。
目指す場所がわかるはず。

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