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感情を抱える力

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記録のためと頭を整理するために書かせてください。

感情を抱える力が下がるということ。

ただ、精神の変調や病に関するちょっと、ややこしいきつめな話があるので、予めご了承ください。

高齢の母が、年相応なのか、認知症なのか、ほかの心の病なのか、あるいは、飲んでいる薬の副作用なのか、ちょっと変な所が出てきています。
記憶が抜けたり、感情的になったり。

もちろん一人で抱えることはせず、説得して、病院にもかかり、一日で検査は、終わらず、次回も検査に行く予定です。

母のありがたい所は、「記憶が抜けている」「自分がおかしい」という自覚があり、【たぶん】「病気かどうかは検査した方がいい」ということと「病気でなければ、それに越したことはないし、病気なら治療しながら、したほうがいいこと、しないほうがいいことを把握して、良い時間を長く過ごした方がいい」というのを理解してくれたから、検査を受けてくれていることです。


母の様子を見ていて、気持ちが、コロコロというほどではないけれど、変わるのです。そして、本人もしんどそうです。
振り回されている私も、血管が切れるんじゃないかと思うくらいしんどいですが。家事や運動機能は大丈夫なのですが、決めたことが、翌日には、やっぱりやめた、やっぱりやる、というふうになるので、それが非常にしんどい。
深呼吸しながら、話を聞いています。

ただ、なんか、既視感があって。
それは、私は、線維筋痛症の症状が爆発していたとき、体の激痛だけでなく認知力も極端に落ちていた経験があって、それと似た部分を感じて。

だから、そのときのことを思い出しながら、母の様子を見ていると、根っこに何があるのか、健康な人よりは少しわかるような気がするのです。

感情が不安定になるのが、何から来ているのか。
もともと、痛みからくる、不安やイライラはあるのですが、何かができないことによって、さらに不安になる。

私の場合は、大きかった事は、姿勢の維持ができなくなったことでした。痛くて座ってられない。買い物などで並ぶために立っていることが難しい。
何かを握ったまま持つことができない。例えば、傘をじっと持っていられない。

当たり前の姿勢の維持・保持ができなくなった。
不安でない方がおかしいかもしれないくらい、いろんな症状が出て不安になっていました。
いちいち、健康な人に言ってもわからないし、医師にも細かい所は伝えきれない。医師も細かいことを話されても困っている感じがわかったので、途中から話すのをやめましたが、
本人にとって、難しいことが無数に出るので、不安は、とても大きくなってきます。

もう一つ感じたのが、感情を抱えることが非常にしんどくなったということです。
何か感情が起こったとして、健康な人は、それで過剰に揺さぶられないで、それを心に抱えられると思います。
常に、感情がガンガン外に出ていたら、日常生活も対人関係も困難になってしまう。


何かの刺激があって、感情を感じたとします。つまり、心がどちらかの方向に振れる。
そして、通常だったら、自動的に戻るわけですが、具合が悪いとちょっと、刺激されると、ガンッと、動く。動いたものが、乱反射するような動き方をして、耐え難い状況になる。
前にも書いたことがありますが、ピンポン玉が、猛スピードで小さな箱の中で弾んでるような感じ。
入ってくる情報も、大きく感じるし、心の触れ方も乱反射みたいになる。



ただ、暴れる感じの精神疾患を抱えている方に出会った経験があって。

病は本人の責任ではないのだけど、非常にいろんなものが、その人の立場とか、経済状況とか、家族とか、人間関係とか、そういうものがことごとく壊れていくのを見てきた経験があって。それを悲しい思いで見ていたことがあります。
申し訳ないけれど、何もできなかった。

その経験と、心の病気については、少し勉強していた経験があるので、イライラすることで、乱暴なことをしてはいけないと鉄のような気持ちで思っていました。
まあ、痛みと疲労でヘロヘロになっていたので、乱暴なことをするパワーが無かったということもあるかもしれませんが。

物凄く人生を終わりにしたいと思ったことも、ありましたが「人に迷惑をかけちゃいけない」という気持ちが、自分は異様に強いので「できるだけ相手に負担をかけない程度に」電話などで話をして、「ここで死んだら、関わった人に滅茶苦茶迷惑がかかる」と、自分に言い聞かせたりして、それを抑えたり。

あるいは、自分の心の形を保つのが難しいような感じがあって、ベッドに寝ているにもかかわらず、自分の寝ている場所が不安定で、ずぶずぶっと海の底に沈んで浮かんでこれなくなるような感じ。
あれも、とても怖かった。
「正気が失われていくかもしれない感じ」の方が、死よりも怖かった。

あと、物事を凄く決めにくかった。何かを決めようとすると、その良い面と悪い面が、どっと頭の中に浮かんで、凄くきつい。

病気の経験談の映像で見たことがあるのですが、
かなり重いうつ病の人が、スーパーに行ったときに、
例えば、グレープフルーツがバラで売られていたとして、
その中から買うための一つを選べなかったりするんです。

同じ種類の中から、どうして選べないのか、健康な人は、理解に苦しむと思いますが、選べない感じは、なんとなく理解できます。
さすがに、私は同種の中から選べないということは無かったけれど、
「あれもダメ、これもダメ」というものが、頭に渦巻いてきて選べない。
物事を決めるのに、動かしにくい車を無理やりギアチェンジしたり、力づくで動かすような感じ。そういうふうな進め方をしてるような感じが続いていました。



「おかしくなっている」のを見つめながら、じっと、ICレコーダー感じていることを吹き込んだり、筆記用具を持てる状態だったら、ノートに何かを書いたり、色鉛筆で自分の気持ちを奇妙な模様で描いたり、必死にバランスを取っていました。
「文字にする」「作品にする」というのは、良くも悪くも「動き回っているものを固める作用」があるので、とにかく、害の少ない、そして、お金のかからない形で、頭の中のものを、そのときにできる方法で、出していました。



リハビリの運動なんかも、体の機能の回復の意味もあったけれど、この奇妙に入ってくる刺激とそれに対する感覚が大き過ぎたり、感情の揺れが強烈だったりするのを、抑える作用があるように思いました。

詳しいことはわからないけれど、運動機能のバランスを取る能力と、感情のバランスを取る機能は、何か重なる所があるのかもしれません。

幸か不幸か、私の場合は、行動化しなかっただけで、似たような精神機能がうまくいかなかった経験があるので、

母の様子を見ていると「こういう心の状態で理屈に合わない言動があるんだろうな」と、想像できる所があって、それは、ありがたいです。

前よりもずっと楽になったとはいえ、線維筋痛症の痛みは常にあるし、調子が悪いときは、動けなくなるので、いろいろ大変ではありますが。

ちょっと、まとまりがないのですが、自分の中のことを整理したくて、書かせていただきました。
最後まで読んでくださった方は、ありがとうございます。

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