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病気と孤独

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■ ご挨拶


おはようございます。今日から11月ですね。そして、11月の割には、日差しも強く日中も暑いですね。
私は、温度差がしんどいです。
昨日は、夜寒かったのでワンタンを食べたりしておりました。
皆さま、いかがお過ごしでしょうか。

■ 病気と孤独

病気と孤独についての話なのですが、孤独が病気になりやすくなるということもあるし、病気が孤独を招きやすいということもあります。
長期間の病気だと、特にそういうことがあります。

今回は、病気が孤独を招くことについて、考えたことを話したいと思います。
物理的な面もあるけれど、心理的な面もあると思います。

ちょっと、心理的な面を言葉にしてみたいと思いました。
具体例が少なくて、わかりにくい部分があるかもしれないのですが、
取り敢えず、書いてみようと思ったのです。

■ 移動しにくさ・コロナ

単純に病気をしていると、物理的に、起き上がれなかったり、体を動かしにくくて出歩きにくいです。

新型コロナでも、外出を控えてくださいということになって、生活リズムがおかしくなったり、人間関係に影響が及んだ人も多かったのではないでしょうか。

病気の種類にもよるのですが、外出したり移動したりできなくなりがちなので、その辺で、仕事にしろ遊びにしろ、人間関係に良くない影響が出やすい。

それでも、ネットなどの方法があります。リモートワークとか、それから、私もやっている音声配信というものも、音声配信サイト、アプリなどが充実してきたせいもあるのですが、コロナが後押ししたような感じが凄くあるような気がします。

■ ツールが使いにくい

私は線維筋痛症という病気で、体が激しく痛む病気を患っています。そして、疲労感が凄いので、頭が回らない時間も多い。
24時間痛みが止まないし、何をどうしても苦痛なので、生きてるのが非常にしんどかったです。
最初、指の力具合もおかしくなっていたし、それから、頭が働かないのと合わさって、パスワードが入力できない。ようやく入力できても「パスワードが違います」と何度も出る。
パスワードは入れられるようになっても、長文は書けないから、音声認識で入力して、時間をかけながら、誤変換を(暗黒面が、暗黒麵と誤変換されたりとかありましたので)直しながら、文章を紡ぎ、人とやり取りしていました。

これも物理的に、コミュニケーションツールが扱いにくいという要因。

■ 病気以外の共通の話題

人と交流するときに出していた、話題に関してですが、私の場合はですが、病気についてメインにメッセージを出して交流していたときは、あまり元気にはなれませんでした。

辛い症状や生活状況の話ばかりになりがちなので、お互いに気が滅入ってくるのです。
そんな時に、放送局のラジオを聞き始めて、それでそれが、私にとっては、とても面白いラジオ番組でかつ、全国放送だったのです。
そうすると、そのラジオ番組の内容というものが、共通の話題になりました。

そう。病気以外の共通の話題が持てたのです。

■ 「場」

SNSを通じて、そのラジオ番組のリスナーと交流するようになりました。
以前、病気以外の話題を持つことの重要性について書いたことがありますが、偶然、それが得られたのです。

これは、とても助かりました。
全国放送のラジオで、人気の高い番組だったので、リスナーが投稿した内容が読まれるわけです。
そうすると、全国の様々な生活をしている人のエピソードが聞けるわけで、世の中から遮断されてしまっている人間にとっては凄くありがたいことでした。
いろいろな人が、日々感じていることが詰まっているわけです。
そして、大きかったのが、「場」があったことです。

同じ時空で、たくさんの人と「番組を聞いて何かを感じる」という共通の体験をした。これは、大きかった。

そういう「場」があると、「自分の居場所」みたいなものを感じられます。
「放送」という、建物や敷地があるものではないけれど「居場所」みたいなものを感じられる。

■ 調子が不安定で約束ができない

病気をすると、移動できなかったり、人と会ったり話したりということが、難しくなります。
それと、体調が不安定だと、「約束」ができない。ドタキャンをしたら迷惑をかけてしまう。
こういう日時までに「会う、話をする、連絡する、作業をする」そういう約束ができない。
これも、凄くいろいろなことを難しくします。

■ 実感のある話題や経験ができない

こういうことを重ねていくと、どんどん、いろんなものを失っていく。

それは、共有できる経験が減るということです。
そうすると「実感のある共通の話題や経験」が、非常に乏しくなります。
これも、前に書いたことがあるのですが「実感の無い言葉」というのは、人の心を打ちません。

私が使いがちな言葉なのですが、感情のこもらない言葉になる。業務報告や医者の診断書みたいな言葉になってしまう。

「実感のある言葉」が「病気を通した経験や生活」がほとんどだったら、それが広げられない。
生きていくということは、引きこもるのでなければ、自分と違う立場の人を、ある程度理解して、人間関係を広げていくという行いでもあります。

■ 感覚や思考の持ち合わせ

病気の困る所は、人間関係や生活を狭められるだけではなく、それによって「実感のある共通の話題や経験」を減らされてしまうということです。

言葉が理解できて、語彙力があるだけではなくて「実感のある共通の話題や経験」が無いと、非常に人間関係を作れなくなる。

「実感のある話題や経験」のバリエーションがたくさんあれば、自分のものの考え方や感じ方も、豊富になります。
つまり「感覚や思考の持ち合わせ」が豊富になります。

そうすると、自分と違う人と出会ったとき「感覚や思考の組み換え」が起きて、自分と違う個性や立場の人を理解しやすくなる。
自分と違う人の感覚を理解すれば、その経験は、自分にとって、また別の「感覚や思考の持ち合わせ」になり、違う個性や世界を理解する手掛かりになります。

■ パーティで冒険

あるファンタジー小説で、ごりごりな規則の中で生きてきた騎士がいたのですが、エルフやら、ドワーフやら、魔法使い、シーフなどと一緒に活動しているうちに、自分がいかに硬直した生き方をしてきたかを知って、だんだん変わっていくという場面が描かれているのを読んだことがあります(※)。

病気に限らず、アンバランスで抑圧された生活や因習などで、生活上の制限がかかるような状況だと、それを得ることが阻害される。

※「ドラゴンランス戦記」マーガレット・ワイス/トレイシー・ヒックマン

■ 経験の貧困

言葉が理解できて、語彙力があれば、人間関係が作れるかといったら、そうではありません。

そこに誤解があります。

言葉ができたら、社会生活がうまく営めるようになるのかといったら、そうではない。

私は、自分のことをダメ人間だと思っていました。
会話する持久力が出て来たのに、人間関係を維持したり作るのが非常にしんどい。

自分でも、呂律が回らないとか、体に麻痺があるわけではないのに、なぜうまくいかないのか、わからず、自分は根性無しだと思っていました。

以前書いた、病気によって生じた、注意のコントロールがしにくいとか、感覚のボリューム調整がおかしいとか、そういったもの以外にも経験や人間関係の貧困が起きると思います。

言葉ができていれば、社会性アップに繋がるわけではない。

病気による経験の貧困は、その部分を奪う。

■ 経験を重ねることができるコミュニティ

だから、そこを何とかしないと状況が変わらない。

そういうことを最初からわかっていたわけではないのですが、このままでは、人として元気になれない。それは痛烈に感じていました。

私の場合は、ラジオでは足りないと思いました。
ラジオは受け身です。

自分からやりたい事を見つけて、人と一緒に何かをする。
それが必要。

それで、趣味や声の演劇をしている人たちのコミュニティに入って活動を始めたこと。

それが、病気で、ぐるぐると孤独になっていくのを、改善させてくれたと思っています。

私に、そういう機会があったこと。体力や環境的に許されたこと。
(私よりも厳しい状況で、起き上がるとか、声を上げることすら難しい人もいます。そういうことができる体力があるのが、羨ましいと、病気の人にもよく言われます)
たまたま、私が入っていったコミュニティが、違うものを排除するような場所ではなく、親切で大人な人が多かったことは、本当に恵まれていたと思っています。

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