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へなちょこスクリーンの症状

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私は、線維筋痛症という病気にかかっていて、
いろいろ模索したときの話を書いているのですが、
Xで投稿したものをもとに、
それをまとめたものを書いています。

線維筋痛症が酷かったとき、激痛以外にも、いろいろ困ったことがあった。
認知力や遂行能力の低下のようなことが起きて、困った。
そして、それが「相手にとって非常にわかりにくい」ことがあった。

病気が酷かったとき。
へなちょこスクリーンと呼んでいた問題があった。
いろんな作業・行動に影響を及ぼした問題だった。
何かのイメージを頭の中で長く保てないのだ。

会話などのときに、それが如実に災いした。
入ってきた言葉とか内容の短い部分は理解できるのだけど、それを覚えていられないから、会話が続くと、日本語は理解できるのに、話の内容を理解できない。

記憶が無いというのとも違う。移り変わっていく状況や情報を一時的に覚えていられるから、人間はコミュニケーションや生活の作業ができる。
ある程度の長さを一時的に記憶して繋げたり、組み替えたりできるからこっそ、変化していく状況に合わせて生活が回わせる。

これは作業記憶と呼ばれるものだが、もともと、私は作業記憶の力は弱かったが、ますます悪くなった。
それと、会話じゃなくても、まとまったことを「話す」ことができなくなった。記憶が無いわけではないのに、話をまとめられない。

何かについて、頭にイメージを思い浮かべたとしても、それが、気を張っていないとすぐに消えてしまう。
記憶が無くなるよりは、ずっといいのだが、これは、いろいろな所で問題になった。

思い出すことができない障害の人もいると思う。
でも、自分の場合は、思い出すことができても、へなちょこなスクリーンのように、灯りがすぐ消えて見えなくなってしまっていた。
文字や形が映らないわけではないのだ。すぐ消えてしまうのだ。

頑張ると、また思い出せる。でも、すぐ消えてしまう。ある程度の長さと数を一定時間イメージできるから、物事をまとめることができるのだが、それができない。
お医者さんと話しても「話せてますよ。気にし過ぎです」と言われる。

尋ねられたことに、対してゆっくり一つ一つ答えるのは、発話できないよりはいいかもしれないが、それだけでは、生活が非常にしにくい。でも、これは、たぶん、なった人にしかわからない。

生きていれば、意見が違う人と調整しなくてはならない場合がある。ある程度複雑な会話ができないと、それができない。
納得していないのに飲み込むか、逃げるしか対処ができない。あるいは、暴言、暴力に行ってしまう人もいると思う。私はしなかったけど。

それと、こんな状態だと雑談を楽しむことも、自分の状況を誰かと分かち合うことも難しい。凄く孤独だった。

なんとか何がどうなっているのか、発達障害や高次脳機能障害、精神障害の人についての本や情報を読んで自分の状態を把握しようとした。
ただでさえ、おかしい脳みそが焼き切れるような感じ。
でも、やらないと、対処が考えられない。
症状や状況、資料のポイントをメモしたり、チャートにしたりというのを延々とやっていた。

「半分筆談」というようなこともやった。相手も見えるようにして、紙に、相手の言ったことにまつわることを、書いたり、線で結んだりしながら、書く。並べただけだと、関係がわからなくなるから。そうすると、相手も、スピードや話し方を変えてくれる。
このチャートのようなメモは、頭で維持できないイメージの補助になる。

レコーダーに話す練習もしていたことがある。
「〇〇について話します」と言って、〇〇という話の背骨が頭から消えないようにしながら、一生懸命話す練習。
やり過ぎたせいか、SDカードが壊れたことがあったのを思い出した。

心のまとまりも、気を張ってないと崩れてしまいそうな感じがあって、あの期間は、本当に恐くてきつかった。ありがたいことに、いろいろなことをやってある程度回復したから、生きているが、あれがずっと続いていたら、生き残れていたかどうかあやしい。

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