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【159日目】夢野久作「ドグラ・マグラ」を1日1ページずつ読んでいく

 ――それからその日と、その晩の一夜は何も喰べずに眠ったり醒めたりして、あくる朝の御飯も頭が痛むのでそのままにしていましたが、あんまりお腹がいて来ましたので、お昼のを頂きますと大変にお美味いしくて頭の痛いのがすっかりなおりました。それから夕方になりますと、僕の母ソックリの女の人が面会に来ましたのでビックリしましたが、それはこの伯母でしたので、僕は生れて初めて会った訳なのです。その時にこの伯母も先生(W氏)と同じ事を云いました。「何か夢を見ていやしなかったか」って……。けれどもその時はどうしても思い出せなかったものですから、何も知らないと答えました。……でも麻酔剤をがされていた事なんか、ちっとも知らなかったものですから……。
 ――あくる日になると先生(W氏)がおでになるし、中学にいた時の僕の受持ちの鴨打かまち先生も会いに来て下さいました。その又あくる日になったら裁判所からも人が来て親切にいろんな事を聞いたりして何だかゆるされそうなので、僕は母がどんなになっているか、見に行きたくてたまりませんでしたが、一昨日おととい帰って見ますと、母の遺骸からだはもう火葬にしてありましたのでガッカリしました。僕のうちには写真が一枚もないので母の顔はもう見られないのです。けれども明日あしたはこの伯母が、僕をめいの浜《はま》の自宅うちに連れて行ってくれると云いますし、モヨ子っていう従妹いとこもいるそうですから、そんなに淋しくはないだろうと思います。
 ――僕が一番好きなのは語学ですが、そのうちでも一番面白いのは外国の小説を読むことで、特にそのうちでもポーと、スチブンソンと、ホーソンが好きです。みんな古いって云いますけど……今に大学に這入ったら精神病を研究してみようかとも思っている位です。ホントウは文科に入って各国の言葉を研究して、母と一緒に父の行衛ゆくえを探しに行きたいと考えていましたが、父の事に就いては母が極く少しばかりしか話さずに死んでしまいましたのでガッカリしています。その外に、今のところでは、どんな者になろうとも思っておりません。国語や漢文も嫌いではありませんが、中学を出たのちにはわざわざ勉強しようとは思いませんでした。その次に好きなのは歴史と博物で、つまらないと思ったのは地理と物理と数学でした。一番できないのは唱歌ですが、それでも聴くのは大好きです。いい西洋音楽のレコードを聴いたりしますと、名画を見ているような気持になります。民謡なぞも母が機嫌がいいと、よく塾生と一緒にうたいましたから、いなあと思って聞いていました(赤面)。
 ――僕は今迄に病気した事は一度もありません。母も寝たことはないようです。
 ――僕はこれから、警察へ訪ねて来て下すった鴨打先生の処へお礼に行きます。

◆第二参考 呉一郎伯母八代子の談話
 ▼同所同時刻に於て、呉一郎が外出後――

 ――まったく何もかも夢のようで御座います。一郎あれは私の妹の子に相違ちがい御座いません。眼鼻立ちが母親に生きうつしで、声までが私共の父親にそっくりで御座います。
 ――ずっと古い昔の事は存じませぬが、私の家は代々めいはまで農業を致しておりました。私共姉妹きょうだいは母に早く別れましたが、父も私が十九の年の正月に亡くなりましたので、家の血統ちすじは私と、この妹(位牌いはいをかえり見て)の千世子と二人切りになってしまいました。それで、その年の暮に私は、亡くなりました夫の源吉を迎えますと間もなく妹は「東京へ行って絵と刺繍ぬいとりの稽古をして、生涯独身で暮すから構わないでくれ」という置手紙をして家を出ました。それが明治四十年の新の正月頃の事で御座いましたが、その後、福岡で妹を見かけたという人もありましたけれどもハッキリした事はわかりません。やはり全く絵と刺繍ししゅうが好きなためで御座いましたろうと思います。一郎が申しますように、人並はずれて勝気な娘で、十七年の年に県立の女学校を一番で出た位で御座いますが、何か始めますと夢中になる性質たちで、夜通し寝ないで小説を読んだり、絵をいたりする事がよく御座いました。ことに刺繍ぬいとりは小学校にいました時から好きで、夕方暗くなりましても縁側に出て、図画用紙にお寺のふすまの絵を写して来たのを木綿の糸屑で縫っている位で御座いましたから、私が夫を迎えたのを見澄みすましてその方の稽古をねんがけて行ったものと存じます。今から思いますとその時が今生こんじょうのお別れで御座いました。もっとも、田圃たんぼや畑の荒仕事を嫌いますので、よく留守番をさせましたが、私の家は門の処から町並では御座いますし、出入りもかなりに多い方で御座いましたから、別に可怪気おかしげない事を仕出かして出て行ったものとも思われませぬ。

母の過去回に入っていくか…

そういわれてみると、母親の心理遺伝が発動して自殺したという可能性もあるか…

ホーソーンとはだれかと思ったら

日本では明治の初期から語学用教材としてピーター・パーレー(Peter Parley)「万国史」が広く採用され、語学学校などで講読する比較的簡単な英語のリーダーとして愛された。この著者ピーター・パーレはサミュエル・グッドリッチ(Samuel Grisrold Goodrich, 1793-1860)の別名であり、その膨大な叢書の一冊として発刊された「万国史」(Peter Parley-Universal History)はホーソーンに依頼され執筆されたものである。執筆当時無名であったホーソーンは、グッドリッチの依頼によって2歳上の姉とともに「万国史」を執筆し、1837年に二冊本として出版されている

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ということで明治の英語学習の定番だったらしい。

スチブンソンはおそらくロバート・ルイス・スティーヴンソンで、ジキル博士とハイド氏を書いた人らしい。


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