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#59 愛玩たぬき100年計画 : 膝の上の温もりを賭けた、ある一族の挑戦

動物園の柵越しに目が合ったとき。
あの、丸っこいフォルムと、どこか申し訳なさそうな困り顔。ああ、このふわっとした尊い毛玉を、家で思う存分撫で回せたらどれほど幸せだろうと妄想したことはないだろうか。

しかし、現実は厳しい。当然ではあるが、たぬきは野生動物である。その性質は「家庭」という環境には対応していない。残念ながら、犬や猫が数千年以上かけて手に入れた「人間との共生スキル」を、彼らはまだ持っていないのだ。

「ならば、持たせればいい」

前提から疑うという行為は、往々にして外野からは無謀な試みにしか見えない。しかし、情熱と理性が揃って一線を越えたとき、壮大な『100年計画』が胎動を始めた。これは、狂った「たぬき好き」が抱いた純粋な愛と欲望を、数世代にわたる一族の執念へと昇華させる「愛玩たぬき100年計画」である。

始祖が遺した、たった一つの遺言
計画を立案した始祖、まあ私だ。敢えて「初代」と呼ぼう。初代は、自分が計画の完了を見届けられないことを誰よりも理解していた。それどころか、自分の子も、孫も、ひ孫も、その先の何世代もが、追い求めた理想の温もりに触れることはないだろう。少なくとも100年。10世代に迫る子孫たちが、バトンを繋ぎ続けなければならない。

それでも彼は、死の床で子に託した。膨大な飼育記録と、一冊のノート。そこにはたぬき好きらしい、かわいい丸文字でこう記されていた。

「俺は、俺の膝の上で丸くなる、ふわふわのたぬきを撫でることはできなかった。お前もできない。お前の子も、その子も、ずっとできない。だが、誰かが必ずやる。100年後の子孫の誰かが、俺の夢を膝の上で感じてくれる。頼む。俺の屍を越えていけ。そして撫でろ、心の底から。たぬぅ。」

この遺言は、家訓として一族に受け継がれた。

二代目は「まだ噛まれる」と嘆きながら死に、三代目は「ようやく逃げなくなった」と安堵の涙を流して逝った。四代目の時代、初めてたぬきが人の手からおやつを食べた。五代目は「尻尾が少し巻いてきた」と興奮し、六代目は「垂れ耳の子が生まれた!」と歓喜した。

そして七代目の頃には、もはや「なぜこれをやっているのか」という問いすら生まれない。たぬきを選別し、記録をつけることは、正月に墓参りをするのと同じくらい、一族にとって当たり前の営みになっていた。

誰一人として、完成形を見ることはない。だが、誰もが確実に、一歩ずつ夢に近づいている。そしておおよそ100年後、八代目かその子孫が、ついに膝の上で丸くなるたぬきを撫でる。その瞬間、彼らは知るのだ。この温もりは、自分一人で手に入れたものではないと。
(ナラティブ・終)


科学が裏付ける「50年の奇跡」

と、まあ興奮のあまりナラティブが先に出てきてしまったが、私は技術者だ、どんなことでも科学的にアプローチを検討することが染みついている。画期的だと思ったことを始める際に、最初に調べるべきことは類似の先行事例研究だ。大したものではない人間が考えつくことなど、99%以上の確率で既に偉大な誰かがチャレンジしている。

野生動物の家畜化に関しては、かつてロシアで行われた銀ギツネの実験が参考になる。この実験では、人間に対して従順な個体だけを選び、何世代も掛け合わせ続けることで、わずか50年ほどでキツネが犬のように懐くようになったという。 たぬきも同じイヌ科だ。大筋のアプローチとしては、この「選別と信頼」をたぬきと私の子や孫へと繋ぎ始めれば良さそうだ。

ただし、一族が取り組むのは、単なる選択的な交配ではない。選ぶのは「人間を見ても逃げない個体」ではなく、ストレスホルモン(コルチゾール)が低く、幸福ホルモン(セロトニン)の分泌が活発な個体。つまり「人間といると嬉しくなっちゃう脳」を持った子だけを、何世代も選び抜く。この営みが、神経堤細胞という胚発生の司令塔に働きかけ、やがて垂れ耳や巻き尾といった「可愛い変化」を生み出していくのだ。

同時に、コンパニオンアニマルとしての性能を高める選別も行わなければならない。臭腺の発達が弱い個体、免疫システムが安定した個体を優先的に選別する。野生では縄張りを主張するために必要だった強烈な匂いも、飼育環境下では不要になる。世代を重ねるごとに、あの「獣臭」は薄れ、代わりに微かな干し草のような、たぬき臭へと変わっていくだろう。

感染症対策は獣医学の進歩と並走する。エキノコックスや狂犬病といったリスクは、完全閉鎖型の繁殖施設と定期検査により排除され、やがて独自の清浄個体群が確立される。百年後、「家庭用たぬき」は犬猫と同じ予防接種スケジュールで管理される、衛生的でふっさふさな愛しき毛玉となっているはずだ。

2126年、たぬきを「愛でる」という儀式

そして百年後。ついに完成された「家庭用たぬき」との日常は、至福の時間に満ちている。

彼らをどう可愛がるか。その最良のインターフェースは「ブラッシング」にある。 冬毛でパンパンに膨らんだ密集毛を、専用のブラシでゆっくりと梳いていく。かつては汚れを落とすための行為だったそれは、今や「社会的な毛づくろい」という最高のコミュニケーションだ。たぬきは目を細め、あの「困り顔」をさらにクシャッとさせながら、満足げに「きゅう」と鼻を鳴らす。顔を近づけても、もう獣臭はしない。わずかに感じるのは、日向で温まった毛布のような、どこか懐かしい干し草の匂いだけだ。

また、家畜化によって洗練された「おねだり」の仕草もたまらない。 器用に前足を使って、こちらの袖をちょんちょんと引く。犬のように激しく飛びつくのではなく、「あの、もしよろしければ……」と控えめに要求してくるその奥ゆかしさ。手のひらからおやつを差し出せば、小さな手でこちらの指をそっと支えながら食べる。その柔らかい肉球の感触こそが、種を超えた信頼の証なのだ。

完璧じゃない未来の、究極の解毒剤

なぜ、そこまでしてたぬきを愛玩動物化したいのか。 それは、効率と正解ばかりを求められる社会において、たぬきの「抜けた感じ」こそが最高の解毒剤になるからだ。

冬の朝、こたつの中に猫と一緒に潜り込み、重なり合って眠る「タヌ・ネコ団子」。たぬきの太い尻尾が猫の腹に、猫の細い尻尾がたぬきの鼻先に絡まる。種の壁を超えた、毛と毛の対話。 科学は彼らを「飼える」ようにしたが、彼らを「愛らしく」したのは、毎朝「おはよう」と声をかけ、その温もりを百年間絶やさずに繋いできた、私たち一族の情熱に他ならない。

膝の上で寝返りを打つ、ずっしりと重い毛玉。 その体温を感じながら、八代目の子孫は思う。 初代は、この感触を知らずに死んだ。二代目も、三代目も。 だが彼らの執念が、数万匹のたぬきの絆が、この温もりを生んだ。

棚の奥に大切に保管された、あのノート。かわいいもの好きの始祖の丸い文字。 「俺の屍を越えていけ。」 窓の外には相変わらず冷たい風が吹いている。コスパ・タイパの極まる、効率が支配する2126年の世界も、合理性だけでは埋められない『欠落』を抱えている。だが、膝の上のこの重み。柔らかい毛の感触。百年前の先祖が夢見た、この「至上の幸福」だけは、どんな時代にも色褪せない。鼻の奥が熱くなる。

「着いたよ、初代。お前の夢、ちゃんと受け取った。」

たぬぬん、たぬぬん。

(完)

初代が残したノート

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