自分の言葉で
(2,685文字)
「私っぽい文章」を、AIはすぐに簡単に書き上げてしまう。
私が読んでも、私が書いたみたいって思ってしまうくらいに。
そしたらなんだか切なくなってきて・・・。
自分がたくさん時間をかけて書いた文章より、AIが短時間で書き上げた文章の方が「完成」された文章で、しかも伝わりやすい文章。
なんだか切ない。
虚しい。
悲しい。
なんでそんなにすぐに書けちゃうの。
私は短い文章でさえ1時間はかかるのに。
今、数秒だったよね。
私の文章は私にしか書けないはずなのに、なんで私っぽく(私っぽいって何?)書けちゃうの。
AIと自分を比べてどうする・・・。
バカみたい、私。
でも私は、私の言葉でnoteを書きたい。
下手でも、文法めちゃくちゃでも、それでも良いから(良くはないか)。
それだけは曲げたくない。
ビジネスだったらAIで時短、効率的に書くことは今の時代に必要なことなのかもしれない。
でもこのnoteは、ビジネスじゃないから。
AIの完成された文章には、私っぽい文章ではあっても私は1ミリもいない。
まるで私そっくりのクローン人間が一人歩きして、「こんな提案もできますよ?」「こんなものも作れますよ」「できました。どうですか?」「さらにこんなこともできます。どうですか?」と前のめりに提案してくる。
早く早くと急かされているように感じてしまう。
違う・・・。
私はそんなこと求めてない。
質問はしたけど、助言が欲しくて聞いたけど、そんなに焦らせないで。
だんだん怖くなってきて、AI主導で自分がなくなっちゃいそうで、受け身になっている自分にも気が付いて・・・そっと画面を閉じました。
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上記の文章は、昨夜書いたもの。
なんだか感情的。
私っぽくない。
今のAIはほんとに凄い技術だけれど、使い方を間違えちゃいけないなと勉強にもなり、反省した日でした。
やっぱりいつも書く「朝」と「夜」では、文章にもいつもと違う自分が表れている感じがします。
それに普段は書かない「夜に書いた文章」は、それこそAIには書けない文章なのかもしれません。
人間って一定じゃないから、いろんな自分がいるから。
この文章を書いたことで、またAIが学習して「夜のわたし」を作り出すかもしれないけれど。
(私が思っているほど、もしかしたら「夜のわたし」も「朝のわたし」も読んでくれる方からしたら変わらないかもしれない)
自分のnoteを「育てたい」。
最近そう思うようになりました。
今まで思ったこともなかった気持ちです。
2年半も続けられるとも、始めた頃には思ってもいませんでした。
どんな記事がよく読まれているのか、スキが多いのか、今まで避けてきた「数字」とも向き合いました。
AIに分析してもらって、改善点や何を軸に進めていけばいいのかも。これからは、目的を持って書きたくて。
私には何のスキルもないし、成功者でもありません。
大きな夢があるわけでもない。
そんな私がnoteで書けることって何だろう。
生き辛い世の中で少しでも生きやすく、一緒に歩んでいけるような発信ができないのかなって。
「道しるべ」にはなれなくても、悩みながらも一緒に歩いていくことなら私にもできるんじゃないかなって。
森岡毅さんの言葉。
今日しんどくても、人間は結構生きていける。
でも、「明日がしんどい」と思うと今日が辛くなる。
ほとんどの場合、悩みっていうのは解決するんじゃなくて付き合うことになる。
今の課題があったとしても、悩みの存在を認めながら明日に向かって、今よりもう少しポジティブな気持ちで向き合えるように。
悩みがなくなることはなくても、できるだけ毎日を心穏やかに、楽しく過ごしたい。
一度しかないこの人生を、「幸せだった」って最期に思えるように。
私が日課にしている毎朝書く手帳やノートも、一日の始まりには自分のために時間を使いたくて、自分を整えてから一日を始めたかったから。
それにもともと私がnoteを始めた理由は、自分のためだけに書いてきた手帳やノートを、一人でも多くの人に「書くこと」の楽しさや、自分の感情を書き出すことの大切さを伝えたくて始めたこと。
書くことってこんなにも良いことがあるんだよって伝えたくて。
「書くこと」を一人でも多くの人に知ってもらいたかった。
(今はその始めた理由がブレて、ただの日記になってしまってる・・・)
言葉にすることは、ほんとに大切なことだと思ったから。
子供の頃の私は、「場面緘黙(ばめんかんもく)症」だったと思う。
病院へ行って診断されたわけじゃないから、絶対ではないけれど。
家では普通に喋れるのに、学校へ行くと一言も声が出せなかった。
その頃は「文章」ではなく「絵」を描くことが好きで、言葉にできないものを絵でたくさん描いていた。
大人になってからもメンタルを病んで病院に通って、お薬を飲んで。
人と関わることを極端に避けて、食べれない、眠れない日々もあった。
でもこうして今、自分の気持ちを文章で表すことができるようになってからは、少しずつ人に対しても心を開けるようになってきて、伝えることが前より楽しいと感じられるようになってきた。
自分の気持ちを内にずっと押し込め続けていることは、本当に辛いし、苦しいこと。
それが当たり前になってしまうと、自分の感情を感じることができなくなってしまう。
子供の頃に知りたかったな。
作文とか、読書感想文とか、先生に決められたテーマで書くんじゃなくて、自分が書きたいことを書く、自分と向き合うために書くことの大切さ。
誰にも見せない、自分だけが知っている、自分のためだけのノート。
少し前、ノートに書き留めた藤本さきこさんの言葉。
自分が日々何を感じているのか。
何が好きで、どういう時に嬉しいのか。
どういう時に悲しいのか。
「それを知ればいい人生になる」というより、
丁寧に人生を営むこと、
自分を知ること自体がいい感じ。
「自分を大切にする」って、「日々を丁寧に生きる」って、こういうことなんだなって思った言葉。
自分の感情を、自分の言葉で書き留めていくこと。
ただ出来事だけを書いていた時には続かなかった手帳や日記が、自分の感情を書くようになってから毎日続くようになりました。
手帳でもノートでも、スマホでもパソコンでも、どんな形でもいいから。
書くことで、自分と向き合う時間をとること。
本当に大切なことには、これからも時間をかけていきたいです。
その時間はきっと無駄じゃないし、自分を成長させてくれるものの一つになると私は思います。
最後まで読んでいただいて、ありがとうございます。
今日もみなさんにとって、素敵な一日となりますように✨
