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『ウルトラQ』の世界 第六話「育てよ! カメ」

第六話「育てよ! カメ」
       脚本 山田正弘
       監督 中川晴之助
       特技監督 小泉 一

 現代版浦島太郎物語。ただしちょっと、いや、かなり風変りな仕上がりだ。
 これまでの梶田、野長瀬の映画畑の演出家、そして父英二譲りのしっかりとしたカメラ・ポジションの円谷一の演出とは大きく趣きを異にする中川監督作品の登場である、中川の参加によって、元来バラエティに富んでいた『ウルトラQ』はさらなる幅を持つことになる。
 物語は都内の小学校の教室からはじまる。授業中、亀好きの少年・浦島太郎(中村和夫)は、立てたノートの蔭でせっせと亀に餌を与えている。太郎の説明によると、この特製の餌は「このクロレラ強化食。クロレラとサツマイモの粉をレモンの汁でねった特製だぜ」ということだ。このセリフ、なんかどっかで聞いたことがあるような気がするなと思ったら、同じ山田脚本による『快獣ブースカ』(一九六六年)の第一話で、発明狂の屯田大作少年(宮本智弘)がペットのイグアナ、ブースカを巨大化させるために作ったクロパラの説明にトーンが似ていることに気がついた。クロパラの方は、肥料の素とふくらし粉とごは
んと眠り薬の素を卵の白身でねって三年間太陽の光であてたものだというが、マニアックな少年たちの間で、研究は着々と進んでいたのだなと考えると楽しい。ブースカが亀を
苦手としているのも奇妙な暗合ではある。
 太郎の方は、亀が九九センチに成長したら竜宮城に連れてってくれると信じている。だが、担任教師(大泉滉)は、それを虚言症と決めつけ、亀を取り上げ、屋上に立っていろと命じる。ここまで、縦横無尽(というよりは天衣無縫)なカメラ・ワークと素早いカットの積み重ねで、これまでのシリーズとはまるで違った雰囲気だ。さらにタイトルとともに音楽がはじまると、視聴者は戸惑わずにはいられない。何せテーマ曲が違うのだ。本放送の時、冒頭のマーブル模様のメイン・タイトルを観たにもかかわらず、もしかしたら自分は、別の番組を観ているのではないかという不安にかられたことを鮮明に憶えている。
 突然、銀行強盗と警官が銃撃戦をはじめ、屋上にいた太郎はそれを目撃、先生に報告するが、また嘘だと信じてくれない。亀を返してもらった太郎は、理科室に隠れていた二人組の強盗(当銀長太郎、二瓶正也)と遭遇、亀がそのひとりに噛みつき、取れなくなってしまったために、強盗と行動を共にすることになる。相手は強盗だというのに、亀のことしか気にしてない太郎の態度は、マニアックというよりはアナーキーにさえ見えて来る。
 一方、強盗が学校に潜入したのではないかと疑った淳、一平、由利子のレギュラー三人組が刑事とともに調査にやって来る。ここでやっと別な番組ではないことを確認してホッしたものである。それくらいこのエピソードは、他の回とは一線を画するユニークな演出で進行する。背景となる事情や裏話を知った今観ても、その際だった個性はインパクトを失っていなてが、何の予備知識もなくこれを観てしまった、当時の少年の驚きと戸惑いは、やはり格別のものがあった。ここに、連続ドラマではなく、各話が独立した世界観でつくられたアンソロジーとしての『ウルトラQ』の、他のシリーズとは決定的に違った特色がある。一体の怪獣、あるいは一つの事件が、それぞれ固有の世界観を作っているのだ。視聴者は毎回、異なった世界の扉を開け、価値観を根底からひっくり返されるような、未曾有の体験をすることになる。それが『UNBALANCE』のオープニング・ナレーションに込められた基本コンセプトであると思われる。
 物語は、太郎が強盗の持つマシンガンをイタズラしたり、遊園地で追いかけっこしたりと、スラップスティック・コメディ的な展開となる。遊園地のシークエンスでは、ジェットコースターや回転するティーカップなどの遊具を利用した、即興的な演出が光る。ここで思い出されるのが、ジャン=リュック・ゴダールやフランソワ・トリュフォーらのヌーヴェルヴァーグ系の映画監督と同時代に活躍したルイ・マル監督の傑作喜劇映画『地下鉄のザジ』(一九六〇年)である。直接的な影響関係にあるかどうかはともかく、既製の映画の概念や方法論を打ち破り、斬新な作品群を生み出したヌーヴェルヴァーグの作家たちの作風と、『ウルトラQ』の演出に新風をもたらした中川監督の演出には、どこか共通した空気感を感じる次第である。
 下水道に隠れる太郎と強盗。太郎は疲れたのか眠ってしまう。ここで太郎が描いた絵日記が紹介される。前身であるシナリオ「タローの絵本」の名残りだろう。乙姫と協定して社長になり「召使いは五万人。ピストルの名人を一〇〇万円で雇い、免許皆伝にしてもらい、一丁六万円で本物のピストル八〇〇丁、バズーカ砲も買う」と、夢が語られる。いちいち数字が具体的なところが、マニアックな少年らしくて面白いと同時に、同じ山田脚本による「カネゴンの繭」の金男少年を彷彿させる。
 眼醒めた太郎は、亀が巨大になっているのを発見、計ってみるとぴったり九九センチだ。さっそく亀の背中に乗り、竜宮へと出発する。マッハ三で東京の空を飛び、海へと向かう。この大亀は「ガメロン」と名付けられて、怪獣図鑑等にも記載されているが、九九センチという体長は、ウミガメと較べても、特別大きいわけではなく、怪獣というイメージからはやや遠く感じられる。「ペギラが来た!」の項で紹介した山田正弘のエッセイ「ウルトラの星よはるかに」には、毎回、成田亨によるカットが掲載されていて、「育てよ!カメ」の回では、成田デザインによるガメロンが描かれていて、これが実際の作品で採用されていたとしたら、と想像してみると楽しい。
 こうして着いた竜宮城は、何だかとても変な場所だ。何もない漠たる空間に靄のようなものが漂い、波紋がオーバーラップし、魚の影がよぎる。この竜宮のイメージはシュールすぎて、初めて観た時にはすごく違和感があったけれど、再放送等で何度も観るうちに、これはこれで面白いと思うようになった。
 後年、太宰治の『お伽草紙』の一篇「浦島さん」を読んだ時、その竜宮の描写から、「育てよ!カメ」を思い出した。

「道じゃない。ここは廊下ですよ。あなたは、もう竜宮城へはいっているのです。」
「そうかね。」とあたりを見廻したが、壁も柱も無い。薄闇が、ただ漾々と身辺に動いている。 (太宰治『お伽草紙』一九四五年)

 この部分、シナリオではこうなっている。

 地表一面漂よう霧のところ、太郎が一人歩いている。他には何も見えない。(Blu-ray『総天然色ウルトラQ』)

 後日、山田正弘さんご自身に確認したところ、太宰のこの作品は読んでいないとのことだった。あるいは中川晴之助の脳裡にこの作品のイメージがあったのかも知れないが、偶然の相似ということもあり得る。興味のある方は一読をお勧めする。『人間失格』(一九四八年)とはひと味違った太宰治の才能の一端に触れることが出来るだろう。影響関係を憶測するのではなく、それぞれの表現と世界観を味わえばいい。
 さて、我らが太郎少年は、想像を絶する竜宮で、これまた奇妙な乙姫に出会う。彼女は見目麗しいお姫様ではなく、ブランコに乗ったこまっしゃくれた少女(立石愛子)なのだ。この乙姫の笑い方がすさまじい。不思議な魔法で太郎をからかい、ケタケタとあざ笑う。女の本性を見せられているようで空恐ろしくもあるのだが、何回も観ると、段々かわいらしく見えて来るから不思議だ。
 山田さんのお話によると、乙姫役の少女から自然な笑いを引き出すために、中川監督は裸踊りまでして大奮闘したとのことである。その甲斐あってか、少女の笑い声は、今もヴィヴッドに響く。
山田「あの笑いを作るのに大変だったの、ハルさんは。裸踊りをしてね(笑)、お腹に顔を描いてね、おヘソでタバコ喫うわけね、あの巨体で。それを見てあの女の子がね、キャッキャッキャッてホントに笑う、それをパアーッて撮って使うわけね」
 ちなみに、本稿で紹介する山田正弘氏の発言は、特に引用元の表示がないものに関しては、一九九四年九月一五日に筆者が直接ご本人から伺ったインタヴューの録音テープを元にしたものであり、文責は八本にある。

 海竜(『海底軍艦』(一九六三年)に登場したマンダを流用したもの)に追い回され、散々な目に遭った太郎は「もう嘘はつきません」と誓わせられ、玉手箱をもらって現実の世界へと戻って来る。
 竜宮へ行って来たという太郎の話を、大人たちは信用してくれない。だが、クラスメイトたちは一斉に亀を育てはじめる。その中でひとり、熱中するものを失ってぼんやりする太郎を映して物語は終わる。
 大人から見た子供ではなく、まさに子供と同じ視点でその世界を描く山田脚本と、それを子供の空想力そのままに映像化する中川演出が一体となった、シニカルでほろ苦いメルヘンに仕上がっている。放送当時、リアルタイムでは理解出来なかったことも、長い年月が経ってみると、身近に感じられたり、身につまされたりすることもあり、そういう意味に於いても、『ウルトラQ』は味わい深いシリーズである。

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